理化学研究所 ナノフォトニクス研究室 主任研究員
科学技術振興事業団 戦略的基礎研究推進事業(CREST)プロジェクト リーダー
河田 聡 氏
光の波長を超えて
〜フォトニクスがナノの世界を横断する〜
世界一小さな牛。来年のギネスブックに載るその牛は、体長8μm高さ5μm。光で固まる光重合性樹脂で作られているが、脚や角、尻尾などは回折限界より小さく、光ではもはや見ることができない。波長数百nmのフェムト秒レーザー光を使って、数nmの構造を扱うことを可能にするナノフォトニクスの手法を河田氏は生み出したのだ。
フェムト秒レーザーで使うのは波長800nmから1200nmの近赤外光。この波長の光は可視光と比較すると解像度は高くないが物質の奥深くまで入って行きやすく、また物質に与えるダメージも小さいため工業的にも応用範囲が広い。「大きな波長で小さなものを見ようと思ったら、まず1つには波と波をかけ算すること。それが非線形分光学です」フォトンを時間的・空間的に強く閉じ込めると、2つのフォトンが同時に1つの電子を励起することができる。多光子過程と呼ばれるこの現象を実現するのがフェムト秒レーザーだ。多光子過程には高強度のレーザー光が必要だが、フェムト秒レーザーでは、例えば平均強度(パワー)が1mWの近赤外光を10ナノ秒溜めてから100フェムト秒に圧縮して発振すると、1kWものピーク強度(パワー)の光を生み出すことができる。光重合性樹脂にこのパルスレーザー光を照射すると、その焦点のフォトン密度の高い微小空間でのみ多光子過程が起き光重合により樹脂を固めるが、ミクロの牛は、コンピューターに入力された牛の輪郭に沿ってフェムト秒レーザーを照射、牛の表面のみを硬化した後、外側のモノマーを洗い流し、内部のモノマーを紫外線で硬化して作られた。この手法を用いれば、従来の「削る」手法とは全く異なるアプローチでナノデバイスを作ることができる。その証がミクロの牛だ。
また、フェムト秒レーザーはバイオの分野における強力な武器となる「膜の外から刺激しても、中でどのような反応が起こるのかはわからない。でも、細胞レベルになるとほとんど透明といえるから、フェムト秒レーザーを使えば、レーザー光が中に入ってフォーカスした細胞内小器官だけを刺激することができる。すると、細胞はやられたと思うわけ。細胞内にカルシウムイオンが放出され、細胞が反応し、その情報が隣の細胞に伝わっていく。そういう反応をみると、細胞と細胞のコミュニケーションがわかってくる」。光をキーワードにすれば、半導体も細胞も同じように扱うことができる。
ナノフォトニクスのもう一つの手段が近接場光(ニアフィールド光)だ。河田氏は分子振動によって光のスペクトルがシフトするラマン散乱を利用したニアフィールド・ラマン散乱顕微鏡を使い、DNAやカーボンナノチューブの観察を行っている。ナノチューブと一口に言っても、半径や巻き方、あるいはフラーレンを内包するなど、その構造は様々でそれぞれに分子振動も異なる。ニアフィールド・ラマン散乱顕微鏡なら、製造の現場で、一度に多くのナノチューブを個別に観察することができる。「今起きていることそのままを見られる」のが光を使う強み。河田氏が目指すのは、分子1つずつの振動が見える光学顕微鏡だ。「僕はまだ10nmの世界にいるんですが、1nmから0.1nmの世界に行かなければ、自分の見たいと思っている世界は見えない。切らずに、あるいは化学反応を起こさせずに、今そこにあるDNAをそのまま見たい。ブレイクスルーのヒントは持っていますから、もう2〜3年でそこへ行けるんじゃないかと思っています」。
サイエンスにおける夢を追求する一方で、学問の社会貢献を強く意識する河田氏は、2001年10月から阪大フロンティア研究機構(FRC)の機構長も務めている。そのFRCがこの4月に立ち上げたのがFRe-大学だ。e-ラーニングを活用した社会人対象のナノ工学講座である。講師陣には、阪大が誇るナノテク研究の第一人者達が名を連ねる。文科系出身者のための入門コースも用意されている。「去年理科系を出た人でも、大学でナノテクの授業を受けた人はいませんよ。ナノだったら、文科系の人が今から入ってきても同じなんです。DNA一つ見ても、あれは生物なのか化学なのか物理なのかわからない。これまでの学問体系を超えたところに、ナノテクノロジーはあるんです」。次代の鍵となるバイオやフォトニクス、量子力学、情報科学等は、二つの分野を繋げた学際という線上にはない。「複数の学問が融合したもう一つ上のフェーズに、それらはあるんです。そのすべてを、複雑系とナノがカバーするんですよ」。
光を研究テーマに選んだのは、一つには「美しいものにあこがれる気持ち」から。もう一つには「半導体がはやりでも、みんなと同じことはしたくなかった」から。そして、「当時は電気工学科に入ったら電気会社に、建築工学科に入ったら建設会社に入るものという風潮でした。あえて特定のイメージのない応用物理を選んだんです。今のナノテクと同じです」。光が創り出すフロンティアを遠くに眺めていた時代を振り返る。「これまでは動かなければ損をしなかった時代。でも今は、動かなければ失うんです。だから若い人には、年寄りの成功や失敗の体験は聞かずに、ひたすら挑戦して欲しい」。次代のナノテクを担う者に告げるとともに、社会には新しい分野を迅速に取り入れる仕組みの必要性を説く。





