画像:内部空間に有機分子が挿入されたカーボンナノチューブの構造模式図 (東北大学岩佐義宏教授らのカーボンナノチューブと有機分子の複合材料の研究から、岩佐教授の許可を得て掲載)
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Japan Nanonet Bulletin 第55号 : 2004年2月24日

ナノネットインタビュー

東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻 教授
塚田 捷 氏

表面の何が見えているのか
〜計算科学が解き明かす表面の物理〜

表面科学は、1982年の走査型トンネル顕微鏡(STM)の開発によって大きく進展した。だが、原子の姿が次々と捉えられる一方で、なぜ原子像が得られるのかというメカニズム自体は明らかではなかった。「これを解明するために、表面がどのように見えるのかを、第一原理計算を用いて理論シミュレーションする方法を開発しました。シミュレーションの結果、トンネル電流が探針の試料表面に一番近い原子に集中して流れること、これがSTMの原子尺度分解能の起源であることがわかりました」。

塚田氏は1970年代から理論家として物質表面の物理現象を解明してきたが、STMの理論シミュレーションを皮切りに、走査型プローブ顕微鏡の理論にも関わることになった。「STMと共に最近重要になってきたのが、非接触原子間力顕微鏡(ncAFM)です」。ncAFMでは、共鳴振動させた探針で試料表面を走査した時に起こるわずかな振動数の変化を計測する。「数百kHzの共鳴振動数が数十Hzだけ変わるのをみるわけですから、これはものすごく精度の良い測定法なんです。1995年にはドイツや日本の研究グループが原子像を取ることに成功しました。でも、ncAFMが画像化している計測量が何なのかということは、理論研究の進展によって最近ようやく明らかになってきたんです」。探針と試料表面の間には短距離力の化学的相互作用力と長距離力のファンデルワールス力が働く。ファンデルワールス力は長距離で働くものの、原子レベルの位置変化に敏感ではない。一方、化学的相互作用力が働くのは探針と表面の距離が0.2〜0.3nmの範囲に限られるが、探針の原子レベルの位置変化に対して鋭敏に応答する。つまり、ncAFM像は、探針の移動にともなう化学的相互作用力の変化量を画像化したものといえる。化学的相互作用力は試料の表面構造だけでなく、表面と探針を構成する元素の組み合わせにも大きく影響を受けるため、元素の識別も可能になる。塚田氏の場合は第一原理計算を用いて超高真空における理論シミュレーション法を開発したのだが、ncAFMは大気中や液体中で生体分子を計測するツールとしての期待も高い。大気中や液体中は理論の立場からもチャレンジングで魅力的な問題と、塚田氏はその解明に意欲を見せる。

ncAFMと並んで、塚田氏は個々の分子の電気伝導の解明にも取り組んでいる。中でも注目しているのが、かご状の曲面を持ったカーボンナノチューブやフラーレン。「曲面を作るには、六員環の中に五員環や七員環を入れることが必要です。五員環には結合の腕が三本あって、その意味では構造に欠陥はなく完全といえます。ただ、電子が波として伝わる時に、環を一周すると波の性質が違ってしまう位相欠陥があるんです。それが波動関数にどういう影響を与えるかというのは、面白い問題ですね」。例えば、太さの違う2つの金属のカーボンナノチューブを五員環と七員環を使って繋いだ場合、チューブ間の電流の透過率はその構造のいかんに関わらず、スケーリング則によって半径比で決まることがわかった。だが、デバイスへの応用を考えると、より関心が高いのは金属・半導体接合での透過率であるため、塚田氏は現在その理論的な解明を急いでいる。さらに、塚田氏はドーナツ状に繋いだカーボンナノチューブで、ドーナツの穴に磁場を通すとコヒーレントな永久電流が流れ得ることも発見した。カーボンナノチューブが持つ特殊なバンド構造のため、ドーナツを右回りする電流と左回りする電流に磁場によってわずかなエネルギーの差が生じる。「面白いことに、この電流は外部の磁場を増幅する方向に流れます。そのため、わずかな磁界で磁化してしまいます。磁性と関係したデバイスとかに使えるんじゃないかと」。

新たな物性を予言することは、理論家なら誰しも目指すところ。だが、塚田氏には計算科学ならではの、もう1つのモチベーションがある。「現在のアプローチでは、どうしても計算できない対象というのがあるわけです。どうすれば、それを計算することができるのかを理論的に考え出す。それは、展開として非常に重要だと思います」。第一原理計算では、実験的なパラメータを一切使わず、量子力学の基礎方程式から系の中の電子状態を決定し、原子間に働く力を求めて構造や物性を導き出す。一方、モデルを使った理論解析では原子間に働く力は関数の形で与えられ、パラメータによってチューニングされる。精度では第一原理計算が優るが、膨大な計算量のため、計算機の性能が指数関数的にアップした今日でも扱える系は原子数百個が限界。それに比べ、モデルを使った理論解析では数万から数十万個の系を扱うことが可能だ。対象に適した手法を用いて、電子の状態から物質のあるべき様を組み上げる。「宇宙の問題を星の一個一個から解く人はいないですよね。銀河のように何百万の星の集団を単位として扱うでしょ。物質も多分同じで、繰り返しのユニットみたいなものがあれば、そこはひとまとめにして扱う。階層性をうまく使いながら、詳細に見るべきところは詳しい計算をする」。ただし、計算科学において求められるのは、計算のスキルだけではない。「スキルは絶対に古くなります。計算手法への興味や計算機をうまく使うといった側面はもちろん重要です。でも、それだけでは理論家として先に進むことはできません」。シミュレーションソフトの進歩により、現在ではかなりの計算が既成のソフトで行えるようになってきた。「場合によっては、計算科学はそれほど深くないんじゃないかと思われるかもしれない。でも、若い人にはそこで終わって欲しくない」。計算すべきは何か。その計算には、本当はどんな意味があるのか。それを見いだせるか否かが、真の理論家になれるかどうかを分ける。「そこをきちんとわかるためには、やはり物理全体に渡る深い考察が必要なんです」。

(聞き手:コスモピア 石黒 邦子)
塚田 捷 氏
塚田 捷(つかだ まさる)氏
東京大学大学院理学系研究科 物理学専攻
教授
 
1970年 3月  東京大学理学部物理学科 博士課程修了 (理学博士)
1970年 4月  東京大学理学部 助手(植村泰忠教授)
1973年 2月 
~1977年 2月
ミュンヘン工科大学
1976年 12月  分子科学研究所 助教授
1982年 1月  東京大学 理学部 助教授
1986年 6月
~9月 
ミュンヘン工科大学
1987年 6月
~8月 
アルバータ大学
1989年 7月
~8月 
オーストラリア国立大学
1991年 11月  東京大学理学部 教授
1993年 4月  東京大学大学院理学系研究科 教授
 
1999年 
~2000年 
日本物理学会領域9代表
2000年 
~2001年 
日本表面科学会副会長
2002年
~現在 
日本表面科学会会長
2001年 
~2002年 
科学技術学術審議会研究計画・評価委員会ナノテクノロジー・材料委員会WG委員
2000年 
~2002年 
千葉大学先進科学教育センター運営協議会委員
2003年度  科学技術・学術審議会研究計画・評価分科会研究評価部会委員
2003年度~ (第19期)日本学術会議工学共通基盤研究連絡委員会委員
 
1999年 表面科学会学会賞 「走査トンネル顕微鏡および原子間力顕微鏡の理論的な基礎を確立した業績に対して」
2000年 ナノプローブテクノロジー賞 「SPMに関する理論研究」に対して(学振第167委員会)
図1
図1.
拡大
Numerically simulated images of the dynamical surface of Si(111)√3x√3・Ag
図2
図2. 
拡大
Origin of persistent current of a certain kind of single wall carbon nanotube torus
図3
図3. 
拡大
A large loop current of C60 induced by a source drain current

キーワード
走査型プローブ顕微鏡
圧電素子に取り付けた鋭い探針を、試料表面上で走査させ、表面と探針間を流れるトンネル電流(走査トンネル顕微鏡)、表面と試料表面間の力(原子間力顕微鏡)、近接場光(走査近接場光顕微鏡)、静電気力(走査ケルビン力顕微鏡)などを計測して、計測量を像として表示する顕微鏡。像の他に電子スペクトルはじめ種々の物性量を原子スケールで得ることが可能である。
第一原理計算
実験による知見をいっさい用いることなしに、量子力学にもとづいて電子の状態(エネルギーと波動関数)を計算し、これから原子間に働く力、系の安定構造、反応、動的現象、あらゆる電子過程などを決定する方法。密度汎関数法が、その代表的方法である。
個々の分子の電気伝導
ある種の分子は、ナノスケールの電極に結合させると電流が流れることが報告されている。このような系は分子エレクトロニクスの構成要素であり、究極の微細回路の要素として期待される。これは通常の半導体微細加工の物理限界を超えて、原子の種類や位置まで設計できる分子レベルの「モノリシック系」であり、また量子原理による新規な機能が期待される。