(現名古屋大学大学院工学研究科化学・生物工学専攻 教授)
馬場 嘉信 氏
DNA解析技術のブレイクスルーを目指して
〜ナノバイオデバイスの開発〜
「より少ないサンプルで、正確に、早く解析するというのがDNA解析技術の目標です。ちょっと血液を採るだけで、その場ですぐ結果が出るのが一番いいですよね」。極微量の血液からDNAを取り出し、そこからさらに特定の遺伝子を取り出して、解析する。馬場氏はDNA解析の全行程が作り込まれたナノバイオデバイスの実現を目指している。
学生時代にリン酸化合物について研究していた馬場氏は、その経験をバイオの分野に活かそうと、リン酸化合物の一種であるDNAの解析を研究対象として選んだ。1986年、最初に手をつけたのはクロマトグラフィを利用した解析だ。当時、この分野に取り組んでいたのはアメリカの3グループだけで、手探り状態からのスタートだった。「出ていた論文の数はまだ1桁。たくさん読まなくてよくて、こんな楽なことはないと思った」と馬場氏は笑いながら当時を振り返る。クロマトグラフィによる解析は簡便で、自動化も可能。DNA解析用カラムの開発が企業と共同で進み、一部の病気について遺伝子診断が行えるまでになった。しかし、クロマトグラフィにはDNAの塩基数が大きくなるほど分離が困難になるという原理的な限界があった。大きさが200塩基以上ともなると解析は不可能だった。
そこで馬場氏はクロマトグラフィから離れ、キャピラリー電気泳動によってDNAを解析する研究を開始した。ゲル中のDNA断片に電圧をかけ、電気泳動速度の違いによって大きさの異なるDNA断片を分離するゲル電気泳動は、DNAの配列決定法として既に一般的だった。クロマトグラフィとは逆に、DNAの塩基数が大きくなるほど分離能力は向上する。しかし、ゲル電気泳動による解析には何十時間もかかる。高い電圧をかけて時間を短縮しようにも、発生した熱でDNAが破損してしまうという問題もあった。それを解決したのが、ゲルの変わりにキャピラリー(内径100μm以下のガラス管)を用いたキャピラリー電気泳動だ。キャピラリーでは流れる電流が小さくジュール熱の発生が大幅に抑えられるため、高電圧を印加して分離を高速化できる。多数のキャピラリーを並べて複数の分析を同時に、自動的に行うことも可能だ。万単位の塩基数まで、高速・高分解能で解析することが可能となった。
「日本にはすばらしい半導体技術があるのだから、そういう企業の人たちと一緒にやってみたい」。1990年代半ば、さらに簡便で、かつ高速のDNA解析法を追求した馬場氏は、チップ技術に着目した。半導体産業で培われた微細加工技術によって幅10μm〜100μmの溝(マイクロチャネル)を掘ったガラスやプラスチック基盤を用いる電気泳動チップは、動作原理はキャピラリー電気泳動と同じだ。しかし、キャピラリー電気泳動では分析に10cm以上の長さが必要であったが、チップでは数〜数十mmで済み、またキャピラリーの折れやすいという欠点も解消される。1999年に馬場氏が開発した2cm×3cmの基板に50μm幅のマイクロチャネルを掘った電気泳動チップでは、キャピラリー電気泳動で要した時間の1/10、10分でDNAを解析することが可能となった。
現在、馬場氏はさらに高速・高機能な解析を可能にするチップを模索している。通常のゲル電気泳動で用いられるゲルの代わりに、直径80nm〜200nm、高さ600nm〜5000nmの柱(ナノピラー)を数100nmの等間隔でマイクロチャネル内に林立させた構造を考案。ゲルの場合は試験のたびに配合や温度の調整を厳密に行う必要があるが、ナノピラーチップは構造を一度作れば再現性の高いデータが得られる。ナノピラーの太さや間隔によって、解析するDNA断片の大きさを選択することも可能だ。また、ナノピラーの代わりに直径30nm〜50nmの球(ナノボール)をチャネル内に満たし、DNAを解析することも試みている。「いったんDNAが上手く解析できるメカニズムさえ作ることができれば、それを100本、1000本、10000本と増やして高密度化するのは半導体技術の得意とするところです。半導体と同じように、DNA解析の全工程をチップに作り込むことが将来的には可能になります」。これらの、ナノバイオデバイスは、ゲノム医療・創薬への展開が期待されている。
馬場氏はDNAを解析する立場から、いくつものプロジェクトに関わっている。なかでもユニークなのは、徳島大学の21世紀COEプログラム『ストレス制御をめざす栄養科学』。ストレスを制御することで病気を予防するのが目的だ。ストレスの研究で第一の問題は、ストレスを評価する技術がないことだ。「同じストレス、負荷がかかっても、人によって反応も解決方法も違う。それはまさにゲノムによるはずです」。たとえば、博士課程の大学院生の遺伝子は、学位を取る前と後でその働きが全く異なる。しかも、変化のパターンは個々の学生によって違う。「将来的には、チップに指をのせるだけでストレスのレベルが分かって、そのストレスを低減する食べ物も分かるようになるはずです」。
「我々が今まで考えていた常識というのは、ナノではない空間の中での物理的な現象に基づく常識です。ナノ空間の中では、そういう常識が通じないことが起こっている。例えば、我々が知っている水とナノ空間の中の水では状況がずいぶん違っていて、水の硬さがずいぶん違うらしい。ナノピラーやナノボールでは、ナノの構造を使ったからこそ、これまで我々が知らなかった現象が起こってきた。ナノの世界には、まだ分からないことが多い。若い人たちがこれからやれることはたくさんあると思います」。






