Andrew D. Maynard博士
Chief Science Advisor, Project on Emerging Nanotechnologies, Woodrow Wilson International Center for Scholars
ナノテクノロジーのリスク・アセスメントを考える
〜ウッドロー・ウィルソン国際センターのMaynard博士に聞く〜
(Issued in English: August 3, 2006)
Maynard博士は、英国ケンブリッジ大学で超微細エアロゾル解析分野で学位を取得後、安全衛生庁(Health and Safety Executive、HSE)安全衛生研究所(Health and Safety Laboratory,HSL)を経て、2000年から5年間、米国国立労働衛生研究所(National Institute for Occupational Safety and Health,NIOSH)で超微細エアロゾル解析やナノテクノロジーの環境・健康分野へ影響についての研究に携わり、現在は、ウッドロー・ウィルソン国際センター(Woodrow Wilson International Center for Scholars)の首席科学顧問として活躍されています。今年の2月、東京の国際連合大学ウ・タント国際会議場で開催された国際シンポジウム「Exploring the Small World: Role of Public Research Institutes」に出席されたMaynard博士にナノサイズ粒子のリスク・アセスメントについてnanonetの竹村誠洋がインタビューしました。
Q : ナノサイズ粒子のリスク・アセスメントという視点では、それらの製品製造現場における健康・環境安全など労働衛生問題が最優先の課題であると誰でも考えると思います。ナノテクノロジーのEHS(Environment,Haealth and Safty)との関係についてこれまでのご活動を紹介頂けますか。
私は17,8年前からナノ粒子に関心を持ち始め、大学院では高分解能電子顕微鏡を用いてナノメーターサイズの大気中粒子を分析する研究に取り組んでいました。1990年代にはディーゼル機関からの排ガスや溶接ヒュームに含まれる超微細粒子が呼吸器官に障害を与えるかもしれないとして問題になり、私も英国HSEの活動に参加して健康への影響を調査しました。
2000年に米国へ移り、NIOSHで研究を始めましたが、ここでは副次的に生成する微粒子による曝露に加えて、工業的に生産されたナノメーターサイズの粒子に曝される可能性のある人達の調査も始め、再度、ナノ粒子の分析、評価研究に携わりました。
副次的に生成するナノ粒子と工業的に生産されたナノ粒子
Q : 副次的に排出されるナノ粒子とある用途に向けて工業的に生産されるナノ粒子との違いについてどのようにお考えでしょうか。
あるナノ粒子について、考えられる害は何かとか、環境への害は何かとかいう時には、その粒子がどれくらい危険か否かが問題であって、それらが車の排気ガスからきたのか、工業的に生産されたのかによる違いは大きくありません。しかし、副次的に生成するナノ粒子は多くの場合、異なったサイズ、形、化学的な性質をもった様々な物質の混合物で、健康や環境への影響はこの多様な物質のカクテルがおこす問題として考えなければいけません。
一方、工業的に生産されるナノ粒子は理想的には特定の性質をもつ、どの粒子も同じな材料といえます。この場合には、ナノ粒子の危険度は物質そのものの危険度を反映していると考えられますので、むしろ如何に閉じこめた環境で製造するか、作業者のナノ粒子被曝を無くするにはどうすれば良いか、といった視点が重要になります。
ナノ粒子曝露測定
Q : 実験室とか工場において、ナノ粒子にどの位曝されたのかを測る曝露測定方法は開発されているのでしょうか。
何を基準として曝露を測定するか、この測定基準を設定するのは非常に難しいところがあります。そこには2つの問題があります。
1つは、何を測定すれば曝露度といえるのかがまだ明確では無いということです。第2には、ナノ粒子では、その粒子の構造の違いが重要な要素となっていることです。例えば、曝露測定の中で、表面とか形状など粒子の構造を見ているかいないかでは、どういうナノ粒子が環境や人体に影響するかが異なってきます。このようなナノ粒子の構造情報をどう評価し、どの様な形で測定方法の中にとりいれていくか、まだまだ曝露測定方法については研究が必要です。
米国NIOSHと英国HSE
Q : 米国NIOSHと英国HSEの活動についてお話いただけますか。
米国のNIOSHは実は規制機関ではなく研究機関です。そのミッションは、安全な労働環境をつくりあげていくために必要な情報を整えることです。NIOSHでは、ナノテクが展開していく中で安全な職場を確保するためには、何がリスクであり、そのリスクはどの様にしたら低減できるかを理解していなければならない、ということを認識しています。また、ナノテクを応用することによって、安全な職場のための新しいセンサーや新しい制御技術、新しいプロセスなどの、安全確保の方法が開発できることも理解しています。現在、NIOSHでは工業的に生産されたナノマテリアルの毒性評価研究プログラム、微粒子曝露の特性評価及び測定方法開発の研究プログラムが活動中です。最近、パブリック・コメントを求めて、ナノマテリアルの工業的生産における安全な作業方法に関するガイドライン案を公表しました。
またナノ粒子製造のベスト・プラクティス・ガイドラインの作成もやっています。つい最近では、企業に出かけて現場でのナノ粒子曝露の可能性や危険の可能性のある材料の有無を調査するグループが設置されました。すでに企業との共同作業がスタートしています。
英国では工業的に生産されるナノマテリアル、特にナノ粒子について労働衛生の観点から見ています。英国HSLではナノ粒子の曝露をいかにコントロールするかの研究に力が入ってます。
実験室におけるナノ粒子使用のガイドラインと標準物質
Q : NIOSHが実験室においてナノ粒子を取り扱うためのガイドラインを出すという話を聞いていますが?
近いうちにNIOSHのガイドライン案をご覧になれると思います。ただし、現在のところ具体的なガイドラインを整備するのに十分な情報が無いという状況にあることはご理解下さい。NIOSHができることは、現在利用可能な情報を人々や施設に提供し、自らふさわしいガイドラインを整備することを奨励することです。NIOSHから非常に明確なガイドラインが出てくるのを期待すると、長い間待つことになるかもしれません。しかし、ガイドラインを作ろうという活動は他でも多くの組織で行われています。米国材料試験協会(American Society for Testing and Materials, ASTM)や国際標準化機構 (International Organization for Standardization, ISO)などの規制機関もナノマテリアル取り扱いの適切な方法、安全な方法の開発に取り組んでいます。
Q : 標準物質の問題についてはどうですか?
一番大きな問題は、工業的に生産されるナノマテリアルの危険性に関して、それらの材料の構造情報に依存する潜在的な影響です。これはこれまで社会が実際に取り扱った経験がなかったことです。構造の持つ重要性、表面化学や構造化学への理解の欠如が問題です。化学的には同じだが構造的に非常に異なる材料が多くあるということを実際認識していませんでした。そのために、研究のためのベンチマークとして何を利用するかが大きな問題となっているのです。
酸化チタンやカーボン・ナノチューブについての過去の研究では、皆さん自分は同じ材料を取り扱って来ていると思っていました。しかしそうではないのです。この問題を解決する唯一の方法は、こういったものをテストする際にベンチマーク材料、標準材料をもつことです。現実には、研究者からベンチマーク材料として認められた標準試験材料が手に入るまでにはしばらく時間がかかりそうです。さらに第2の問題として、良質の一定な基本となる材料を手に入れられるかどうかの問題があります。カーボン・ナノチューブでさえ、生産する会社が異なれば微妙に異なっています。この違いが毒性の違いにつながる可能性があります。
Q : 材料そのものの問題だけでなく、大気中や水中へ分散する方法も異なっています。
その通りです。そのことが物事をもっと難しくします。材料がどの様に体内にはいるかが非常に大切です。我々はNIOSHでカーボン・ナノチューブのエアロゾル化について研究しました。特定の製品の2つのバッチから取り出した材料からエアロゾルをつくりました。1つのバッチの材料では直径30nm以下の粒子を放出しましたが、もう一方のバッチの材料は放出しませんでした。つまり、たとえ物理化学的特性が同じであっても、この2つの材料のように、空中に放出された粒子の性質はまったく違うことになるかも知れません。
ウッドロー・ウイルソンでのナノテクノロジー・プロジェクト
Q : ウッドロー・ウイルソンへ移られましたね。主な仕事は何ですか。
私の主な仕事はナノテクノロジー・プロジェクトの首席科学顧問ですが、はじめにウッドロー・ウイルソン国際センター(Woodrow Wilson International Center for Scholars)についてお話させてください。国際センターは、1968年に米国のウッドロー・ウイルソン大統領を記念して、米国議会によって設立された組織であり、独立したフォーラムとして、色々な領域から人々を集めて種々の社会が直面している困難な問題を議論する独立した対話センターです。現在、この国際センター内では新興ナノテクノロジーに関するプロジェクト(Project on Emerging Nanotechnologies)が活動しています。本プロジェクトは米国のピュー公益信託(THE PEW CHARITABLE TRUSTS)と協力して昨年(2005年)発足しました。
このプロジェクトの狙いは、次の10ないし20年にわたって課題となるであろうナノテクノロジーに付随した問題の幾つかを調べ、ナノテクが社会で成功するためにこれらの課題にどの様にして打ち勝つことが出来るかを議論し、研究するためにさまざまな領域から人々を集めてくることです。そのために科学と同じく政策にも関心を持ちます。プロジェクトにおける私の役割は、プロジェクトの科学的な視点を補完し、科学的な展望の中で、現在の科学の現状を理解し、またこれらの問題点の本質を理解し、政策提案をしていくことです。さらに、行われている議論が科学的に正しいと同時に課題にふさわしい方向に向かっているかを保証することでもあります。
レポート『ナノテクの影響を管理する』と規制
Q : この1月に『ナノテクの影響を管理する(Managing the Effects of NANOTECHNOLOGY) 』というレポートがウッドロー・ウィルソン国際センターから出ましたが、これについて教えて頂けませんか?
これはテリー・デービス(J. Clarence (Terry) Davies)がまとめたレポートです。ナノテクノロジーの規制は米国において可能か否か?現在の規制構造は新しいナノテクを取り扱うのに十分か?それとも適応する必要があるのか否か?を議論したものです。彼からは、このレポートの試みを理解するのに役立つとして、このレポートとは独立してナノテクノロジーの危険性の問題を調べることを要求されています。テリー・デービスは、現在の規制構造を、主にEPA(環境保護局)やOSHA(労働安全衛生局)を対象にして検討し、現在の規制構造をでは、ナノテクノロジーに規制を行うには重大は欠如があると結論しています。もしナノテクを実際に奨励する良い規制方法は、新しい立法、すなわちナノテク特別法を提案することであるという結論に達しました。既存の法律は十分に強固なものではなく、新しい法律が必要な領域があると彼は考えています。レポートの大きな狙いの1つは、人々がこれらの問題について議論をはじめるということでした。もし新しい規制が必要ならば、今話し合いをはじめ、必要なときには規制がそこにあるようにしたいのです。
Q : 既存の規制システムの適用とか限界に関して、NEHI(ナノテク環境衛生影響)ワーキング・グループもこうした問題を議論していると思いますが。
以前、国家技術戦略内のNEHIグループの共同議長をしていましたが、その時には色々な規制機関に質問して、ナノテクに関する彼らの立場は何かを調べました。ほとんどの場合、これらの機関から返ってきた回答は、関係する法律の骨組みはナノマテリアルを取り扱うのに十分に強固であると信じているということでした。
テリー・デービスは、それに関してはっきりと異なる見通しを持ち、現在の法律では大きく欠けている領域に光を当てました。彼は、化学工業の領域では有害物質規制法(Toxic Substances Control Act,TSCA)によって合理的に安全が確保されていることは認識していましたが、それが化粧品の領域では欠けていることを指摘しています。現行の規制を改変して、これらの領域もカバーするに至る前に、問題が悪化してしまう可能性があります。新しい規制法が現実に必要であると彼が言ったのはこういった領域についてです。
国際協力
Q : 最後に、我々は国際協力がこの問題の重要なポイントだと考えておりますが、何かコメントはございますか?
それは絶対に必要なことだと思います。ナノテクにおける健康や環境安全性という問題は、全ての人に利益があるようには解決できないと感じています。こうした問題は、出来るだけ公開し、多くの人が協力することが求められています。もし、ナノテクが環境や人間の健康に影響を与えるものならば、これはグローバルな解決を必要とする問題であり、こうした問題を取り扱うためにグローバルに協力する必要があると思います。
また、非常に実際的な問題として、どの国でも十分な研究資金が無いという問題があります。我々は協力し、情報や資源を共有していかなければいけません。私は、政府間ばかりでなく、企業間においても、国際協力を可能なかぎり推奨していきます。国際的な協力を進めていくことはあらゆる人のためになると思っています。
Q : どうも有り難うございました。
(聞き手:nanonet 竹村 誠洋)