NanotechJapan Bulletin

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Vol. 1, No. 2, 2007年12月21日発行/DNAチップはこれからが正念場

NanotechJapan Bulletin Vol.1, No.2, 2007 発行

DNAチップはこれからが正念場 --- 東京農工大学 松永 是教授

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 ヒトゲノム計画が終了した今,得られたゲノム情報を,患者個人の体質に合わせて行う個別医療などにいかに活用するかが大きな課題になっている.ポスト・ゲノムシークエンス時代に最も求められる技術のひとつであるDNAチップについて,東京農工大学の松永是教授に聞いた.

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松永 是教授

 20XX年,ある診療所での健康診断.受診者は,指先からとったほんの少量の血液をチップ上にたらす.数分後,医師から今後気をつけなければならない疾患とその予防のための生活指導を受ける.DNAチップは,こんな光景を現実のものにする主役として期待される技術だ.

はじめは種の同定に応用

 「生体分子を基板上に配列しライブラリーを作る」というDNAチップにつながるアイディアは1989年に米国で生まれた.当初,基板上に配列する生体分子はペプチドが考えられていた.しかし,DNAがより扱いやすかったこともあり,ゲノム科学の発展と共にDNA解析技術の1つとして進歩してきた.1990年代後半から,DNAチップ研究に携わってきた松永是教授が最初に開発したのは,結核菌同定用チップだ.「薬剤耐性菌による難治性結核が増えています.多様な薬剤耐性菌があり,どの薬なら効くのかをいち早く知る必要があります」.

 かつて結核菌の同定には,菌を培養し薬剤感受性検査を行っていた.他の細菌に比べて増殖が遅い結核菌は,結果が得られるまでに6~8週間を要し,迅速で適切な治療の妨げになっていた.そんな状況を一変させたのがDNAチップだった.結核菌の薬剤耐性に関わる遺伝子はすでに知られているものが多い.例えば,イソニアジド耐性菌は,カタラーゼ遺伝子とペルオキシダーゼ遺伝子に欠損があり,抗生物質のストレプトマイシンやカナマイシンに耐性を示す菌は,16SリボゾームRNA遺伝子に変異がある.この遺伝情報を有効に利用したのがDNAチップだ.

 1999年には,水産庁との共同プロジェクトにおいて,ミトコンドリア遺伝子の違いからマグロの種類を判別するチップを開発した(図1).市場にはクロマグロ,メバチマグロ,ビンチョウマグロ,ミナミマグロが出回っている.姿のままなら一目瞭然のその種類も,加工されると判別が難しい.高価なクロマグロと偽るケースが後を絶たず,対策が求められていた.


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図1
磁性細菌が体内につくる粒径50~100 nmの磁性微粒子にプロ
ーブを固定したことで,目的のDNAを容易に磁気的に回収できる.

技術の粋を集めたDNAチップ

 DNAチップとは,数センチ四方の基板の上に,塩基配列の異なるDNA(=プローブ:検出したい遺伝子を結合させるためのDNA)を格子状に高密度に配置したものだ.調べたい組織からRNAを抽出し,これを鋳型に逆転写してDNAを調製する.このときDNAの材料となる塩基をあらかじめ蛍光色素で標識しておく.こうして調製した試料の中に,基板上のDNAと結合するものがあれば,蛍光により高感度で検出される(図2).技術的に重要なのは,まず基板に載せるプローブの長さの設計である.プローブの長さは10塩基から数百塩基まで幅が広い.合成すれば25塩基が限界だが,好きな配列を作ることができる.一方,組織から抽出したDNAをそのまま使うと長いプローブもでき,知りたい遺伝子だけが結合する確率が高まる.しかし,長所ばかりではない.逆に長さが障害になって結合が妨げられることがある.

 検出のための標識の選択も重要だ.ラジオアイソトープも使われるが,使いやすさから蛍光標識が主流となっている.蛍光色素は,励起波長と蛍光波長が十分に離れていて,バックグラウンドのノイズが少ないものが選ばれる.そのほか,基板の素材や形状,温度などの反応条件を繰り返し検討して,1つのDNAチップができあがる.DNAチップ解析における最も大きな問題点は,データ再現性の困難さにある.原因は,調製するRNAが分解を受けやすいことや自作するDNAチップのLot間誤差を始めとしていくつかあげられる.これを解決するためには同じ実験を何度も繰り返し,mRNA発現量の変化に十分な差異が見られた結果のみを信頼できるデータとして採用することである.この問題点は今日に至るまで変わっていないが,技術的な進歩により再現性は良くなってきた.

 例えば,キャピラリー電気泳動結果を指標としてRNA分解をモニタリングできるようになった.また,様々なDNA固定化基板が市販化されるようになり,安定的にDNAチップを作製できるようになってきている.「DNAチップ作製の技術レベルは向上しています.中でも,基板上にDNAを高密度・高集積に合成し,搭載する技術は,一度に大量の遺伝子解析を可能にしました.これがDNAチップの最大の特長です」と松永教授は言う.

 「基板上にDNAを高密度・高集積に合成する技術」は,DNAチップ最大手の米国Affymetrix社が考案したAffymetrix方式が採用する光リソグラフ法が優れている.光リソグラフ法とは,半導体製造に用いられる技術で,小さい鏡面体によって基板上の光の当たる領域と光の当たらない領域を制御するのがポイントだ.基板上に直接プローブを合成するが,その材料になる塩基は光感受性の保護基が付けられているため,光が当った領域のプローブDNAだけが成長する.この方法では,1平方センチ当たり5万種のプローブDNAを固定できる.現在主流とされるStanford大学方式の1000種/平方センチと比べると,光リソグラフ法は圧倒的に効率がよい.


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図2 DNAチップの概念


生体分子の網羅的研究に

 DNAチップの登場によって,莫大な数のDNAの同時解析が可能になり,従来のように個別の生体分子をとらえるのではなく,複雑にかかわりあう生体分子を網羅的にとらえることができるようになった.例えば,DNAの転写によって細胞内に現れるmRNAは,細胞の外からの刺激や細胞内環境変化に伴ってその種類も数も変化する.同時に莫大な数の遺伝子を解析できるDNAチップならこの微妙な変化をとらえることができる.

 最近注目されている「たんぱく質に翻訳されないmRNA(ncRNA)」の機能を調べるにも,DNAチップが役に立つかもしれない. 松永教授は,解読した磁性細菌の全ゲノムの情報を載せたDNAチップを作製し,ナノ磁石の合成メカニズムの解明を行ってきた.磁性細菌は一般細菌の100倍以上の鉄イオン取り込み能を持ち,生体内にナノサイズの磁石(酸化鉄)を合成することが知られている細菌である.生育時の鉄イオン濃度変化に伴って変動するmRNAの網羅的な解析を行うことで,磁性細菌内で働く鉄イオン輸送タンパク質を特定し,特異な鉄イオン取り込み機構を明らかにした.

 2003年にヒトゲノム解析が一通り終了し,以降,医療への応用を目的とした研究が加速している.特に期待が大きいのは,チップを活用した診断と,それに基づく個別医療だ.個人個人の遺伝子変異(SNP:ひとつの塩基が異なる変異)が,ある病気に対する罹りやすさを決めていることがある.ヒトゲノム解析が進む中で,SNP に関する情報も収集,整理され1000万近くが知られている.この情報を利用すれば,病気診断の重要な手がかりになる.しかし,「病気は複数の遺伝子の複数のSNPが原因になっている場合が多く,それらのすべてが判明し,病気の診断に使われるようになるにはまだ時間がかかるだろう」と松永教授は予想する.

 DNAチップによって遺伝子を検出するには,目的とする遺伝子の塩基配列が知られていることが前提だ.DNAチップの医療面での実用化が必ずしも期待通りに進まないのは,オーダーメイド医療や疾患の罹患率,薬剤の効き方に関係するSNPの絞り込みがなお難しい状況にあるためだ.

今後期待されるDNAチップとは

 DNAチップの強みは,コンパクトさと簡便さ,多数のサンプルを同時に解析できる能力だ.これらを生かした今後の発展の方向として松永教授があげるのは,セルチップ,ラボオンチップ,DNAチップとシークエンスの融合の3つの技術である.いずれも,単にDNAを解析するだけのチップではない.セルチップは,基板上にDNAも含む細胞そのものを固定したチップで,細胞の機能解析や動物実験に代えて薬剤の生体への影響を調べる目的で使う.ラボオンチップは,実験室をチップ上に作ってしまおうという発想から誕生した.試料調製にかかわる反応もチップ上で行うため,反応をスムーズに進めるための微細なポンプやバルブの開発が進んでいる(図3).


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図3

DNA精製,遺伝子増幅,DNA検出の3工程を含むラボオンチップのDNA精製工程にかかわる部品.このマイクロチップの流路(写真の溝)表面は,DNAを選択的に結合・脱離するように化学修飾されており,効率的にDNAを精製できる.精製されたDNAはこの後,遺伝子増幅,DNA検出を行うチップに移動していく.

 松永教授が次世代技術として特に注目するのは,高密度DNAチップと大規模シークエンスを融合させた「パイロシークエンス」【注】である.2005年,一度に数百万のサンプルDNAを増幅からシークエンスまで1つのマシン上で同時に行う自動化システムが,米国454ライフサイエンス社によって実用化された.パイロシークエンサーは,2000万塩基を約4時間で読む能力を備え,ゲノム科学研究や応用分野で活躍し始めた.

 「試料のRNA抽出,プローブと目的遺伝子のハイブリタイゼーションのプロセスなど,DNAチップを支える技術はいずれも昔からあるものばかり.微細化して分かりにくくはなったが,その原理や特性を理解していることで,データから有用な情報を読み取ることもできるし,より良いDNAチップの開発も可能になる」と松永教授.DNAチップの未来は,製造技術だけではなく,遺伝子を探す生命科学やバイオインフォマティクスの進歩とも密接に関連している.これからが正念場のナノテクノロジーである.

キーワード

パイロシークエンス

これまでのシークエンシングは,まず配列を知りたいDNAを鋳型にして相補鎖を合成する.こうしてできた相補鎖DNA断片をゲル電気泳動して配列を決めていた.一方,パイロシークエンスは,知りたいDNAの相補鎖を合成しながら,合成にどの塩基が使われたかを順次調べることができる.ゲル電気泳動を必要としない分,時間的にも,調べられるDNAの長さの点でも有利である.検出は,塩基が相補鎖合成に使われたときにできる反応副産物のピロリン酸が引き起こす発光をCCDカメラで観察することによって,リアルタイムで行われる.一度に160万個のサンプルを扱うことができる.

参考文献

[1] 松永是著,SCIENCE AND TECHNOLOGY『バイオチップのはなし』(日刊工業新聞社 2006)
[2] 松永是監修,『DNAチップの開発』(シーエムシー出版 2005)
[3] 松永是監修,『DNAチップの開発II』(シーエムシー出版 2006)