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Vol. 1, No. 7, 2008年10月31日発行/北澤vs潮田対談「マテリアルサイエンスで未来をひらく」

NanotechJapan Bulletin Vol.1, No.7, 2008 発行

北澤vs潮田対談「マテリアルサイエンスで未来をひらく」

 2008年2月,日本から新たな鉄系高温超伝導物質の発見という会心のホームランが飛び出した.世界に伍してノーベル賞級の研究成果を引き出すにはどのような研究環境が望ましいだろうか.マテリアルサイエンスの未来展望を踏まえて,(独)科学技術振興機構(JST)理事長の北澤 宏一氏と,(独)物質・材料研究機構(NIMS)ナノテクノロジー拠点長の潮田 資勝氏が語り合った.司会はナノテクジャパン編集委員の井下 猛.

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希少資源を有効活用する永久磁石日本のマテリアルサイエンスは世界で健闘 大発見は日本に期待

――日本のマテリアルサイエンスとナノテク研究の現状をどうご覧になりますか.

北澤氏 材料に近い分野はたいへんレベルが高く,基礎科学も健闘しています.例えば高温超伝導のような発見は,日本か中国からしか出てこないだろうと考えられています.理論から帰結してくる発見はその限りではありませんが,そちらは割と少ないですから.

潮田氏 なぜ欧米ではダメなのかというのは面白いですね.システムの問題か,心理的な問題か.

北澤氏 バイタリティーの問題ですね.

潮田氏 日本も欧米に近づいていませんか.

北澤氏 細野 秀雄先生(東京工業大学応用セラミックス研究所教授)は「若手が,自分には大きな発見は無理だと諦めている」と書かれています.

潮田氏 いかに若い人に元気を出させ,サイエンスに向かわせるかが課題ですね.

ライフサイエンスでは3連続ホームラン

北澤氏 実はライフサイエンスもマテリアルサイエンスも,ここしばらくの間,超特大ホームランは日本からでています.中でも山中 伸弥先生(京都大学教授)のiPS細胞は注目の的で,世界中が追随しています.さらに審良 静男先生(大阪大学教授)の自然免疫の研究や,河岡 義裕先生(東京大学教授)の鳥インフルエンザウイルスのワクチンの研究も大ホームランです.鳥インフルエンザの感染がヒトの間で起こった時は,東京ではおそらく地下鉄を止め,我々みな家にこもらざるを得なくなります.

 ヒト間で感染力を持つウイルスが出たら,採取してワクチンを開発し,大量生産してみんなに配り終わるまでの期間を短縮するために河岡先生の研究が有効になります.ライフサイエンスはこれまで全く鳴かず飛ばずだと言われていましたが,この3人は相次いでノーベル賞の前哨と言われるコッホ賞を受賞しました.山中先生などは昼間のワイドショーや午後7時台のニュースなどにも登場していて,今や一般の人たちのほうがよく知っています.女性週刊誌でも一番人気です.多忙すぎるのも悩ましいのですが,できるだけ一般向けメディアに登場していただいて学会などをスキップしてもらうほうがむしろ良いと思っています.

潮田氏 弟子もいますからね.

北澤氏 その点では,山中先生は大リーグにおけるイチロー,松井選手以上です.女性週刊誌で人気が出るには4つの条件があるそうです.すなわち若くて格好いい,たとえ文部科学大臣が相手といえどもズケズケ物を言う,本当に良い仕事をして実力がある,話がうまくて訴える所がある.山中先生の話には「ぜひ早く患者さんの役に立ちたい」という気持ちが滲み出ていて,国民の目線での話し方が共感を呼びます.その日まで全然知られていなかったスーパースターが突如現れ,今やサイエンスも山中先生ありきです.

潮田氏 お茶の間にいるのは納税者ですから,大事ですね.

北澤氏 内閣府が実施した世論調査で,「社会の新たな問題が科学技術によって解決される」ことへの期待を尋ねたところ,4年前に35%だったのたが,2008年2月に出された最新の調査結果では62%に跳ね上がりました.

潮田氏 山中効果ですか.

北澤氏 朝日新聞では,直前に発表されたiPS細胞の効果が相当あると分析しています.それだけというのではちょっと悔しいですが,いずれにしてもサイエンスにはスターがいなくてはいけません.

潮田氏 そうですね.私がサイエンスに進もうと思ったきっかけは,湯川秀樹さんのノーベル賞受賞(1949年)です.当時小学生でしたが,日本全体が飢えていて,それくらいしか良いニュースがありませんでした.

マテリアルサイエンスにも新たな高温超伝導物質が登場

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北澤氏 野口英世や湯川秀樹などの伝記を読んで,サイエンスに行った人は結構いましたね.等身大のモデルが望まれていたところにライフサイエンスでホームランが相次ぎ,そうこうするうちマテリアルサイエンスからも細野先生の新たな高温超伝導物質の発見というホームランが飛び出しました.

――細野先生の研究の新規性はどこにありますか.

北澤氏 最初に見つけた物質は鉄とヒ素を含む層と,ランタンと酸素を含む層の交互の積層化合物でした.それ以前は高温超伝導物質は銅酸化物だけでしたが,銅や鉄と酸素,それから希土類のように陽性の強い金属イオンと,窒素,リン,ヒ素,アンチモンのような第5族の化合物もできるようになって,組み合わせの数は圧倒的に多くなります.銅酸化物を振り返ると、最初に見つかったのが214系で,やがて金属材料研究所(当時)にいた前田弘先生がそれとは構造の違う2223系を見つけ,海外で123系の化合物も見つかり,実用化に向けた開発が進んでいます.細野先生の発見を214系にたとえると,今後123系や2223系が見つかる可能性が十分あります.誰がスタートラインから最初に飛び出すかが,今や一番の懸案事項です.

潮田氏 20年前には、北澤さんが最初に飛び出したのですね.

北澤氏 私たちは先陣ですが,1986年から87年にかけて,あらゆる所がワッと飛び出しました.
 今回はなかなか飛び出しません.

潮田氏 日本はそうですね.中国は先に出ましたね.

北澤氏 これはいかんと思って,みんなのおしりを叩いて歩きました.

――日本が飛び出さなかったのはサンプル作りが難しいためですか.

北澤氏 それもあります.もう1つ,1986年に高温超伝導を最初に発見したのはBednorz-Müllerでしたが,他の日本人が最初に名乗りを上げると日本人はしらけるようです.

潮田氏 心理的に舶来思想が受け入れられやすいのかもしれません.

北澤氏 とはいえ,誰が次を見つけるかはとても重要です.前田先生が2223系を発見してくれたおかげで,日本は高温超伝導では一目置かれているわけです.今後もリードし続けるために,やはり2223系に相当するものを見つけてもらいたい.面白ければやりたい人はいるはずです

物理と化学のクロスカルチャーが成果を呼び込む

潮田氏 当時,北澤さんはどのような研究をされていたのですか.
北澤氏 私は東大の田中昭二先生(現超電導工学研究所所長)の下で,1981年から酸化物やフッ化物などの変わった超伝導に取り組んでいました.本当は一番乗りしなければならなかったのですが,先を越されてしまいました.

潮田氏 Müllerたちが研究していることは知っていましたか.

北澤氏 いいえ.彼らが『Zeitschrift für Physik』に出した論文がしばらく埋もれていたのを,日本大学にいらした関沢和子先生が教えてくれました.投稿されたのは1986年4月で,知らされたのが10月でした.それより以前に室温超伝導も含めて,CuCl,CdS,TiB2など,変てこな超伝導体がたくさん報告されていましたが,みんな偽物でした.私は応用化学の出身ですが,物理工学科の研究室に助教授として招ばれました.田中先生が「物理屋にはガリウムヒ素のような二元系が精一杯で,それ以上色々な元素が入っていると手に負えないから」というのが,その理由でした.

潮田氏 物理と化学とのクロスカルチャーが良かった例ですね.

北澤氏 Bednorz-Müllerの論文が出た時,その前に「高温超伝導!」という誤報ばかりいくつも見てきたので,またその類だろう思っていました.卒論生に追試させてみたら,最初の一発から間違いなく超伝導のシグナルが出て,これは大変!ということになりました.Bednorzは化学者で,最初のサンプルは共沈法という非常に難しい方法で作られていました.バリウム(ランタン)と銅の2つの金属を共に水溶液から沈殿させ,双方が混ざった水酸化物を焼いて酸化物にしていました.論文には比率が明示されていましたが,実際にはちゃんと沈殿しておらず,その数字は誤りでした.卒論生は,原料粉を取ってきてめのう乳鉢で混ぜるという簡単な方法でやりました.このためBednorzとは違う組成の物ができた.はるかに特性が良く,超伝導とすぐに分かった.

夢を追うシニア研究者と血気盛んな若手の組み合わせ

潮田氏 走査型トンネル顕微鏡(STM)を発見したRohrerは,Bednorzの上司ですね.

北澤氏 IBMチューリヒ研究所にRohrer がノーベル賞に決まったというニュースが届いたその日,Bednorzは高温超伝導の最初の論文を出したいと,上司のRohrerに許可をもらいに行ったそうです.Rohrerは大騒ぎの中でサインをした.そこで生まれた論文が翌年,IBMチューリヒに2本目のノーベル賞をもたらしたのだそうです.

潮田氏 私は一時期、IBMのAlmaden研究所にいました.当時そこの管理職がやってきて,「チューリヒのようにお金をかけていない小さな研究所でノーベル賞が2つも出たのに,ここではこんなにお金をかけていて,なぜ出ないのか」と尋ねてきました.私の友人が答えて曰く「お前みたいなマネジャーがチョコチョコうるさくやってくるからだ」と.Müller は当時かなりの年配で頑固者でした.IBMとしては,大して金もかからないし,面倒だから勝手にやらせておこうという状況だったようです.ほったらかしにしている人が何人かいるのも良いことですね.

北澤氏 STMのRohrer-Binnigの組み合わせも、非常によく似ていますね.Rohrerだけ,Müllerだけでは成果が出なかったはずです.夢を追っているドン・キホーテのようなシニアがいて,一方に何か面白いことがやれないかと思っている若者が1人ずついた.

――Binnigたちは,分野は同じですか.

北澤氏 Binnig-Rohrerは二人とも物理屋です.もっとも装置作りが主ですが.

潮田氏 BCS理論の研究者の組み合わせも似ていますね.Bardeenはおじいさんで、Schriefferはイリノイの大学院生,Cooperはポスドクだったと思います.若者は頑固なおじいさんを見つけて仕事をしに行けば,ノーベル賞の分け前にあずかれるかもしれません.

北澤氏 Schriefferについてですが,Bardeenから超伝導の基底状態のモデルを作れと言われ,色々なモデルを作っては持っていくと,Bardeenがサッと見ては丸めて捨ててしまう.自分は運がないとすっかりしょげ返って,しばらく休暇でデンマークのNiels Bohr研究所に出かけたそうです.帰国直前にある少女を見初め,急ブレーキをかけて車を止め,声をかけました.その両親からは「あと1年経って,あなたが真剣だと言うなら,その時にまた考えましょう」と言われて,その1年間でノーベル賞の素地となるBCS理論を仕上げて,結婚に漕ぎ着けました.できすぎた話なので,ずっとSchriefferの作り話だと思っていました.彼の奥さんはエリザベス・テーラーのような素敵なひとですが,ある日直接尋ねてみたら本当の話でした.そこで私は学生たちに,「チャンスを逃してはいけない.必要な時には必ず急ブレーキをかけなさい」と教えています.実験でも同じことがいえます.

潮田氏 Schrieffer は博士論文がBCS理論だったのですね.

面白い対象には若者は寝食を忘れて打ち込む ―

――若者を駆り立てる原動力は,何でしょうか.

北澤氏 高温超伝導が現れて、学生たちは面白ければ、寝食を惜しんでも研究をするということがよく分かりました.これだけのものは、そう簡単には見つかりません.多くの場合,新大陸が偶然に発見されると,若者はそこに冒険に行きます.山中先生のiPS細胞も大きな新大陸ですから,その分野の若者たちは必死です.

潮田氏 ワッと飛び込みましたね.

北澤氏 日本もそうですが,アメリカはさらに過熱しています.細野先生の高温超伝導も,日本は大分飛び込みましたが,中国,台湾,それからフランスの一部が先んじています.アメリカで飛び込んだのは中国系の研究者たちです.

潮田氏 一番ハングリーな人が、一番先に飛び込みますね.

北澤氏 20年前の私の研究室では,学生たちが家に帰らないので,正月三が日だけは鍵をかけました.ところが元旦に年始詣でのついでに研究室を覗いてみると,学生が4人段ボールを敷いて寝ていました.

潮田氏 それだけ熱意があれば,何か成果が出ますね.

――材料分野全体を見ると高温超伝導に限らず,細野先生に続くようなネタも色々出てきていますね.

北澤氏 例えば,NIMSの佐々木高義さんはナノシートを作って,それを重ねていくという新しい材料の合成手法を研究されています.これまで層ごとの合成は化合物半導体の領域しかできませんでしたが,イオン性の強い酸化物でも可能になっています.細野先生が発見したのはニクタイド層と酸化物層の交互積層で,まさにナノシート法での新材料合成法が適した物質です.今まであまり試されていないので,今後が期待されます.

走るのは化学屋 応援団は物理屋 ―

――物理屋と化学屋がコラボレーションすると,可能性がグンと広がる感じがします.

潮田氏 ナノテクも大変なのは作るほうなので,物理屋は最近劣勢で,仕方なく測るほうに回っています.

北澤氏 物理屋と化学屋とは,運動会で走る子どもと,周りにいる応援団の関係だと思います.走るのは化学屋で,応援するのが物理屋.物理屋だけでは新物質が出ず,化学屋は応援団がいないと走る気がしない.細野先生は物理屋と化学屋の両方の役割を自らの中において,その間を自身の中で飛び歩いてモチベーションを高めていくというタイプ.実は,積層超伝導化合物は細野先生の三本目のホームラン.第一のホームランは,アモルファスなのに導電性の良い透明酸化物半導体フィルム,第2のホームランは,本来絶縁体であるセメント(12CaO・7Al2O3)を透明導電体,さらには金属導電性に変えた仕事です.この物質には陰電荷をトラップしやすい籠のような陽イオンの密度の濃い場所があります.物理屋は,電子を規則的に配置させれば金属になるのではないかと考えます.化学屋は電子をここにトラップさせるには,陽イオンと陰イオンの分布を変える必要がある,そのためにはこうしてみようと発想します.

潮田氏 そこは化学屋的ですね.

北澤氏 物理と化学の合わせ技が,3つのホームランを呼び込んだのです.第1のホームランは非常識ではないけれど,みんながあまり思っていなかったこと.第2のホームランは,言われてもみんなが眉唾だろう,非常識だろうと思っていた.第3のホームランが高温超伝導で,用意周到に準備したというよりはどちらかと言えばまぐれ当たりです.

潮田氏 とはいえ,やはり北澤さんの時と同じで,元からスタートラインに近い所にいたわけですね

議論は思考を研ぎ澄ます ―

――以前,細野先生から,「発見は癖になる.一度当たると次は確率が上がる.そのあたりの経験は人に教えられるはずだ」と,伺いました.

北澤氏 ハングリーに,みんなで議論するのはとても大事ですね.これは,細野先生の研究室やベル研究所の伝統といえると思います.川副先生と細野先生はいつも周囲の人たちと侃侃諤諤(かんかんがくがく)たる理屈を戦わせています.

潮田氏 私は,以前は議論があまり好きではありませんでした.大学院で指導を受けたBurstein先生は,「議論から創造的なアイデアが生まれ,新しい所へ飛躍できる」と考えていました.私が,「今日帰ってからよく考えて,明日ディスカッションしましょう」と言うと,Bursteinは「今やらないとダメなんだ」と.最近は私も,その通りだということが分かってきました.

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北澤氏 ビジターとして訪ねてみると,ベル研究所では,昼食時にはみんなが必ず紙を取り出してメモをしていました.日本では,そんな光景は少ない.

潮田氏 東北大では,教授は自分のグループの人と一緒にランチを食べますが,カリフォルニア大では,オゾンホール研究者のRowlandや,ニュートリノのReinesともよく一緒になりました.2人とも1995年にノーベル賞を受賞しました.他分野の人たちが取り組んでいる研究内容が伝わってきて,議論はとても面白かったですね.人に説明しなければいけない,変わったアングルから質問されるかもしれないとなれば,考える訓練になりますね.

北澤氏 色々な人たちから叩かれていれば,理論武装ができてきます.

潮田氏 日本に帰国して学会で発表しても,誰からもギョッとするような質問が出ることはありませんでした.3年ほど日本にいた後,アメリカで出席したセミナーでは叩かれまくり,これではいかんと思いました.

北澤氏 日本でもハイレベルの物理学者たちは,厳しい議論をしていると思います.

潮田氏 久保亮五先生などは,若者相手でもお構いなしに,いつも怖い質問をしていました.化学の世界では,もう少しおとなしいのではないですか.

北澤氏 化学の世界は,みんなが仲良くなれます.「何度で焼きましたか」と訪ねると,「僕は1400℃です」「私は1250℃で焼きました」と会話が弾み,「今度はこういうふうにやってみよう」となります.物理の人たちは,火花を散らしています.

潮田氏 もし,誰かが「1450℃で焼いた」と言えば,「なぜ1450℃なのか」と突いてきます.それを説明できないと,恥をかくような気がするのです.

北澤氏 物理では,同じ分野の人が議論をするのは結構難しい.小手先しらべで腕前が知れてしまうようなことがあるからかもしれません.若い人と年配者の組み合わせが良いのは,それもあるかもしれません.

国際化すべきか 純血主義を保つべきか ―

――議論に対する考え方の差は,国際化の問題につながりますね.

潮田氏 国際化すると,相手が吹っかけてくるので,議論せざるを得なくなります.

北澤氏 日本の研究機関を一律に国際化する必要はなく,国際化か純血主義か,どちらかに徹底すれば良いと思います.例えば,もう走り始めているNIMSなどは徹底的に国際化したほうがいかもしれません.ヨーロッパは各国の人口が少ないですから,大学や研究所は国際化する以外には生きる道はありません.日本は,地方の研究所が当地の人しか受け入れないとなれば,途端に人選難に陥るので,日本中から受け入れたいというスケールです.

潮田氏 日本はサイズが中途半端ですね.アメリカのように完全にオープンだという所はそれでよいし,ヨーロッパの小国だと世界中から人を採らないといけませんから.加えて学問体系も,明治の人たちが頑張ったおかげで,教科書も日本語なら,教えるのも日本語で,日本人が教えてやっていけるレベルにありますから,意識しないと海外から連れてこようとは思いません.NIMSが2003年に立ち上げた若手国際研究拠点(ICYS)は,そもそも出島を発想したものでした.出島を作って,それを段々と本土に寄せていって,全体をもっと広げることを目指したそうです.ICYS事務局のスタッフは全員英語ができましたが,それを全体に広げるのは大変です.

北澤氏 日本人でも,最近はバイリンガルの人が随分増えています.JSTには事務職員しかいませんが,先代理事長の英断で,ここ6,7年は英語と日本語ができることを,採用の最低条件にしています.JSTは様々なバックグラウンドの人たちを集めるので,唯一客観的にできる試験と言えば,英語だけです.

潮田氏 国際化には時間かかりますね.日本では,定年まで人を辞めさせられませんから,徐々に浸透させていくしかありません.

北澤氏 国際化が良いか悪いかは,いくら議論しても尽きません.それぞれの組織で全員がサイコロを振るなどして,決めたら一斉にその方向に向かってはどうかと思います.人事も国際標準になれば,実力主義で世界中から優秀な人を募ることになるでしょう.

潮田氏 日本語圏だけでがんばろうとしても,どこからでもベストの人を採用するというアメリカ相手では競争になりません.対局に,気の合う人間だけで静かに住もうという選択肢がありますね.

北澤氏 その場合には平均能力はやや劣るかもしれませんが,みんなで仲良く,しかし,効率の高い研究成果を出そうということになりますね

潮田氏 中間は難しいですね.

――本日は,若い人の刺激になるお話をありがとうございました.

(2008年7月21日,科学技術振興機構東京本部にて収録)