NanotechJapan Bulletin

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Vol. 1, No. 8, 2008年12月22日発行/新世代バイオミメティクスの振興を目指して

NanotechJapan Bulletin Vol.1, No.8, 2008 発行

インタビュー 新世代バイオミメティクスの振興を目指して — 東北大学教授 下村 政嗣さんに聞く

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失われた正のループ

 新記録ラッシュで日本競泳界に衝撃を与えたSpeedo社の水着LZR RACER®.ハニカム構造の表面がもたらす撥水効果に加え,鮫の肌を模して配された溝が乱流の摩擦抵抗を抑える.生体の構造や機能に着想を得る材料開発「バイオミメティクス」の成功例だ.「Speedo社Aqualabのホームページによると,ロンドン自然史博物館とかNASAとか,生物屋,物理屋,シミュレーションができる人などが,総合的な共同研究をやっていると書いてあります」.自己組織化を用いた材料の研究を行う下村政嗣氏はそこに,従来とは異なるバイオミメティクスの在り方を見る.イギリスを中心に欧米で先行する新しいバイオミメティック・エンジニアリングについて,下村氏に聞いた.


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 「バイオミメティクスという言葉は,1950年代後半に神経生理学者のOtto Schmitt(電気回路で有名なシュミット・トリガーの発明者)が提唱しました.その後の70年代に,化学の分野ではバイオミメティック・ケミストリーといって,世界的にいろいろな研究が行われました.X線構造解析で酵素の活性部位の構造がわかってきたので,それを有機化学的に再現して,X線構造解析の結果が正しいかどうかを検討するような交流があった.生化学者と有機化学者と構造をやっている人たちとが,連携を組める場があったのです」.当時は,生物から化学へ,化学から生物へというフィードバック,下村氏が言うところの正のループがあった.だが,その後の構造解析技術と遺伝子研究の発展に伴い,もはや生物学者は有機化学的な手法を必要としなくなり,化学者もまた,より精緻な超分子化学や自己集合体の化学へと進み,両者の交流が失われたと下村氏は指摘する.

新しいバイオミメティクスの登場

 一方,LZR RACER®の例にあるように,欧米では生物学者,物理学者,機械工学者などの連携によるバイオミメティクスの流れが今日に至るまで続いている.「これは文化の違いだと思います.欧米では物理も化学も数学も生物も同じ自然科学であって,生物屋でも素養として物理のことがわかるのです.我々が学生の時代には,理系における生物学の教育は全くなされていませんでしたし,DNAが大事だという話になってきたら,今度は逆に生物ばかりやっている」.欧米に見られる異分野間の交流は,この十数年でいくつかのバイオミメティックな新規材料を生み出した.蛾の目を模したモスアイ(moth-eye)構造は光を全吸収する.蓮の葉表面をまねた超撥水機能(lotus effect)や,モルフォ蝶の羽に学んだ構造色.これらはすでに製品化されている.新しいところでは,ヤモリの指先に倣った接着テープ(gecko tape)が,粘着材を用いないファンデルワールス力による吸着を実現している.

 「こうした機能はすべて,動植物の表面のマイクロからナノにかけての微細構造が効いているのです.実は彼らが持っている構造は非常に似ていて,その表面に何が来るかで変わってくる.たとえば水がくれば撥水性を示すし,光がくれば全部吸収するとか反射してしまうとか.要は,外から来る物質でも,エネルギーでも,それよりもちょっと小さい構造があれば,何か特異なことが起こってくるのです」.実際,モスアイ構造では数百nmの突起の配列が,lotus effectではサブミクロンからナノにかけてのフラクタルな凸凹構造が,gecko tapeでは密集した長さ数百nmの樹脂の毛が,機能の起源となっている.

自己組織化に基づいたバイオミメティック・エンジニアリング

 こうした微細な構造は,ナノテクノロジーの発展とともに可能になったものだ.その多くはリソグラフィやエッチングといったトップダウン方式によって作製されている.だが下村氏は,イギリスでバイオミメティクスを牽引するBath大学の生物学者Julian F. V. Vincentの言葉を引いて,自己組織化を用いたバイオミメティック・エンジニアリングを提案する.「Vincentの分析によれば,今のエンジニアリングが使っているのは圧倒的に『エネルギー』なんです.けれども,生物はその構造を作り出すのに『エネルギー』はほとんど使わずに『情報』や『構造』を利用している.さらに彼は,『生物の特徴で重要なのは階層構造で,それがいろいろな機能を引き出しているのだから,材料の研究者はそういうものを作らなければいけない』とも言っています.バイオミメティック・エンジニアリングを真に革新的な生産技術として確立するためには,自己集合と散逸構造を組み合わせた自己組織化をうまく使って,階層的に構造化した表面を作る技術を開発しなければなりません」.


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 下村氏はこれまでに湿式製膜の過程過で結露し整列する水滴の自己組織化を用いて,ハニカム構造を持つ高分子フィルムを作製する技術を開発している.湿度や温度,溶媒の蒸気圧などを制御することで細孔径を制御でき,高分子溶液濃度や基板の種類によって孔の貫通・非貫通の制御も可能だ.ハニカム様多孔質高分子フィルムはすでに,癒着防止剤や細胞培養基材などの医療材料として応用が進んでいる.

新しい機構で新しい機能を

 下村氏らはこれと並行して,ハニカム様多孔質高分子フィルムに無電解メッキを施した有機-無機ハイブリッド材料を開発した.メッキ液のアルコール濃度を変化させることで,任意の割合で細孔内部を部分的にメッキすることができる.メッキしたフィルムの上部を剥離することで,高分子の針山構造がもたらす撥水効果と金属相による吸着性という相反する性質を備えた,超撥水高吸着の表面を作り出すことに成功した.「これは金属ですから,電流を流すことができます.回路を作って電流を一瞬流してからフィルムをひっくり返すと,電気で接着したような感じで水滴は落ちません.つまりこれは,水滴のマニピュレーションができたことになるわけです」.

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 近年,MEMSの世界ではデジタルマイクロ液体デバイス(digital micro fluidics device)における液滴の操作が求められている.

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 また,エレクトロウエッティング(electrowetting-on-dielectrics)という現象を利用したナノバッテリーも登場するなど,液滴の操作は今後の発展が期待される研究課題と言える.ナミブ砂漠に生息する甲虫ゴミムシダマシは,体表面に親水性の突起を持ち,霧を集めて水滴にしては撥水性の体表面を転がして口元まで運ぶ.これに倣った集水機能を持つ材料が開発されるなど,環境分野での応用も期待される.「私たちは蓮の葉のことは何も知らずに,ただおもしろいとやってきたのですが,結果として生物もやっていることがわかった.私たちとしては,せっかく自己組織化という新しいパラダイムで作った材料だから,新しい機構で動き,新しい機能を発現するものを作りたいのです.その一番いいお手本が生物だったわけです」.

異分野協力の下で昆虫ミメティックを推進

 日本では失われた正のループを取り戻すべく,下村氏は昨年6月に東北大学で「昆虫ミメティクスとナノマテリアル」というシンポジウムを開催した.「昆虫ミメティクスというのは,今までのバイオミメティック・ケミストリーとはちょっと違った流れにしたいので,必ず昆虫学者と材料の研究者と,それから企業の人を入れて,産学連携でやるべきだと考えています.たとえば究極まで行くと,ひょっとしたら昆虫はメタマテリアルを持っているかもしれない.だけど昆虫学者はメタマテリアルを知らないから,材料屋はそれがあることを一生懸命発信する.そうすると昆虫をやっている人は,今までわからなかった昆虫の機能がわかってくるし,それがまた新しい材料への要求につながる.そういう正のループができるようにするためには,人をつなげる仕組みが大切ですね.

 欧米が先行するバイオミメティック・エンジニアリングに後れを取らないためにも,生物学・材料科学・光学・流体力学など複数の分野が連携する必要性を下村氏は強く訴える.

参考文献

[1]「昆虫に学ぶ新世代ナノマテリアル」 (独)科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業と東北大学多元物質科学研究所主催によるシンポジウム『昆虫ミメティクスとナノマテリアル』(2007年6月20,21日開催)を講演録として編集,ネヌ・ティー・エス(2008)

[2]「ヤモリの指」ピーター・フォーブス著,吉田三知世訳,早川書房(2007) Tom Mueller, ”Biomimetics, Design by Nature”, National Geographic Magazine April 2008

[3]「バイオミメティックスハンドブック」バイオミメティックスハンドブック編集員会 長田義仁編集代表,ネヌ・ティー・エス(2000)自然と生体に学ぶバイオミミクリー ジャニン・ベニュス著,山本良一・吉野美耶子訳 オーム社(2006)

参考URL

Moss-eye
http://www.holotools.de/index.html
http://www.mrc.co.jp/press/p08/080116.html
Lotus Effect
http://www.lotus-effekt.de/en/index.php
http://www.aerosil.com/aerosil/de/solutions/effects/lotuseffect/default
http://www.corporate.basf.com/en/stories/wipo/mincor/downloads/index.htmlgetasset=file1&name=BASF_Science_around_us_Mincor.pdf&id=5tNgqCSdLbcp01
http://www.ep.nicca.co.jp/sosuiseiwr.html
Gecko tape
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/2953852.stm
Speedo社
http://www.speedoaqualab.com/
NanoBattery
http://mphasetech.com/