NanotechJapan Bulletin

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Vol. 5, No. 1, 2012年1月31日発行/「ナノネット」と「ナノテクノロジー」次世代のキー技術【放射光研究領域】

NanotechJapan Bulletin Vol.5, No.1, 2012 発行

企画特集 ナノテクノロジー,次世代のキー技術
【放射光研究領域】
グリーンナノテクノロジと放射光−ナノの世界を解明し科学技術の進化をもたらす−
東京大学教授大学院工学系研究科応用化学専攻専攻長 尾嶋正治氏に聞く

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東京大学教授 尾嶋 正治氏

 1974年東京大学大学院工学系研究科合成化学専攻修士課程修了.日本電信電話公社武蔵野電気通信研究所,スタンフォード大学電気工学科客員研究員,NTT研究所を経て,1995年東京大学工学部,大学院工学系研究科応用化学専攻 教授.2006年〜2011年東京大学放射光連携研究機構 機構長.

1.まえがき

 放射光は高エネルギー電子ビームから発生する光で,物質の原子レベルの構造や状態を解析評価する機能を発揮でき,物質科学,生命科学・医学,環境科学,地球科学・宇宙科学,産業利用など各分野での活用が進められ,各分野の発展に鍵となる貢献をするものと期待される.近年では,アジアの発展途上国でも放射光施設の建設を進めており次世代での国力の強化を目指している.

 日本では現在世界1の性能を誇る放射光施設SPring-8を筆頭とする9基の施設があり,科学技術立国の必要性が叫ばれるなか,その施設の充実と活用研究の発展が望まれている.

 今回,兵庫県の播磨にあるSPring-8を訪問し,ここに東大放射光アウトステーションを建設して放射光活用技術の開拓と共にこれを活用したナノテクノロジーの解明に取り組んでおられる東京大学教授大学院工学系研究科応用化学専攻 専攻長 尾嶋正治(おしま まさはる)氏(前日本放射光学会会長)を訪問し,放射光研究の現場において,放射光がナノの世界を解明する具体的様子を伺った.

 なお,この取材には,ナノテクノロジーネットワーク関係者として日本原子力研究開発機構 量子ビーム応用研究部門 副部門長 水木純一郎(みずき じゅんいちろう)氏(現日本放射光学会会長)にも同席していただいた.

2.放射光施設SPring-8 とは

 放射光施設SPring-8は,山陽新幹線の相生駅から車で北へ向かい,トンネルを抜けたところに広がる播磨科学公園都市の中にある.自然豊かな公園の雰囲気の中に横たわる平屋の建物に入り,鉄の重い扉を開くと,天井の高い広い空間に大型の最新鋭実験装置が立ち並ぶ.その背後の厚いコンクリート壁の向こうに超高速で電子が走るリングがある.

 放射光施設の構成の概念図を図1に示す.真空空間で電子銃から放出された電子は直線加速器(ライナック)で高周波の交流電場により加速され,シンクロトロン(円形加速器)を周回しながら更に加速された後,蓄積リングに投入される.この時の電子の速度は光速の99.999999%で,偏向電磁石の磁界により進行方向が曲げられ,その繰返しで円形リングの真空パイプ中を周回することになる.この電子の流れの向きを曲げた時に曲げられる前の進行方向,即ちリングの接線方向に放射光が放出される.放射光は赤外線からX線までを含む広い波長帯域の光である.この光はビームラインを通って放射光を活用する実験装置に導かれる.なお,蓄積リングにはアンジュレーターと呼ぶ磁極の向きを交互に変えた磁石列を配置した装置を設置して,電子がそこを通過する時に蛇行してその進行方向に強い放射光を発生する仕組みになっている[1].


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図1 放射光施設の構成概念図(出典:参考文献[1]の図1-12)


 SPring-8は蓄積リングの周長が約1.5kmであり,電子エネルギーは世界最高の8GeVである.また,周長が長いほど電子ビームを細く絞ることが出来,放射光の発散角も小さく,指向性の高い輝度の高い放射光がえられるとのこと.SPring-8は1997年に建設されて以来,その輝度およびエネルギーにおいて世界トップの座を誇っている.なお,運営は施設者の独立行政法人理化学研究所(理研)が行い,運転・維持管理及び利用促進業務は理研から委託を受けた財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている[2].

 放射光は,物質の構造や物性を分析し機能や性質を解明する強力な手段を提供し,物質・材料の基礎研究から材料・デバイスなどの研究開発に貢献する.X線には波動性と粒子性があり,前者を活用すれば物質の構造が分かり,後者を利用すれば物質の電子状態が分かる.

 粒子性を活用する場合,X線のエネルギーが大きく原子核を回る電子軌道の内一番内側の電子軌道を回る内殻電子を叩きだす場合と外側の軌道を回る価電子を叩きだす場合がある.叩き出された電子を光電子と呼び,その光電子のエネルギーを調べることにより,前者であれば化学結合に与る電子の結合エネルギーが分かり,後者であれば物性や機能を左右する価電子帯のエネルギー準位が分かる.この光電効果を利用した分析法が,光電子分光である.電子を叩き出すより低いエネルギーのX線では,原子内の電子準位間の電子遷移が起こりその際に出る光を測定する発光(或いは蛍光X線)分析,および,X線を吸収するエネルギー分布を測定する吸収分光がある.もちろん,高いエネルギーのX線の場合でも発光分光,吸収分光の測定が可能である.

 こうした分光法により半導体,金属,超伝導体,触媒,さらには磁性材料などすべての物質を電子状態から解明出来,特にSPring-8を使うことにより,微小領域をエネルギー分解能よく調べることが出来ると,尾嶋氏は語る.

3.東大放射光アウトステーション[3]

 東大には,生命科学,物質科学の研究者が多勢いて面白い材料も沢山作られているが,何故その機能や物性が現れるか分からないことが多い.これを解明するのにX線は有効手段であるとの考えの下,東大内に放射光連携研究機構が2006年5月に設立され,尾嶋氏はその機構長となった.この機構では放射光の活用技術の研究と,学内の色々な分野への放射光活用による研究促進が行われている.当初は高エネルギー加速器研究機構の放射光科学研究施設の放射光を使って研究を行ってきたが,SPring-8の世界最高の軟X線を使って一段と高度な研究展開を可能とするべく,資金調達の努力の結果,SPring-8のビームラインを使う東大放射光アウトステーションが全国共同利用施設として実現した.2009年10月9日に完成披露式典が行われ,共同利用を開始した.

3.1 東大放射光アウトステーションの構成と機能

 東大のビームラインはSPring-8において現在使われている54本のビームラインの中で一番長い(約100m)ビームラインである.特徴としてSPring-8の直線部にアンジュレーター8台が設けられ高輝度の軟X線(250eV〜2000eVの領域)を水平・垂直直線偏光および左右円偏光を切り替えて使うことが出来る.この円偏光を活用すれば磁石の極性の違いが分かり,磁区の境界(磁壁)の移動なども検出できる.
 図2に東大放射光アウトステーションの全体構成を示す.ここには,次の3台の特徴ある評価装置が設置されている.


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図2 東大放射光アウトステーション(BL07LSU)の全体構成(出典:SPring8 Web Site)


(1)時間分解軟X線分光実験ステーション(TR-SX spectroscopy)

 蓄積リングを走行する電子は集団(バンチ)を作っており,そこから出てくる放射光は電子集団の通過時間に対応する周期を持っている.SPring-8ではその周期が50psであり,この周期と同期して測定物に変化を起させるパルスレーザー装置と連動して物質の表面などの時間変化の様子を50psの分解能で測定でき,これにより物質の構造が緩和する状態などを見ることができる(ポンプープローブ実験).ただし,電子遷移の様子を見るには更に時間分解能を高める必要がある.SPring-8では,隣接してX線自由電子レーザー施設(愛称「SACLA」)を建設しており,2011年6月にその稼働試験(レーザー発振)に成功しているが,そこでは約200mに亘るアンジュレーターを介して,自由電子レーザー発振を起させ,20fsのパルス周期の高輝度X線が得られるとのことである.これが使えるようになれば時間分解能が現在の3桁以上上がることになり,電子の過渡的様態がすべて解明されることになる.

(2)3次元走査型光電子顕微鏡ステーション(3D nano-ESCA)[4]

 このステーションの特徴は,ゾーンプレート集光を用いて70nmの微小スポット軟X線による走査型電子顕微鏡を実現し,これと光電子放射角度依存性を利用した深さ方向分布解析を組み合わせて物質の化学結合状態・電子状態の3次元空間分布を測定することができることである.

 図3にゾーンプレート集光の原理を示す.回折格子はSi基板上にSiNあるいはSiCの膜を付け,その上にタンタルあるいは金のパターンを作ったもので,回折格子のパターンの領域はSi基板を裏からエッチして除去している.微小スポットを実現できたのは,NTT-AT社に依頼して最外ゾーン幅Δrを35nmとする最高品質の回折格子が得られたこと,およびSPring-8の小さい放射拡散角(高い指向性)のおかげである.即ち,ピンホール(点光源)からゾーンプレートまでの距離pを16mと長くしても直径200µmのゾーンプレートに十分な放射光を当てることが出来,回折格子により被写体までの距離qを5mmに出来た.その結果,幾何学的縮小率q/pに従って直径100µmの点光源は被写体位置で30nmに縮小され,これに回折限界の項と色収差の項が加わって理論予測値と同じ70nmのスポット径が得られた.このようにしてX線の輝度も高まり,世界に誇る高空間分解能と高エネルギー分解能を実現した.

 X線の試料表面走査は,試料をピエゾ(圧電素子)駆動装置でX,Y,Z方向に動かすことで行っている.なおこのスポット寸法の実現は,分析装置を重さ2tの除振台の上にのせるなど,徹底的な除振を行って得られたものである.更に空間分解能を高めるために最外ゾーン幅Δrを17nmにしたものを開発したが,スポット寸法は70nm以下にならなかった.これは,まだ除振対策が不十分との判断で,現在までに原因となる雑音振動を見つけ出して改善中とのことである.

 深さ方向の測定は,X線は試料の中まで入るが,そこで発生した光電子は試料の中を平均で2nmくらいの短距離しか走れないので,光電子の発生位置から表面までの距離が短い物しか検出されないことを利用する.即ち,浅い位置で発生した光電子は,表面に対して斜め方向に向っても表面から脱出できることになる.光電子スペクトルの放射角度依存性を調べることで検出深さを変え(角度分解光電子分光),そのデータを最大エントロピー法で処理することにより,深さ方向の元素分布が得られる.このようにして,3次元空間に含まれる元素の電子状態を全て解明することが出来る.これは科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業CRESTによる研究成果で,すでに論文発表と新聞発表を行っている.


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図3 ゾーンプレート集光の原理(提供:尾嶋氏)


(3)超高分解能軟X線発光ステーション(HORNET)

 このステーションは,気体,液体,固体を問わず,真空中でも大気圧下でも測定できる発光分光装置を備えている.超高真空のX線照射側と大気圧をかけられる試料側の領域との間を仕切る壁に厚み150nmのSiCのフィルムの窓を設け,大気圧領域の試料に照射域の径1µm程度のX線をその窓を通して試料に照射し,励起されて真空側に出てきた光を測定する仕組みになっている.この遮蔽窓が時々壊れて苦労する,という話も聞いた.取材訪問時には,試料として水を採り上げ,水を拡張ナノ空間に閉じ込めてX線照射で飛び出してくる蛍光X線を測定し,水の電子状態のサイズ依存性,および温度依存性を調べていた.

3.2 ステーションの性能とその活用

 以上3ステーションのうち2ステーションで測定評価できるナノ分光法の位置付けは,空間分解能とエネルギー分解能の観点から図4のようになる.図から分かるように塗り潰した赤楕円点で示す東大放射光アウトステーションは空間分解能とエネルギー分解能が共に高い.更に角度分解による深さ方向分析や,時間分解のX線分光ができる.これは大型のSPring-8の性能と,その性能をフルに活かす東大放射光アウトステーションの仕組み(3.1項参照)によるものである.尾嶋氏は光学系の設計を可能とするゾーンプレートや,X線を透過するSiC真空隔壁などの部品の性能が特に重要であると指摘された.


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図4 ナノ分光法の位置付け(提供:尾嶋氏)


 このステーションの特徴を活用して尾嶋研では現在次の4件のプロジェクトを走らせている.

1)JST-CRESTの研究領域「ナノ界面技術の基板構築」研究課題"超高輝度放射光界面解析・制御ステーション".
2)NEDOの研究領域「PEFC固体高分子型燃料電池」で"高輝度放射光を用いた炭素アロイ型燃料電池カソード触媒の評価".
3)STARC(株式会社半導体理工学研究センター,半導体設計技術強化を目指し主要半導体メーカー出資設立)共同研究
プロジェクト名"High-kゲートスタック構造のピンポイント放射光解析".
4)内閣府最先端研究開発支援プログラムFIRST"高性能蓄電デバイス創製に向けた革 新的基盤技術"の中で「放射光分光法による蓄電メカニズムの解明」を分担.

 ここまでを東大アウトステーションの現場で伺い,このあと建物内の研究室に移って,尾嶋研究室の放射光利用研究内容を伺った.

4.グリーンナノデバイスの最先端解析

4.1 放射光で狙うもの

 尾嶋研究室では,持続可能社会に向けたグリーン化の課題であるエネルギー問題に焦点を当てて,燃料電池,極低消費電力LSI,抵抗変化不揮発性メモリーReRAM,Liイオン電池を採り上げて放射光の活用による大きな貢献を図っている.

 「見えないものは作れない」とはかつてMIRAIプロジェクトで云われた言葉であるが,「逆に言えば,見えさえすれば解決できる.見えないものを放射光で見たい」と尾嶋氏は語る.例えば,ピコ秒オーダーの解像度での時間変化解析,nmオーダー解像度のピンポイント解析,meVオーダーの電子間相互作用,実環境で動作中のデバイス解析,またコヒーレンスX線によるナノ構造の分析などが出来るようになれば,新しい物理や化学が生まれることになろう.

 研究室としては,第4期科学技術基本計画にあるグリーンイノベーション実現に貢献すべく,発電デバイス,省電力デバイス,蓄電デバイスを21世紀のグリーンナノデバイスと名付けて,高輝度放射光を活用してそれらの進化を促進する研究を続けている.例えば,X線照射による光電子のエネルギー分析を行えば,価電子帯の様子から触媒,金属,超伝導体などの特徴が検出されることにより物質の物性が分かり,また内殻準位を調べるとSiと酸素の結合状態とかSi酸化膜のどこに窒素が入っているかなどの化学結合状態が分かるので物質の状態解明の強力な武器となる.こうした研究は,本郷キャンパスでサンプル作りまでを行い,実験室X線光電子分光装置で予備検討した後,SPring-8で測定を行うという形で進めており,SPring-8での作業効率を上げている.以下に研究室で取り組んでいる主要テーマについて伺った概要を紹介する.

4.2 燃料電池の改良

 固体高分子型燃料電池では特に酸素を還元して水を作る反応を促進する正極触媒に白金(Pt)を多量に使っているが,Ptは希少であり高価である.その上,高分子の膜を劣化させて寿命を縮める原因にもなるという問題がある.これに代わる物として,尾嶋氏は群馬大と東工大と協力してカーボンナノシェルと名付けた新しい触媒を見つけた.グラフェンを直径20-50nmくらいに丸めた形状で,その中には窒素(N)が1%位含まれている.単にフェノール樹脂とフタロシアニンを蒸し焼きにして出来た触媒であるが,Ptと類似の酸素還元触媒性能を示す.

 その理由を解明すべく,放射光による光電子分光とX線吸収分光で,原子の内殻準位と,電子によって占有されている最も高い軌道(HOMO)および電子が空の最も低い軌道(LUMO)などを詳しく調べた.酸素還元触媒作用の強弱がNの入り具合で変わり,図5に示すようにカーボン結晶のジグザクエッジに近い部分にNが多く入ると触媒作用が強く,ジグザクエッジから離れたグラフェン内部に入ったNは効かないことが分かった.更に,日本原子力研究開発機構の池田氏の第一原理計算によりNの存在によりその隣のジグザクエッヂに面している炭素原子のフェルミレベルの近くにHOMOの軌道が二つあり,電子を与えやすいアクティブな状態であることが分かった[5].Ptの場合も同様にフェルミレベルの近くに電子が沢山存在し,酸素が付着した時に電子を渡して酸素を分解し水にする触媒機能を果たしているため,カーボンナノシェルの場合も同様なことが起こっていると理解された.

 カーボンナノシェルを作る蒸し焼き温度を高くするとグラフェンが大きくなり過ぎてジグザクエッジが少なくなってしまい,またせっかく導入された窒素原子が抜けてしまうが、600℃が最適であることが光電子分光やX線吸収分光により確認された.またフタロシアニンは鉄を含んでいる。鉄はカーボンナノチューブ合成の触媒であることからも分かるとおり,グラフェンの結晶を大きく成長させるのでジグザクエッジを減らして活性を低下させるものと考えられる.そこで,600℃で合成した触媒から鉄を除去してさらに高い温度で再度蒸し焼きにしたところ,Ptに近い触媒作用が確認された.


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図5 カーボンナノシェルのエッジと窒素Nの位置関係(提供:尾嶋氏)


 さらなる改善を目指して,燃料電池の動作状態でのX線吸収・発光分光を3.1節(3)で説明したステーションで進めつつある.図6にその構成の模式図を示す.真空空間と大気空間を仕切る150nm厚のSiC膜は,カーボンナノシェルに含まれる1%のNを検出するために,NTT-AT社の手持ち技術であるSiNX膜技術を変更して製作依頼したものである.


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図6 燃料電池の動作状態での分析(提供:尾嶋氏)

4.3 3次元ナノ光電子分光が先端LSIプロセス/デバイス設計に進化をもたらす

 低エネルギー,高機能,低価格を求めて超微細化の限界を追求するLSIのプロセス/デバイスの開発において,目に見えない微細領域の製造過程で起こっていること,そのデバイス特性への影響を理解することは,開発促進さらには新技術創出に極めて重要な役割を果たすものと考えられる.尾嶋研究室では東大放射光アウトステーションの3次元ナノ光電子分光機能を適用して次の2例に示すように微細デバイスの改良の鍵となる研究を進めている.

 (1)メタルゲート(TiN)/高誘電体ゲート絶縁膜(HfSiON+SiO2)/SiのMOS構造のトランジスターをCMOS回路のnMOSとpMOSトランジスタに共通にするため,pMOSトランジスタのメタルゲートと高誘電体膜の間にAlOX薄膜を挿入し,実効仕事関数を制御する構造を検討した.このデバイスの裏面のSi基板を機械研磨+化学エッチングで取り去り,裏面から放射光を高誘電体絶縁膜に当て,絶縁膜内の元素の分布を光電子分光で調べたところ,AlがSiO2膜に接する所まで出てきている予想外の現象を見つけた.この結果を踏まえた仕事関数のシフトの計算値,測定した光電子ピークのシフト,そしてMOS素子での閾値特性のシフトは整合していた[6].LSIのトレンドは高集積化,携帯用途などで低消費電力化への要請が強く,電源電圧を下げることで対応しており,0.5V電源化も研究されているので,閾値電圧設計が厳しくなり,実効仕事関数の制御は極めて重要と考えている.

 (2)図7の左上に断面を示すデバイスについてpoly-Siパターン上にAgを蒸着した後に,A点とB点,即ち表面にpoly-Siパターンの無かったところと有ったところの深さ方向の元素の分布を3次元ナノ光電子分光で測定したところ,図7の右のグラフに示すように,B点では設計通りの多層構造が維持されているのに対して,Agを堆積したHfO2/SiO2/Si基板ではAg薄膜直下にSiO2が偏析していると思われる結果が得られた.原因は分かっていないが,この実験も先の(1)のゲートスタックの解析も,空間分解能が高い故に観測できる現象である.これらの実験結果については米国電気化学会で「Synchrotron radiation photoelectron spectroscopy of Metal gate / HfSiO(N) /SiO(N) / Si gate stacks」というタイトルの論文発表を行い,2011年10月11日の220th ECS MeetingでBest Paper Award を受賞している.


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図7 平面パターンに影響される深さ方向構造分布の3次元ナノ光電子分光による評価(提供:尾嶋氏)


4.4 抵抗変化不揮発性メモリーのメカニズムを解明して新しいメモリー開発へ

 次世代不揮発性メモリーとして多くのメーカーが開発している抵抗変化不揮発性メモリーReRAMについて,東大大学院新領域創成科学研究科高木研究室と共同研究で,その動作の解明を行っている[7].今回,2つのPt電極の間を結びメモリーの働きをするナノワイヤにNiOを採用し(図8),これにピンポイントのX線を当て,メモリーとして情報"1"のON状態と情報"0"のOFF状態に対応して電子状態を調べ,前者ではフェルミレベル付近の価電子帯に状態密度(DOS)があって金属であり,後者ではそれが無くなって絶縁体となっていることが確認できた.これは,ON/OFFに伴い,ピンポイントで酸化/還元現象が起こっていることに符合している.

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図8 実験に用いた抵抗変化不揮発性メモリーの表面パターン(提供:尾嶋氏)

4.5 蓄電デバイス:リチウムイオン電池の改善に向けて

 リチウム(Li)イオン電池は出力エネルギー密度が高く比較的高電圧が得られるので,小型機器用電源として用いられている.しかし今後プラグイン型ハイブリッド自動車など,大型蓄電池への適用拡大が望まれている.課題の一つにカソード電極材料のLiCoO2が高価であり,高温で不安定になることがある.これを改善するため高価なCoをFeに置き換え,カソード電極にLiFePO4を用いる研究が行われている.尾嶋研究室では,電池の充放電に伴うFeの3dの電子状態の変化やLiが入ったり出たりする際(LiFePO4⇔FePO4)の電子構造変化をCoの場合(LiCoO4⇔Li0.01CoO2)と比較して調べており,Li脱挿入に伴う電子構造の変化が少ないので,Feの方がより安定性が高いと推定している[8].ただ,Feの方が電池電圧は低いので,これを高める研究を内閣府最先端研究開発支援プロジェクトの一環として研究継続している.2011年8月フランスのグループから,SやFを添加してFeとOの相互作用を減らすことにより電圧を高めるという報告が出されたが、これは上記電子論的な見方と合致するものであった。尾嶋研究室では電子論に基づいてさらに優れた技術確立を目指している.

5.放射光活用によると材料・デバイスの研究開発の展開

5.1 産学連携

 尾嶋氏は放射光活用の研究を進めるに当たり科学と産業とを結び付けることを狙いとし,多くの産学連携プロジェクトを進めている.そして,実効ある成果を生み出すためには,プロジェクトの長期に亘る継続が必要としている.事実,尾嶋研究室では,LSIでは13年間,GaNでは8年間,燃料電池では6年間,Liイオン電池は初めて間もないので2年間産学連携プロジェクトを継続している.共同研究長続きの秘訣は,放射光解析の中から常に新しい発見や技術が生み出され,新しいテーマが生まれ,大学側はいい論文を共著で書き,企業側は特許を生み出す,という研究スタイルにあるのでは,とのことである.長期に亘る共同研究開の状況をLSIの例で表1に示す.


表1 LSI産学連携プロジェクトのテーマと中核技術内容
共同研究:半導体理工学センターSTARC 研究代表者:尾嶋正治氏

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5.2 放射光とスーパーコンピュータの結びつきによる価値の創出

 放射光による光電子分光は物質の電子状態を解明するが,物質の構造を解明するものではない.電子状態を生み出すのは原子の構造であるが,物質の機能,性能を生み出すものは電子状態である.この両者の橋渡しをするのはスーパーコンピュータを駆使して理論計算する理論屋であると尾嶋氏は語る.今や理論屋との共同研究なくして大きな成果は生まれないとも強調する.

 今後放射光を活用する上で,実デバイスを対象とし,材料の不均一性を認識できる事が重要になってくると水木氏はコメントされた.SPring-8に設けられたステーションは現状では70nmの分解能ではあるがピンポイントの電子状態解析ができるものである.図7に示された実験結果はまさにそのことを示す例であるが,尾嶋氏はさらに次の例を紹介された.それは,学生がLSI試料の測定中にデータの異常(不安定性)を見つけたことがあったが,詳しく調べたところそれが試料中欠陥の性質(電子トラップかホールトラップか)や量に依存するものであることを見出し,新しい欠陥定量分析法の開発に結び付いた例である.表1の技術内容変遷の欄4項がこの発見に基づくもので,現在進行中の共同研究のテーマの中の研究項目の柱の一つとなっている.これを欠陥の構造に結び付けるには,今後、第一原理計算を駆使する理論屋との協力が必要という.

 ナノテクノロジーの領域に微細化された物質はバルクの場合と物性が変わってくる.微細化によって変化した物性を評価するためには,また粉末材料の物性を評価するためには(単一触媒粒子の)ピンポイント光電子分光が必須になることを,具体的に燃料電池用原料粉末を示しつつ尾嶋氏は語り,またナノの技術進化により新しい物理,ナノ物理が誕生するだろうと水木氏はコメントされた.ナノテクノロジーと科学が結びついて,日本の材料・デバイス分野が活発化することで,製造企業の雇用も安定化し,若者の理科離れ,技術離れも収まることを期待するとのことであった.

6.むすび

 今回の取材で,放射光が科学・技術の見えない部分に光を当て,その進歩を促進する強力な手段であることを認識した.韓国,中国,台湾,インドなどの新興国,欧米諸国に比較し低迷する日本産業が復活する道は科学技術であるにも拘らず,現在の国内にその方向性が見えず,若者の科学技術離れが甚だしいことは取材先の各先生の共通のご意見である.幸いにして,放射光とスーパーコンピュータは現在のところまだ世界に対して優位であり,その優位性を継続的に高め,またその優位性を有効に使ってナノテクノロジーの展開など科学と産業との結びつきによる産業の競争力を高めて,国力を養うことの重要性に想いを致す取材であった.

参考文献

[1] 日本放射光学会編,"放射光が解き明かす驚異のナノ世界",ブルーバックスB-1737,講談社 2011年.
[2] SPring-8 放射光施設(Spring-8ホームページ)
[3] BL07LSU概要(SPring-8ホームページ)
[4] 堀場弘司,中村友紀,豊田智史,組頭広志,尾嶋正治,"三次元nano-ESCA の開発",PF NEWS Vol. 27 No. 3 NOV, 2009. K. Horiba, Y. Nakamura, N. Nagamura, S. Toyoda, H. Kumigashira, M. Oshima, K. Amemiya, Y. Senba, and H. Ohashi, "Scanning photoelectron microscope system for three-dimensional spatial-resolved chemical analysisモ Rev. Sci. Instrum. 82, 113701 (2011) [6 pages].
[5] Sheng-Feng Huang, Kiyoyuki Terakura, Taisuke Ozaki, Takashi Ikeda, Mauro Boero, Masaharu Oshima, Jun-ichi Ozaki, Seizo Miyata, "First-principles calculation of the electronic properties of graphene clusters doped with nitrogen and boron: Analysis of catalytic activity for the oxygen reduction reaction", Physical Review B, Vol. 80, No. 23, pp. 235410-1-235410-12(2009-12-08).
[6] S. Toyoda, H. Kamada, T. Tanimura, H. Kumigashira, M. Oshima, T. Ohtsuka, Y. Hata, M. Niwa, "Annealing effects of in-depth profile and band discontinuity in TiN/LaO/HfSiO/SiO2/Si gate stack structure studied by angle-resolved photoemission spectroscopy from backside", Applied Physics Letters Vol. 96, No. 4, p. 042905 (2010) [3 pages] .
[7] R. Yasuhara, K. Fujiwara, K. Horiba, H. Kumigashira, M. Kotsugi, M. Oshima, and H. Takagi, "Inhomogeneous chemical states in resistance-switching devices with a planar-type Pt/CuO/Pt structure", Applied Physics Letters Vol. 95, No. 1, p. 012110 (2009) [3 pages] .
[8] S. Kurosumi, N. Nagamura, Sa. Toyoda, K. Horiba, H. Kumigashira, M. Oshima, S. Furutsuki,, S. Nishimura, A. Yamada, and N. Mizuno, "Resonant Photoemission Spectroscopy of the Cathode Material LixFePO4 for Lithium-Ion Battery" J. Phys. Chem. C115, 25519 (2011) [4 pages].


(向井久和)