NanotechJapan Bulletin

 メニュー
      


<第10回>
AFMによる機械的特性の計測評価 ~高分子ナノ材料の力学的特性をナノスケールでマッピング~
東北大学 原子分子材料科学高等研究機構 准教授 中嶋 健氏に聞く

LifeAndGreen.jpg

 

portrait-caption.jpg

 ナノスケールの高分子を混合・結合して作られる高分子ナノ材料は,プラスチック,ファイバー,ゴムなどとして広く活用されている.そのマクロな機械的性質はナノスケールでのミクロな構造や力学的特性で決まる.このナノスケールでの機械的特性,力学的特性の計測評価を,原子間力顕微鏡(AFM)を用いて進めている東北大学 原子分子材料科学高等研究機構 准教授 中嶋 健(なかじま けん)氏を宮城県仙台市の東北大学片平キャンパスに訪ね,研究着手から研究の経緯,計測評価の方法,計測の実例,材料開発への寄与,今後の展開等について伺った.中嶋氏の写真の背後には研究室のAFMが見えている.

 

 

 

 

 

 

 

1.ナノスケール機械的特性計測評価のニーズ

 先ず,ナノスケール表面構造解析の手段として知られるAFMを用いて機械的特性を評価するニーズはどんなところにあるか伺った.これに対し,中嶋氏は自動車のタイヤを例に取り,開発しているナノスケールの機械的特性評価技術の狙いを,ナノスケール計測評価技術との関係で説明された.

 ゴムやタイヤの性能向上には,ナノスケールの機械的特性計測評価が必要になる.ゴム・エラストマーといった材料はソフトマテリアルをマトリックスとする高分子ナノ材料である.構成する高分子自身がナノスケールのものであり,ナノスケールの物質が不均一に入り組んでいる.したがって,これらを評価する手段もナノメートル(nm)の分解能を持ち,不均一な構造を可視化することが求められる.さらにその材料のマクロな物性挙動や特性を予測するには,ナノスケールの構造の各部分の機械的・力学的特性が必要となる.

 タイヤの性能はよく転がる一方,地面をグリップして滑らないことが必要になる.摩擦係数を上げれば,グリップはよくなるが,低燃費には反する.レーシングカーのタイヤは摩擦係数を上げて,地面をしっかり掴む.これに対し,つるつるにすれば燃費はよくなる.ちょうど良いところを求めて,2種のゴムを混ぜ,層構造にする.ゴムにフィラーとしてカーボンブラックを混ぜてタイヤの耐摩耗性を上げることは1904年以来100年の歴史を持っている.カーボンブラックを添加したゴムについてAFMを用いてナノスケールの機械的特性計測評価法で弾性率のマッピングを行うと,応力(S)に対する試料の伸び(ΔL/L)を表わすヤング率(E=S/L/L))の分布が図1のように求められる.図に示す観察範囲は2.0μmである.ヤング率2.0MPa(黄色)のマトリックスの中にヤング率の一桁大きいカーボンブラックの領域(全体の8%)が点在し,その周辺には中間のヤング率を持った界面が存在することが分かる.材料のマクロな弾性率はマトリックスで,強度などの特性は界面で決まるので,フィラーの周辺にできる数十nmの界面を見ることが重要となる.

fig01.jpg
図1 タイヤのゴムの中に点在するカーボンブラックをヤング率の変化として見たAFM像



 ここで,このようなナノスケールの構造観察にどんな手段があるか考えてみる.先ず,ナノスケールの構造観察には電子顕微鏡がある.透過型電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope,TEM)によって,分解能がnm以下での物質の透過像を得ることができる.しかし,電子線の透過能はさほど高くないので,1μm以下の薄片試料を用意する必要がある.加速電圧は高い方が分解能は上がるが,試料の損傷を防ぐため電圧を下げねばならないので,高分子の電子顕微鏡観察は最近になってようやく可能になった.ところが,電子顕微鏡は電子密度を観測し,それを構造に変換する.そのため,同じ高分子でできているカーボンブラックの周りの界面とマトリックスでは電子密度の差がないので,構造の見分けがつかない.

 一方,表面のナノスケール物性の解析には走査型プローブ顕微鏡(SPM)が用いられる.先端を尖らせた探針を用いて表面をなぞるように動かして表面状態を拡大観察する顕微鏡である.最初に開発されたのは近接した物質間に流れるトンネル電流を利用した走査型トンネル顕微鏡(STM)で,開発者のGerd BinnigとHeinrich Rohrerは1982年の開発から4年後の1986年にノーベル物理学賞を受賞している.しかし,STMは電流を利用するから,絶縁材料の観察を行うことができない.このため,Binnigらは原子間力を用いる原子間力顕微鏡(AFM)を1986年に開発した.その後,AFMは表面のナノスケール形状マッピングツールとして普及したが,従来その適用対象は硬い物質に限られていた.

 これに対して中嶋氏らは観察対象の導電性を問わないAFMを高分子などの「ナノ物性評価」ツールとして利用できないか模索した結果,冒頭に紹介した機械的特性計測評価法を編み出した.通常のAFM観察は探針で表面をなぞるのに対し,中嶋氏らは探針で表面を押して観察し,構造を診断するので,AFMによる機械特性計測評価をナノ触診と呼んでいる.

2.材料表面をAFMの探針で押して調べるナノ触診技術

2.1 原子間力顕微鏡(AFM)の原理とナノ触診

 AFMは表面粗さ計の精密なものと思えばよい.カンチレバー先端にSiプロセスで作った探針(プローブ)を付けて試料表面に近づける.針が表面に近づくと引力が働き,試料に接触すると斥力が働く.この原子間力にバランスするようにカンチレバーに力を加える.カンチレバーの背面にレーザ光を当て,反射光を検出して平衡位置を求める.平衡するようにカンチレバーに加える制御信号が試料表面の凹凸に対応する.針はピエゾ素子によって3軸方向に動かし,その移動距離で座標を読み,凹凸信号を画像再生して,ナノレベルの分解能で形状像を得ることができる.図2には,後で述べる,探針に高周波振動を与える機能まで付けたAFMの構成を示した.通常のAFMでは図2の中のPiezo electric actuatorはついていない.

fig02.jpg
図2 高分子のナノスケール力学特性を測定するAFM装置

 AFMでは通常のオペレーションとして,カンチレバーの反りと試料を高さ方向に動かすためのピエゾ素子の変位との関係を校正するためにフォースカーブ測定を行う.カンチレバーの反りΔとピエゾ素子変位zの関係を求めるが,カンチレバーの反りにカンチレバーのバネ定数kを掛ければ力Fに変換されるのでフォースカーブ(正確にはフォースディスタンスカーブ)と呼ぶ.ピエゾ素子と試料の接触点をz0とすると,硬い材料なら図3の破線のようにΔは探針の接触後の変位量z-z0に一致して増加する.ところが軟らかい材料だとΔに到達せず,その差δ=(z-z0)-Δが試料の変形となる.このフォースカーブ測定を二次元的な128×128点で測定する測定モードをフォースボリューム測定と呼び,マッピングに使用される.

fig03.jpg
図3 フォースカーブ



 AFMは原子間力でカンチレバーがシフトするのを利用する.表面形状が分るというのは対象物が硬いことを仮定している.複合材だと硬いところと軟らかいところがあり,軟らかいところは凹むから本当の凹凸は分らない.力を弱くすることで凹凸を見るようにする方法があり,このやり方で細かいところも見えるようにしたAFMも作られている.これに対し,中嶋氏らは変形を積極的に利用し,試料の変形量を測定する.AFMの針の先端は1nmのものもあるが,20nmのものを多く使い,1nmの変形のときは接触領域が数nmになる.

2.2 ナノ触診の発端

 歴史を遡ると中嶋氏は1990年代の後半,西敏夫教授(当時東京大学)の下で,ポリスチレン(PS)/ポリビニルメチルエーテル(PVME)ブレンドの物性を調べていた.当時はまだ,高価であったAFMを導入することができず,自作した.自作した装置は,横方向の動きが思いのほか良くなかった.そこで高分子材料に対して縦方向に力を加えてみたら,AFMはナノスケールで高分子材料の粘弾性を測定するツールになりそうなことが分った[2].その数年後,ゴム状材料のフォースカーブに興味を持ち,ポリイソブチレン(PIB)とPSの混合物をAFMで測定したところ,PIBリッチの部分が凹んで見えた.しかしこれは見かけのものだった.フォースボリューム測定を行い,試料の変形と,変形がない時の真の高さとを同時に解析したところ,真の高さ像(real height image)と試料変形像(sample deformation image)とを求めることができた.凹みと見えたところは実は平坦だったことが分った.図4(a)はフォースボリューム測定から得られた見かけの高さ,(b)は試料変形,(c)は再構成された真の高さ,(d)は解析から得られたヤング率分布である.フォースボリューム像から得られた凹みはほとんどが見かけのもので真の凹みは少ない.見かけの凹みはヤング率の違いによるものだった[3].この研究はナノ触診のきっかけになったもので,西氏と中嶋氏共著の「高分子ナノ材料」の本の表紙を飾っている[4].

fig04.jpg
図4 AFM測定から求めた凹凸とヤング率の分布

2.3 AFMを用いたナノ触診技術

 前述のように,AFMによる表面凹凸測定では試料表面を探針でなぞって行く.硬い試料ならこれで表面形状が求まる.しかし,試料が軟らかいソフトマターだと,カンチレバーが及ぼすようなpN(10-12N,N:ニュートン)からnN(10-9N)の微細な力でも試料の変形は免れない.そこで,AFMを用いたナノ触診技術における測定はAFMのプローブを一ヶ所に当てて,変形量と力の関係を測定し,理論式とのフィッティングで弾性率を求める.通常のAFM測定は横になぞって行くのに対し,高分子の弾性率測定では一点に針を当てて,押して戻すのを繰返す.これによって高分子の構造を探るので中嶋氏らはナノ触診と呼んだが,研究室内ではナノマッサージとも呼んでいる.この押して戻すという動作を,場所を変えて繰返すことにより弾性率のマッピングができる.押して離すという動作のため,弾性に加えて粘性や,凝着力など粘弾性情報をとることができる.表面だけでなく,表面直下(Sub-surface)の情報もとれるから,表面下の構造も知ることができる.探針先端の曲率半径は1?20nm,探針の材料はシリコンや窒化シリコンが多い.先端にCNTやウィスカーを着けることもある.以下に述べる測定方法の詳細はいくつかの文献で紹介している[4][5][6][7][8][9].

 改めて硬い材料と軟らかい材料におけるフォースカーブを図5(a),(b)に示した.図3と異なり,接触点における原子間の引力によりカンチレバーの反り量が負のΔ0になること,探針と試料との凝着の効果が書き加えられている.カンチレバーは試料に接触した点で引力側に反った後,斥力側に反って行く.この状態から試料を離して行くと,カンチレバーは再び引力側に反って行く.そして初期の付着点を越え,最大に反った地点を通過後,0に戻る.最大に反った地点の力が最大凝着力である.

fig05.jpg
図5 ナノ触診AFMの原理



 カンチレバーにかかる力Fはバネ定数をkとすると,

 

formula01.jpg   (1)

である.図3で述べたように硬い材料では,カンチレバーの反り量Δ-Δ0が接触点z0からのピエゾ素子変位量の変化z-z0に比例して増加し,カンチレバーの反り量の変化はΔ-Δ0となる.軟らかい材料ではカンチレバーの反り量が小さく,Δ-Δ0はz-z0に届かない.その差が試料変形量δとなる.

 

formula02.jpg   (2)

 図5(a),(b)より,式(1),(2)を用いて,力Fと試料変形量δの関係が図5(c),(d)のように求められる.一つのフォースカーブ測定から,試料と探針の局所的な力学的相互作用に関する情報として,変形する試料自身のF-δ曲線がひとつ得られ,これは巨視的な応力歪み曲線に相当する.フォースカーブ測定を二次元的な128×128点(装置,実験条件により異なる)で行うフォースボリューム測定から得られるF-δ曲線の集まりを解析して,試料の微細な力学特性のマップを求めることになる.

 探針と試料が弾性接触している時は,半径Rの軸対称な球状の探針が試料にδだけ押し込まれたとするモデルが成立ち,弾性定数Kを用いて,

 

formula03.jpg   (3)

ただし,formula04.jpg   (4)

ここで,E:ヤング率,ν:ポアソン比の関係が得られる.

 しかし,ほとんどの試料では凝着の存在を無視できない.そこで,Johnson,Kendall,RobertsらによるJKR接触理論を用いることになる.この場合,凝着エネルギーをwとして,
formula05.jpg   (5)
formula06.jpg   (6)

となり,探針と試料の接触線の半径aを含み,aを消去することができない.このため,図5(d)のδ対FのカーブとJKR理論とのフィッティングにより,弾性率や真の凹凸を求める.

 以上述べた方法による測定・解析例を図6に示した.イソプレンゴム(IR)とスチレンブタジエンゴム(SBR)のブレンド試料のナノ触診を行い,フォースカーブとJKR理論とのフィッティングを行った.ブレンド試料にはIRの領域とSBRの領域があり,それぞれにおけるフィッティング結果である.破線で表わされる理論曲線は,実線で表わされた実験とIR上(図6(a))でよく一致し,SBR上(図6(b))では若干のずれが見られる.この不一致は粘弾性によるものと考え,破線と実線に囲まれる面積を粘弾性仕事Wとした.IR上ではW≅0,SBR上ではW≅50aJ(a:atto,10-18)である.

 

fig06.jpg
図6 フォースカーブとJKR理論とのフィッティング



 図7はこの結果得られたナノ触診AFM像である.図7の(a)は見かけの凹凸,(b)は試料変形δ,(c)は真の凹凸,(d)はヤング率E,(e)は凝着力w,(f)は粘弾性仕事Wの分布である.図7の(a)と(c)のコントラストは逆転し,見かけの凹凸はヤング率分布に近い.図7(f)の白点と黒点はそれぞれ図6におけるIR上とSBR上のフォースカーブのとられた点に相当する.

 

fig07.jpg
図7 ナノ触診AFM像

3.ナノ触診の適用例

3.1 タイヤゴムのナノ構造解析

 数年前,中嶋氏は次節に紹介するNEDOのナノテクチャレンジで国内のタイヤメーカーと一緒に研究した.タイヤは2種以上のゴムを混ぜて複雑な要求に応える.これにカーボンブラックなどのフィラーを加える.そこで,フィラーの混ぜ方で界面がどう変わるかを調べた.フィラーの粒子の大きさは数nmでその構造をきちんと調べる必要がある.図1のような弾性率像が得られ,界面の観察などから改良策が生まれるという.タイヤメーカーは解析結果を取入れて開発を進め,NEDOの研究成果は新しいタイヤの開発に活かされた.

 タイヤの強度を高めるのに,カーボンの代りにシリカを入れる試みがある.スチレンブタジエンゴムを補強するのにシリカが用いられた.シリカの添加によって補強性,低燃費性が向上する上,シリカは光を乱反射しないのでゴムを好きな色にできる.カーボンは20?30nmの粒子だが,シリカの粒子径は10nm以下である.ところが,ゴムとの馴染みが良くない.そこでシリカ強化ゴムの弾性率マッピングを行って,界面を観察した(図8).その結果,シリカをよく混ぜ合わせるよう,やり方を考え直すことになった.高分子の末端を替え,シリカの表面を改質するという2つの方法をとり.どれだけ替え,改質するかは弾性率マッピングの結果を見て決めた.作り方の改良に,弾性率マッピングが役立った例である.

fig08.jpg
図8 フィラーにシリカを用いたゴムの弾性率像

3.2 精密高分子技術プロジェクトへの寄与

 独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は科学技術戦略推進機構と産業技術総合研究所の共同プロジェクトを組織して,2001年?2007年にかけて高分子材料の共通基盤技術及び高分子材料(構造材料,光・電子材料)の実用化技術開発を行った.中嶋氏はこのプロジェクトに参加し,AFMを用いたナノ力学物性評価システム開発を担当した.装置及び観察手法の開発,実用化技術開発への適用という内容であり,装置の改良も行えたという.プロジェクトでは実用化技術開発チームと連携して実用化技術開発に有用な知見を提供することを目指した[10].

 その一つは山形大学の「可とう性電線被覆材」開発グループとの連携による結晶性ポリオレフィン/エチレン系コポリマー3.7リアクティブブレンドの弾性率像観察である.エチレン系コポリマーは架橋により特性を制御できる.この架橋の前後での弾性率像を図9に示した.架橋前には各成分が部分的に溶け合って元の単体とは異なった弾性率を示し,結晶相は結晶の硬さを失っている.架橋後はゴム部分の弾性率が増加し,結晶相の弾性率も回復する.架橋には混練しながらゴム分子鎖を架橋する,動的架橋という方法を用いているが,ナノ触診はそのメカニズム解明に迫り,材料開発の指針となった.

fig09.jpg
図9 結晶性ポリオレフィン/エチレン系コポリマー3.7リアクティブブレンドの弾性率像



 もう一つの例は同じく山形大学の「自動車用構造材」開発グループとの連携研究である.このグループの作った非粘弾性高分子NOVAはポリアミド(ナイロン)プラスチックで衝撃を与えるとゴムのように振る舞う.すなわち,高速な入力に対してソフトな応答をする.スピードが遅い時に柔らかいというのが普通だが,逆のものができた.このような材料を用いると,人に当った時に衝撃を吸収するような車のダンパが作れる.この特異な性質は2つの材料を混ぜて数十nmの層構造ができた結果である.図10に示す弾性率像(図10右)を見ると,見かけの凹凸像(図10左)の凹んだ部分のゴムリッチ層の周囲に,これより硬いが,マトリックス領域よりは軟らかい中間層が見出された.このような連結構造は他の類似材料に見られないもので,特異な性質のメカニズム解明に役立ったという.

 

fig10.jpg
図10 非粘弾性アロイ(NOVA)の弾性率像

3.3 美容や繊維補強高分子材料にも役立つ

 ナノ触診では高分子材料の微細な領域の硬さが分るのに着目して,ヘアカラーなどを作っている会社から毛髪の断面のマッピングを求められた.普通の髪の毛とパーマネントをかけた髪とで微細領域の硬さがどう変わり,髪の毛のどこが傷んでいるかを見ることになる.弾性率マッピングで育毛剤により髪の毛のどこが補修されたかを調べた.その結果,髪の毛の補修に栄養ドリンク剤に含まれているタウリンが有効なことが分ったが,ドリンク剤を頭にかけるのかと,女性に喜ばれない成分だったので商品にはならなかった.これに対し,茶葉の成分であるテアニンが効くことが分り,こちらは商品になったという.

 プラスチックでは繊維補強プラスチックに適用した例がある.この場合の弾性率マッピングはファイバー表面とプラスチック高分子の親和性を見ることになる.ファイバーと高分子界面の観察例として,カーボンナノチューブ(CNT)を手掛けている信州大の遠藤守信先生の依頼でCNTを混ぜたゴムの評価をした.両素材は親和性が良く数十nmの界面ができ,CNTを増やすと界面だらけのゴムになることが分かった.この強化ゴムは高強度と優れた耐熱性があり,これをシール材として用いることにより石油掘削井戸の掘削範囲が大幅に拡大したという.ナノ触診は極限環境での使用に必要な材料の開発に役立っている.

4.ナノ触診・弾性率マッピングの展開

4.1 技術の普及と貢献を目指して

 東北大学は産学連携推進本部が,毎年「研究シーズ集」を出している.各研究室のシーズを紹介し,これを元に共同研究などが生まれることを期待している.中嶋氏は「原子間力顕微鏡をもとにしたナノ力学物性解析とその高分子材料への応用」と題したシーズ紹介を行った[11].これに対し,研究室には宮城県のゴム関係中小メーカーからコンタクトがあるという.東北大学原子分子材料科学高等研究機構の広報誌「TOHOKU WPI 通信」には2011年に恩師の西敏夫教授と一緒に,「低燃費エコタイヤも免震ゴムも原子分子から」の題で研究の紹介を行った.西教授は当時免震ゴムの研究開発や,その標準化に力を入れていた.この紹介記事の中ではAFMによるナノ力学特性測定を「ナノフィシング」と呼んでいる.これは,AFMによる表面観察ではカンチレバーが上にたわむのに対し,力学特性測定では探針を押し込み,魚がかかって釣り竿がたわむようにカンチレバーが下にたわむことによる命名である[12].

 中嶋氏はNEDOのプロジェクトを始め,多くの企業と共同研究を行っている.業界によっては同業者が一つの研究室と共同研究を行うとその研究室には行かないこともあるが,ゴム関係は同業他社の共同研究先とも組んでいる.中嶋研究室の共同研究先は複数のゴム・タイヤ関係,繊維関係,化学関係,ガスなどのエネルギー関係,美容・化粧品関係など20社以上に及んでいる.

 弾性率測定だけなら一般的なAFMが使える.AFMは普及した過去がありユーザは多い.共同研究先は,当初中嶋氏側に測定・解析を依頼し,その結果を元に新製品開発を行う.メーカーから解析がどのように活かされたかは知らされないことが多い.研究が進むと共同研究先が自分で測定・評価を行うようになる.メーカーが自分で測定・評価から行うようになった後は,材料開発過程だけでなく,測定・評価結果も余り公表しない.測定・評価結果の中に重要なノウハウが含まれるためで,ナノ触診の有効性を示すものと言えよう.

4.2 標準化

 技術の普及に向けては測定の標準化を欠かすことはできない.国際標準化は物質・材料研究機構(NIMS)先端的共通技術部門表面物性計測グループとも協力し,ISO委員会を通して行っている(ISO,International Organization for Standardization:国際標準化機構).ISO TC201表面化学分析の中にSC9 走査型プローブ顕微鏡の委員会が設けられている(TC: Technical Committee,SC: Sub-Committee).NIMSはナノスケールにおけるマテリアル特性評価の標準化作業を行っているVAMAS TWA 29の日本側コンタクトパーソンに指名されている(VAMAS : Versatile Projects on Advanced Materials and Standards,TWA: Technical Working Area).一方,日本学術振興会にはナノプローブテクノロジー第167委員会があり,SPMの基礎技術・応用技術の研究開発,産業界での問題点へのSPMテクノロジーの応用,ISOによるSPM標準化への対応などの活動を行っている.委員の総数は80名で,中嶋氏もその一人で「AFMによる弾性計測ロードマップ」の報告[5]なども行っている.

 標準の測定法となるには誰が測っても同じ結果の得られることが必要になる.標準化作業は,測定法の普及を経て,イソプレンゴムについて持ち回り試験(RRT,Round Robin Test)を行うところまで来ている.12機関での持ち回り試験結果は図11のようにヤング率の平均が2.83±0.39MPaとなった.ばらつきには試料の不均一性も含まれる.この活動が成功すれば初めての日本発ISO文書になるという.

fig11.jpg
図11 標準化活動における持ち回り試験結果

4.3 粘弾性へ測定対象の拡大

 ナノスケールでの弾性率が他の方法で求めたものとどう違うかの問題があるが,経験的にクリアし,信頼性の高い方法として世に広めている.粘弾性についてAFMとマクロ測定の結果が一致する.理論計算も筋道立てれば一致することが分り,接触力学の成立が確かめられた.原子や分子を扱う人と粘弾性を扱う人の扱う対象が離れていたが,AFMによる粘弾性測定はその境界領域に入って行く.

 AFMは探針の先に原子があって,表面上の原子をなぞって行く.両方の原子の間の力を画像化する.力の大きさとしては1pN以下までサポートしている.硬いものを硬いもので触るのがAFMの基本だった.粘弾性測定も同じツールを使うが,高分子は室温で動いている.高分子内で動いている原子を押した時に戻ろうとする応答が弾性率になるから,弾性率は原子の動きに相当する.

 弾性率測定だけなら一般的なAFMが使える.AFMの探針のように圧子を押し込んだ時の力学応答を見るのには硬度計から発展したインデンタがあり,薄膜などのナノスケール力学特性二次元画像をとることができる.一次元の深さ方向応力解析を基にするから,システムが簡単で精度も高い.しかし,インデンタで加える力は,AFMのnNからpNに比べてμNからmNと大きく,空間分解能や力の分解能ではAFMの方が高い.TEMと同じ分解能で直接触れることができるものとしてはAFM以外のものはない.AFMは600万円?3,000万円,インデンタは2,000万円だが,AFMにインデンタを付けると1,000万円位の追加になる.ヤング率の測定範囲はMPa?GPaでゴムなど高分子に適用できる.超音波顕微鏡でAFMを使うと金属など数十GPaの測定ができる.

 一方,AFMではkPaオーダーの測定も可能で,このように小さいヤング率測定は細胞や食品に展開できる.細胞ではその骨格など見ることになる.ゲルも対象になる.細胞は生理食塩水の中にあっても調べられる.マヨネーズの舌触りは粘弾性である.粘弾性から見ると蜂蜜はマヨネーズより硬い.細胞や食品はAFMによるナノ力学物性測定の今後の対象になるだろう.

 粘弾性のときは時間領域の測定が必要になるので改造が要る.粘弾性は温度と時間の影響を受ける.そこで,幅広い周波数でプローブを高速振動させるようAFM装置を改良した[1].図2のように試料表面の3次元走査を可能にするよう作られているAFMスキャナーに小型,軽量で共振周波数の高い圧電アクチュエーターを追加した.20kHzまでの高周波振動を与えることができ,力学的損失のマップの周波数による変化を観察することができる.この装置で,図12のようにナノスケールのイソプレンゴム領域の「島」がスチレン−ブタジエンゴムの「海」に囲まれている状況を明らかにすることができた[1][13].ゴムの非相溶性はある範囲の周波数で走査しないと明確にならない.粘弾性材料の特性は温度と周波数に依存するので周波数帯域が狭いと複数の温度で測定する必要が起る.周波数帯域の広い装置を用いれば温度を固定して測定できるので,短時間に詳細な情報を得ることができ,材料の粘弾性を明らかにするのに有効である.

fig12.jpg
図12 AFMプローブを高速振動させて測定したゴム表面の力学的損失マップ

4.4 数学と材料科学の邂逅

 WPI(World Premium International Research Center Initiative)は文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラムで,平成25年度時点で9拠点あり,10?15年の期間に1拠点当り年13?14億円を投じる.東北大学は従来から磁石など材料が強かった.この流れでWPI-AIMR(Advanced Institute for Materials Research,原子分子材料高等研究機構)が設立されて5年経った.昨年から第II期に入り,新しい視点を入れようと数学と材料のコラボを行うことになった.機構長には数学者が就任している.現在,AIMRは3つのターゲットを掲げる.(1)数学的力学系に基づく非平衡材料,(2)トポロジカル(位相幾何学的)機能材料,(3)離散幾何解析に基づくマルチスケールの階層性材料である.

 中嶋氏は「金属ガラスと高分子ガラスに見られる共通性」を理解しようと,AFMを用いたナノ構造力学特性評価から,両者に約2?3nmの不均一のあることを見出した.それぞれにガラス転移のダイナミクスがあり,図13にはポリスチレンの表面におけるエネルギー散逸の不均一パターンとそれを二値化したものを示している.二値化した画像にCHomP(Computational Holography Project)の提供するツールを用い,数学者と協力して解析を進めている[14].また,引張り試験における応力信号や歪み信号の中に隠された徴候を見出し,ナノスケール弾性力学の知見を加えて新しい材料科学の方向を探ろうとしているとのことである.

fig13.jpg
図13 エネルギー散逸マップと二値化画像[14]

おわりに

 それ自体がナノメートルサイズの高分子は,混合,結合してタイヤなどに使う機能材料となる.その内部の微細構造,力学的特性分布は材料やその応用製品の特性を決め,ナノがマクロに繋がる.横方向になぞって表面構造を観測するAFMの探針で縦方向に表面を叩くことにより,高分子ナノ材料の内部微細構造,特性分布が明らかにされつつある.大学の研究室で生まれたこのナノ触診技術は,産業界に広まり,国際標準化も進んでいる.弾性率分布に始まった測定は,新たな測定機能を取入れて,凝着力,粘性など多くの力学的特性測定へと拡張・展開を続ける.材料科学と数学の邂逅は新しい局面を開きつつある.ナノ触診で得られた情報は既に,新しい高分子材料の開発に繋がっているが,今後のこの技術の展開から新しい材料科学,新機能材料の誕生が期待される.

参考文献

[1] Takashi Igarashi, So Fujinami, Toshio Nishi, Naoki Asao, and Ken Nakajima, "Nanorheological Mapping of Rubbers by Atomic Force Microscopy", Macromolecules, Vol. 46, No. 5, pp. 1916-1922 (2013)
[2] Ken Nakajima, Hideki Yamaguchi, Jeong-Chang Lee, Masami Kageshima, Takayuki Ikehara, and Toshio Nishi, "Nanorheology of Polymer Blends Investigated by Atomic Force Microscopy", Japanese Journal of Applied Physics, Vol. 36, No. 6B, pp. 3850-3854 (1997)
[3] Hideyuki Nukaga, So Fujinami, Hiroyuki Watanabe, Ken Nakajima, and Toshio Nishi, "Nanorheological Analysis of Polymer Surfaces by Atomic Force Microscopy", Japanese Journal of Applied Physics, Vol. 44, No. 7B, pp. 5425-5429 (2005)
[4] 西 敏夫,中嶋 健,「高分子ナノ材料」共立出版 2005年3月25日.
[5] 日本学術振興会 産学協力研究員会ナノプローブテクノロジー第167委員会
  "AFMによる弾性計測ロードマップ"
  http://npt167.jp/roadmap/001.html

[6] 中嶋 健,藤波 想,西 敏夫,"原子間力顕微鏡による高分子材料表面の物性評価",色材 (Journal of the Japan Society of Colour Material),Vol. 81, No. 9, pp. 354-360 (SEP. 2008)
[7] 中嶋 健,藤波 想,西 敏夫,"AFMによるポリマー材料の力学特性評価",顕微鏡,Vol. 44, No. 2, pp. 145-148 (2009)
[8] 中嶋 健,伊藤万喜子,藤波 想,"ソフトマターのための触診技術",化学工業 Vol. 63, No. 6, pp. 463-468 (2012)
[9] 中嶋 健,柳浩,伊藤万喜子,藤波 想,"原子間力顕微鏡によるソフトマテリアルの弾性率定量評価法の開発",真空,Vol. 56, No. 7, pp. 258-266 (2013)
[10] 平成17年度?平成19年度成果報告書「ナノテクノロジープログラム(ナノマテリアル・プロセス技術)精密高分子技術/高機能高分子実用化技術の研究開発 高機能材料の研究開発」NEDO成果報告書 管理番号100012446 (公開日2009年1月9日)
[11] 中嶋 健,"原子間力顕微鏡をもとにしたナノ力学物性解析とその高分子材料への応用",東北大学研究シーズ集2013, p. 173
[12] TOHOKU WPI通信 Vol.3, 2011.2
[13] AIMR Research リサーチハイライト「顕微鏡法:原子間力顕微鏡でゴムを調べる」2013年5月27日
  http://research.wpi-aimr.tohoku.ac.jp/jpn/research/736

[14] 中嶋 健,"材料科学と数学の邂逅",日産アーク Partner, No.234, p.6 (2013 Feb-Mar)
  http://www.nissan-arc.co.jp/partner/partner/%e6%9d%90%e6%96%99%e7%a7%91%e5%ad%a6%e3%81%a8%e6%95%b0%e5%ad%a6%e3%81%ae%e9%82%82%e9%80%85


※図表は図13を除き中嶋氏から提供されたものである.

(古寺 博)

 

 

  

「10-9 INNOVATIONの最先端」 企画特集は, NanotechJapan Bulletin と nano tech のコラボレーション企画です. nanotech2014_banner.jpg