NanotechJapan Bulletin

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<第14回>
新たな分子検出センサーMSSの開発
独立行政法人 物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点 吉川 元起氏に聞く

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 昨今科学技術開発の指針となっている地球環境や人々の生活,医療等の改善を実現して行くためには,改善すべき要因を把握し,人間や機械が理解できる情報に変換するセンサーシステムが必要になる.無数のセンサーが人間社会の至る所で活躍しており,また新たに開発されているが,その中で特定の分子を検出する分子検出センサーは強いニーズがありながら,期待に応える製品開発がなされていない.こうした現状の中で,膜型表面応力センサー(MSS)と名付けた新しい分子検出センサーの研究成果が2011年2月8日に独立行政法人 物質・材料研究機構(NIMS)から発表された.この研究の担当者,NIMS国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(MANA)独立研究者 吉川 元起(よしかわ げんき)氏は,「超高感度ナノメカニカル膜型表面応力センサー(MSS)の開発」により2013年11月に茨城県科学技術振興財団から第23回つくば奨励賞を受賞している.

 今回,吉川氏をつくば市並木のNIMS MANA棟の研究室に訪ね,MSS研究開発の話を伺った.

 

 

1.研究の背景−分子検出センサーの必要性

 分子検出センサーは,調べたい標的分子の存在情報を電気信号に変える装置である.その装置は,標的分子を選択的に吸着する受容体層と,吸着した情報を電気的信号に変換する変換器(Transducer)で構成される.標的物質に合わせて吸着層を変えることで,色々な標的物質を検出するセンサーとなる.

 こうした分子検出センサーへの期待は最近大変高まっている.そのニーズに応えるのはガスセンサーとバイオセンサーである.初めに二つのセンサーが必要とされる背景について述べる.

1.1 ガスセンサーへの期待

 図1にガスセンサーに期待がかかる応用先を示す.極めて広範な分野でガスセンサーへの要望があることが分かる.

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図1 ガスセンサーに期待のかかる応用先 (提供:吉川氏)

 

 吉川氏は,切実なニーズの一例として,地雷の探知の例を説明した.地雷汚染マップを見ると,中近東,アフリカ,東南アジアなどを中心にグローバルに残存地雷が存在し,その数は7000万個以上にのぼり(2011年8月現在),20分に一人の負傷者が発生しているとのこと.地中に残存する地雷の探知に有効なのは地雷探知犬および地雷探知ラットである.地雷探知犬の場合,100%に近い検出率という.しかし,問題はトレーニング費が約200万円/1匹必要で,稼働時間が犬の集中力の関係で1?2時間/1日,耐久性(寿命)が7?8年しかないことである.経済的で簡便な高感度ガス検出センサーが望まれる所以である.

 高感度のガスセンサーについてこれまで多くの研究者が研究開発を競い合っているが,まだ有効なセンサーが現れていない.図2は各種応用例において要求される測定性能とセンサーの現状を示すもので,赤で記された応用で検出できるセンサーが存在しない.1?1000ppt(1ppt:1兆分の1)の領域は犬の鼻しか検出能力のあるものはない.また,卑近な例では,ヒト型ロボットでも目に相当するカメラや耳に相当するマイクはあるが,鼻に相当するにおいを検出する機能は持っていない.吉川氏はつくばエキスポセンターの展示ロボットの例を挙げ,この分野が全く手付かずの分野であることを強調した.

 

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図2 各種好感度測定に求められる性能とセンサーの現状
日経エレクトロニクスDigital ニュース 五感センサ(5):においの活用は宝の山   http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20081120/161529/index.htmlP=1&ST=nedpc
を参照して作成 (提供:吉川氏)

1.2 バイオセンサーの重要性

 日本における医療費は年間約36兆円(平成22年度)で国家予算の約4割に相当する額であり,この額は高齢化の進行に伴い更に増加すると想定されている.その中で特に注目されるのは癌への対策である.図3は癌における早期診断の重要性を示すデータ例である.診断時期と手術後の5年生存率の関係を示している.5年経て癌が再発しなければ,ほぼ治癒したと見なせると云われており,早期に発見できた人は高い確率で社会復帰でき,生産者側に回ることができる.従って全体的な医療費の割合を減らす方向にシフトすることになる.

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図3 医療診断における早期診断の重要性
グラフはアメリカ癌学会の“Cancer Facts & Figures 2012”のデータを基に作成 (提供:吉川氏)

 

 早期発見については,早期受診が叫ばれているが,体調不良に気が付いてから分かることが多い.より早く,気が付かない段階で検出する手段として,呼気の測定での検出が考えられる.犬が癌の患者を感知するという例もあり,呼気で病気を見つけることができれば手軽に検査できる.小型の呼気センサーができれば,携帯電話に内蔵して電話で話をしている間に癌の診断が行われ,警報が出たらその診断結果を病院に送って検査してもらうなどの方法で早期発見ができる可能性がある,と吉川氏は語る.

 もう一つの医療分野で世界的な大きな問題は細菌感染症で耐性菌の発生である.一般に,発症して病院に行くと血液を採り検査機関に送って検査をするが,病原菌を特定する結果がでるまでには3?10日の時間が掛かる.その間医師は経験に基づいて多くの細菌に効く抗生剤を継続して投与することになる.しかし,これが耐性菌を生むリスクを冒すことになる.新たな耐性菌が現れると,これに効く新しい抗生剤を開発するが,これに対してまた耐性菌が現れるという繰り返しが行われている.最近では,抗生剤が全く効かない細菌が現れたという報告が世界の各地で出だしている.2012年のWHO(World Health Organization)のレポートでも,XDR-TB(extensively drug-resistant tuberculosis)という薬の効かない結核菌の報告があり,2013年の論文ではextensively totally drug-resistantと更に「全く薬の効かない」という形容詞付の細菌の報告がある.科学雑誌NatureやScienceでもこの問題の特集を組んでいる.現在はまだ伝染力が低いので事なきを得ているが,一旦伝染力を持つものが現れると大変なことになる.過去の事例でも,1347?51年のペストの流行では7500万人,1918?19年のインフルエンザ(通称スペイン風邪)では2164万人が亡くなっている.現在でも感染症死者数は毎年約1700万人とも云われている.

 抗生剤の乱用がもたらす更なる脅威は,抗生剤は体内の有用な細菌も同時に殺してしまうことである.その結果不可逆的な細菌バランスの崩壊がおこり,アレルギー,喘息,糖尿病,肥満,炎症性腸疾患などが起こり易くなる.Natureに発表された論文のデータ例では,抗生剤の服用回数が7回で幼児の炎症性腸疾患の発生確率が3倍になったことが報告されている[1].こうした細菌のアンバランスは遺伝して引き継がれるので,次世代に負の遺産を残すことになる.

 このように,抗生剤を多用することにより発生する弊害を最小限に抑えるためには,血液検査に時間を掛けることなく,病原菌を即座に同定することができるセンサーを開発し,その細菌に効く薬だけを投与することが望まれる.またこのように病原菌を同定できるようになれば,抗生剤の開発も,特定の細菌に絞ることで効果的になると考えられる.

2.ナノメカニカルセンサーへの期待と動向

 上述のようなセンサーへの要望があってこれまで多くのセンサー開発がなされてきたが,汎用に使えるデバイスは出てきていない.汎用センサーとしては,感度,レンジ,コスト,サイズ,時間,試料調整,測定数,再現性の諸項目をどれもある程度満たしている必要があるが,この8項目のレーダーチャート(後に図7に例を示す)を作ってみると,既存のほとんどのセンサーは,どこかに欠点があって満足なチャートになっていない.この状態を脱却する手段としてナノメカニカルセンサーが取り上げられている.これの代表例がカンチレバーセンサーである.

 カンチレバーは片持ちの梁で,機械工学では色々なところに使われている.AFM(Atomic Force Microscope 原子間力顕微鏡)はその微小スケールでの応用例である.AFMでは梁の自由端に探針を取り付けて物質の表面をなぞることにより起こる梁のたわみを感度よく測定することで,物質表面の形状を把握する.これに対して,カンチレバーセンサー場合は,梁の表面に標的分子を付着させて梁をたわませることで,標的分子の検出を行うものである.梁の表面には,標的分子を吸着する抗体などを含む受容体層が塗布されており,そこに分子が吸着すると,分子同士の反発力などで梁の表面に沿った応力が発生し,これが梁をたわませる.この場合,分子の重力はあまりたわみに寄与していないことは,計算で分かっている.なお,分子吸着により表面応力が発生するメカニズムの詳細には諸説あり,まだ完全には解明されていない.カンチレバーセンサーには図4に示すように複数の梁を配列して,梁ごとに異なる標的分子を吸着する受容体層を塗布して,同時に複数の標的分子を検出するカンレバーアレイセンサーがある.

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図4 カンチレバーアレイセンサーの構成と機能 (提供:吉川氏)

 カンチレバーセンサーには上述のようにピンポイント的に特定分子を検出するものの他に,複数の分子を吸着するパターン認識型の検出を行うものがある.後者は,ガス分子センサーなどによく使われるもので,梁の上にポリマーを塗っておいて,ポリマーがガス分子を吸収し膨張するので,梁の表面に応力が働きたわむことになる.この場合,複数の異なるポリマーを用意し,ポリマーによってたわみ方が変わるので,その変わり方のパターンを調べてガスの種類を同定する.匂いのような何百という分子の成分比で種類が決まるような場合の同定などに有効である.

 なお,上述のようにカンチレバーの梁表面の応力によるたわみによって分子吸着を感知する方法の他に,梁を振動させ吸着物質の重量により振動周波数が変わることを利用した検出方法がある(図5).前者をStatic Mode,後者をDynamic Modeと呼んでいる[3][4].

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図5 カンチレバーセンサーのStatic ModeとDynamic Mode.
参考資料[2]を参考にして作成 (提供:吉川氏)

 

 どちらのモードも,原理的にはどんなものにも使えるが,Dynamic Modeでは,励振させる装置が必要であり小型化が困難なこと,また,血液検査のように液体の中で測る場合は,液体によるダンピングで共振のQ値が下がり,感度が下がってしまう問題があるので,吉川氏はStatic Modeを主に利用しているとのことである.

 梁のたわみを検出する方法としては,光学読み取り方法とピエゾ抵抗を活用する方法がある.光学読み取り方法は,梁にレーザー光を当て,反射光の角度が梁のたわみにより変化するのを検出することで行う.これはAFMで行われている手法であり,検出精度は高く,多くの研究発表がなされている.問題は光学系が必要でコストが高く,小型化が難しいことである.また,血液検査のように不透明な液中では使えない欠点もある.これに代わるたわみ検出手法として用いられるようになってきたのがピエゾ抵抗の活用である.

 ピエゾ抵抗はシリコン(Si)にボロン(B)などの不純物を軽く注入することで,応力が掛かった時にバンド構造が変わり,電気抵抗値が変わるものである.図6の上段にピエゾ抵抗カンチレバーの断面構造を示す.下段はピエゾ抵抗の電気抵抗変化を測定するホイートストンブリッジ回路の回路図である.回路には図中にVで示す電圧が印加されており,対角にある接地に向かって電流が流れているので,図中V1の電位は測定用のカンチレバーと参照用のカンチレバーの抵抗比で決まる値となる.測定用カンチレバーの抵抗値が変化するとこの抵抗比が変るので,V1電位が変化する.従って,V1とV2との電圧差の測定によって,たわみの発生を電圧の変化として検出できる.

 

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図6 ピエゾ抵抗カンチレバーの断面構造(図上段)とホイートストンブリッジによる抵抗変化の測定(図下段)
(出典:図上段は参考資料[5],図下段は参考資料[6]) (提供:吉川氏)

 

 このピエゾ抵抗カンチレバーセンサーは低コスト,小型化が容易,レーザー位置合わせが不要,金属反射膜が不要,不透明溶媒の使用が可能など,光学読み取りカンチレバーセンサーのほとんどの欠点を改善し,その上,大量生産が可能であり,多次元配列のセンサーアレイが容易に構成できるなどの特徴を有している.しかしながら課題は感度が低いことである.長年にわたり,多くの開発者がピエゾ抵抗カンチレバーセンサーの感度を高める努力をしてきたが,感度改善はほとんどの場合数十%のオーダーであり,実用化に向けての大きな妨げになっていた.

 図7は両方式のカンチレバーアレイセンサーの市場適応性評価のレーダーチャートを示している.吉川氏はピエゾ抵抗方式を採用しその欠点である感度を高める手法を追及し新しいセンサー構造を創出した.

 

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図7 ナノメカニカルセンサーの展開 (提供:吉川氏)

3.新センサー追及の道のり

 吉川氏のピエゾ抵抗を活用するセンサーの研究は,東北大学金属材料研究所櫻井研究室で助教をしていた頃の2007年?2008年,スイス・バーゼル大学(Christoph Gerber研究室)の客員研究員になった時に始まった.それまで超高真空下での走査プローブ顕微鏡(STMやAFM)を駆使した表面科学の研究室に居た吉川氏は,そこで初めてピエゾ抵抗カンチレバーセンサーに触れることになった[7].一時帰国中に参加したある学会で,顔見知りであったHeinrich Rohrer博士(1986年ノーベル物理学賞受賞)が訪れて,このカンチレバー構造では感度が上がらないので駄目だと云われ,ダブルレバー構造で感度を上げられるのではないかと提言された.ここから吉川氏とRohrer博士の二人三脚の研究が始まった.

 ピエゾ抵抗カンチレバーは,光学読み取りカンチレバーと共に,主にAFM用途に開発されてきたものである.カンチレバーの感度を決めるたわみの発生状況についてAFMの場合との比較を図8に示す.梁の表面の応力に起因するピエゾ抵抗変化を色で示している.AFMの場合(図のa,b),梁の自由端の探針接続点に加わる力で梁がz方向(紙面垂直方向)にたわむ.x方向(梁の長さ方向)の表面応力σxに対してそれと直角のy方向の表面応力σyは無視できる値である.即ちx方向だけの一軸性の応力であり,特に固定端に近い方で大きくなる.図bに示すようにその固定端に近い部分を細くすることで,その部分にさらに応力を集中させることができる.一方,カンチレバーセンサーの表面応力は梁の表面全面で起こるため,σxとσyに差が無い.ここで,ピエゾ抵抗の材料特性について注意する必要がある.産業的に重要であり,ピエゾ抵抗係数が非常に大きいSi(100)を利用する場合,応力による抵抗変化(センサーシグナルの大きさに対応する)は,σxとσyとの差によって与えられる.そのため,カンチレバーセンサーへの表面応力印加時のようにσxとσyとの差が無い場合,図dのように固定端近くを細らせるなどしても,原理的にほとんどシグナルが得られない.

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図8 AFMとカンチレバーセンサーの表面応力分布の違い (提供:吉川氏)

 

 これに対して,Rohrer博士が提案したダブルレバー構造をカンチレバーと比較して図9に示す.梁を上から見た図であり,色は印加された歪みを示している.ダブルレバーは大きいカンチレバーと小さいカンチレバーの自由端を結合した形をしている.この場合,大きいカンチレバーのたわみが,小さいカンチレバーの自由端付近を押さえるように作用し,小さいカンチレバーにはAFMのような長さ方向だけの一軸性の応力が発生することになる.従って,梁にくびれ部分を形成することで,応力の集中による応力の増幅を起こすことができる.

 

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図9 カンチレバー(上2つ)からダブルレバー(下2つ)への変身.
いずれも上面の形状.色は印加された歪みを表す. (提供:吉川氏)

 

 吉川氏はRohrer博士の提案を受けてダブルカンチレバーの構造解析を始め,パラメータ設計や構造の在り方の検討を進め,Rohrer博士と議論を重ねた[8].そのメールのやり取りは515通,FAXは50通以上に及んでいる.また,スイスのチュ−リッヒ湖畔の博士のご自宅で何度か朝から晩まで議論したこともあるとのことである.デバイスサンプルの試作に関しては,博士の紹介で,優れたMEMS技術を持ち,火星探査機搭載用AFMも手掛けたスイス連邦工科大学ローザンヌ校(Ecole Polytechnique Federale de Lausanne:EPFL)との共同研究を行い,製作を依頼した.EPFLにはMEMSのカンチレバーを利用する商品で"Akiyama Probe"として知られているMEMSプローブ開発者の秋山照伸博士がいて,一緒に仕事をするようになった.

 ダブルレバー構造にすることで,感度向上の目途がたったが,この形は非対称であり,製作も必要以上に困難である.そこで考えついたのは,ダブルレバーの小さい方のレバーを,大きい方のレバーと並べるのではなくて,大きい方のレバーの延長上に向き合うように接続する方式である.この構造は,カンチレバーの定義(片持ちの梁)に反する構造ではあるが,構造力学的な動作機構は同じである.図10は,カンチレバー(a)から始まって,ダブルレバー(b),ダブルレバーの変形の両端固定構造(c)へと構造進化の過程を示している.円形の拡大表示部分がピエゾ抵抗で,(b),(c)では梁部分で発生するたわみによる応力が細いピエゾ抵抗部に集中した一軸性の応力となり,ピエゾ抵抗が大きく変化する.ピエゾ抵抗変化の様子は色で示している.(c)の構造では,空間的自由度があり,標的分子の量が多い場合であれば,梁の幅を広くして標的分子吸着面積を大きくすることにより,更に感度を高めることができる.

 

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図10 ピエゾ抵抗センサーの構造の進展経緯 (提供:吉川氏)

 

 ここまで来て,より感度を高める手段として,(c)構造で固定の片側だけに形成していたピエゾ抵抗部分を対向する両端に付けることを考え,更に両側の空いている辺にもピエゾ抵抗による応力検出部分を設け,4か所のピエゾ抵抗で形成するホイートストンブリッジ回路を形成することにより,高感度に標的分子吸着を検出する構造(d)に到達した.この構造で構成するセンサーを膜型表面応力センサー(Membrane-type Surface stress Sensor, MSS)と名付けた.以下このセンサーの概要を説明する.

4.膜型表面応力センサー(MSS)の構成と特性 [9][10]

 図11に試作したMSSの構成を示す.センサー全体は厚さ約300 µmのSOI(Silicon on Insulator)基板上に形成されており,中央の受容体を被覆して標的分子を吸着する円形領域およびその周辺4か所のピエゾ抵抗素子R1?R4部分は,バック・エッチにより基板部分を削り取り,2.5 µm厚のシリコン(Si)膜となっている.なお,Si結晶膜は(100)面であり,ピエゾ抵抗は[110]方向に電流が流れるように形成されている.ピエゾ抵抗はSi結晶にBを適度にドープして形成した.ピエゾ抵抗部分,およびホイートストンブリッジ回路を形成する周辺の電気配線部分は絶縁膜によって被覆されている.VB端子とGND端子間に電圧を印加し,ピエゾ抵抗素子の抵抗値の変化を,対角線上にある二つのVout端子間の電圧の変化で検知する仕組みである.

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図11 MSSの構成 (提供:吉川氏)

 

 このピエゾ抵抗の抵抗値の変化は,電流をx方向に流す場合は(σx−σy)に比例する.図11の構成では,R1とR3はx方向に枠と標的分子吸着膜とを橋渡しし,折り返して電流が流れるようになっており,x方向にたわみが大きいので抵抗変化ΔR1とΔR3は主にσxに比例する.一方,R2とR4はy方向に枠と検体分子吸着膜を幅広に橋渡しし電流を幅広の横方向であるx方向に流している.この場合y方向のたわみが大きいので,σxに比べてσが大きくなり,ΔR2とΔR4では−σが効くことになる.印加電圧VBをR1とR2で分割する出力端子Voutの電圧は,増減が逆のΔR1とΔR2とが相乗効果を発揮して変化する.また,印加電圧VBをR4とR3で分割する出力端子Vout端子の電圧も同様にΔR4とΔR3とが相乗効果を発揮して変化する.ここで,両Vout電圧の変化の方向が逆であるので,両Vout端子間電圧の変化は足し合わされる.結局,4つのピエゾ抵抗の変化はすべてプラスに貢献して感度を高めることになる.

 MSSの特長の一つは,MEMSを使って簡単に集積できることである.当初の動作確認の段階の第1世代では,MSSを1チップ内に1次元に並べていたが,第2世代では2次元アレイにしている.この間に,ピエゾ抵抗の感度を高めるためにその表面の保護膜をSiO2からSiNに変えて薄くしてたわみ易くし,また,Bのドーピングも拡散方式からイオン注入方式に変えてドーププロファイルを変更するなどの改良も行っている.図12に第2世代MSS搭載チップ写真とその中の一個のセンサーの走査電子顕微鏡像を示す.

 

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図12 第2世代MSSアレイ搭載チップ写真および1個のMSSの走査電子顕微鏡像
(出典:参考文献[10]) (提供:吉川氏)

 

 図13に,カンチレバー,第1世代および第2世代の特性を比較実測した例を示す[11].ガス分子を吸着する受容体層として,ポリマー層を被覆したMSSを用い,窒素ガスの中に特定時間だけ水蒸気が含まれるようにして,H2O分子を検出した例である.グラフの縦軸は各センサーのホイートストンブリッジからの検出電圧であり,カンチレバーの0.5 mVに対し第1世代MSSでは12 mV,第2世代MSSでは50 mVであり.第2世代のMSSでは,カンチレバーの100倍程度の感度が実現している.また,MSSの膜のダイナミックな動きは,現在のところ日本に一台と云うデジタルホログラフィック顕微鏡(垂直方向解像度0.2 nmでリアルタイム観測可能)[12]で観察している.図14はその写真である.自由端を有する構造のカンチレバーセンサーの場合は気流の変化(送風)によって大きな擾乱が起こるが,MSSでは安定な測定が可能なことも確認できた[13].
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図13 カンチレバー,第1世代MSSおよび第2世代の検出特性の比較.
窒素ガス中に,一定時間混入させた水蒸気を検出した例. (提供:吉川氏)


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図14 デジタルホログラフィック顕微鏡写真.
受容体としてポリマーをコートしたMSSが吹きかけた息に反応している. (提供:吉川氏)

5.MSSの実用化に向けて

5.1 受容体層の形成と第3世代MSS [14]

 吉川氏は,分子検出センサーの開発の目標として,何時でも,何処でも,誰でも使えるセンサーの実現を目指している.そのためには,感度と共に,経済性,安定性,手軽に使用できることなどの条件を揃って満たす必要がある.その実現を狙って,現在第3世代MSSの開発を進めている.

 カンチレバーから展開してきたナノメカニカルセンサーは,梁あるいは膜の片面だけに受容体層を被覆してきた.カンチレバーの場合,梁の片面に平面応力が働いて発生するたわみを光学読み取りすることで感度の高いセンサーが実現するので,両面被覆はできない.しかし,MSSのように発生する応力を両端固定の構造体の中に形成したピエゾ抵抗で検出する場合は,両面被覆で膜がたわまなくても,面内応力は橋渡しのピエゾ抵抗部分に集中してくる.これは有限要素解析で確認されている.感度は片面被覆よりは低いが十分高感度のセンサーが可能となる(図15).両面被覆の利点は,被覆工程の単純化と自由度,再現性の向上などである.

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図15 カンチレバーとMSS受容体層被覆法に関する比較.
MSSでは片面/両面の両方で被覆が可能. (提供:吉川氏)

 

 カンチレバーアレイや第2世代MSSでは片面被覆を行って,複数の標的分子に対応する種類の異なる受容体層を一個のデバイス上に形成する多チャンネル型デバイス,即ちAll-in-one-chip方式を指向してきた.これに対し,両面被覆を採用する場合は,1チップ毎に標的分子を特定するOne-chip-one-channel方式の採用が考えられる.これを元に,1チップへの集積MSSの数を抑えて,チップサイズを小型化した第3世代MSSチップも既に作製され,これまでカンチレバー構造では困難であった様々な実験に利用しているそうである.

 All-in-one-chip方式の場合,インクジェット・スポッター等でチップ上に複数の受容体層を作り分けるが,両面被覆のOne-chip-one-channel方式の場合は単にチップを溶液に浸すだけでよく,工程が単純化される.チップの配線数も減り,チップが小型化して歩留りも向上する.即ち生産性が高まり,低コストとなる.また,受容体層を自己組織化で形成するため長時間溶液に浸すことも容易など,受容体層形成材料や工程選択の自由度が高まる.安定性も高まり,標準化もしやすくなる.ただ,多チャンネルの用途には,複数チップを集積する必要があり,システムが若干大きくなる.いずれにしても,最終的な用途に応じてチップやシステムを最適化していく必要があるが,両面被覆にも対応するMSSは,非常に自由度の高いシステム設計が可能である.

5.2 MSSの総合評価と使用実験例

 これまで分子検出センサーの汎用品としての市場適応性評価に関するレーダーチャートを満たすものがなかったことを先に述べた.MSSについて同じ項目を評価したものを図16に示す.各項目のバランスが取れていて,汎用性に優れていることを示している.ピエゾ抵抗型カンチレバーセンサーの最大の欠点であった感度が大幅に向上し,両面被覆や4点支持などで安定性や再現性も高まる共に,もともとピエゾ抵抗カンチレバーの持っていた優位点を更に高めている.特に量産可能で低コストであり,小型で多チャンネルにも対応し,簡便でリアルタイム測定も可能という.

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図16 レーダーチャートに見るMSSの特長 (提供:吉川氏)

 

 こうした特徴を持つMSSをアプリケーションと結びつけることは大きな課題であり,具体的適用対象を狙った幾つかの研究を進行させている.すでに発表できる例をここで紹介する.

 

・呼気による非侵襲性ガン診断について,スイスのEPFL/Basel大学との共同研究を行い,実際のガン患者と健康な人との呼気の識別ができた[15].

・スーパーで売っている肉の臭いを調べたところ,若鶏ささみ,黒毛和牛,豪州産豚,鹿児島産黒豚,国産豚それぞれが異なる臭いを持つことが分かった.測定は,肉の上に窒素ガスを送って窒素ガスに乗って送られてきた臭い成分を検出したものである.

 

5.3 今後の課題

 MSS技術は無限に広がるアプリケーション・ニーズに対応する可能性を秘めている.しかし,そうしたニーズに結びつくためには,先ずは具体的成果が評価できる領域を見つけて実用化の突破口を作ることが望まれるが,まだそうした領域の探索は始めたばかりで,絞り込みを進めていく必要があると吉川氏は語る.

 また,商品化のためにはまだ基礎研究が足りない.特に受容体層についてアプリケーションに対応する受容体層材料やそのコーティング技術,それによる検出感度,再現性などを定量的に保証できる体制を作る必要がある.従って,化学的データの蓄積,要素技術とデータ解析方法の確立が重要となる.また,こうした基盤を基に世界標準の早期確立を図りたいとのことである.

 産業化の条件としては,ユーザーに提供するソリューションの経済性と利便性の実現がある.MSSは従来の分子センサーに比べてこの点で圧倒的に優位にある.それを可能とするのはMEMS技術とLSI技術の活用である.検出した信号をデジタルに変換して目的に応じた処理を行う機能を実現するに当たって,多くのアプリケーションに対応できる汎用性と,特定の目的を効率よく行う専用性との兼ね合いとの中で,戦略的に製品化を検討することを考えている.

6.むすび

 取材の最後に吉川氏がこの研究成果を挙げられるに際して,もっとも苦労された点を伺った.

 吉川氏は,専門分野の異なるカンチレバーセンサーの研究に携わることになったことを始めとし,新しいダブルレバー構造のセンサーの開拓を経て膜構造のセンサーに到達するという,3回の大きなステップを約3年の間に経験しており,各段階が新しい挑戦であった.そのたびに新たな勉強をし,構造や力学特性については合計して1,000回を超える有限要素解析を行い,紙の上でのモデル計算も数百頁に及んだと云う.革新的なものを生み出し,それが真に確かなものであるためには,莫大な努力があったことを痛感した.

 また,吉川氏は研究の展開が素晴らしい人の繋がりと,研究環境にあることの幸せを吐露された.スイスのバーゼル大学(特にGerber教授,Lang博士)やEPFL(特に秋山博士,Loizeau博士,Gautsch博士,Vettiger博士,de Rooij教授)というその分野で世界最先端の組織・研究者との連携,Rohrer博士との出会い,それらのきっかけを作った東北大学の櫻井教授,そしてNIMSのMANAでの青野拠点長や中山PIによるサポートや若手に最大限の自由や権限を与える画期的なシステム,さらに同僚や家族を含めた周囲の多大な援助である.

 このようにして出来たMSSは,これまでのバイオセンサーやガスセンサーが達成できなかった領域での分子の検出を可能とする能力を秘めている.その片鱗は既に幾つかの試験的な適用例に見られている.本文で述べた未知の領域ゆえの課題を克服し,人類の社会や生活そして医療に貢献する新しい工学分野が開け産業化が進むことを期待する.

参考文献

[1] M. Blaser, "Antibiotic overuse: stop the killing of beneficial bacteria", Nature Vol. 476, Issue 7361, pp. 393-394 (2011).
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[3] J. K. Gimzewski, Ch. Gerber, E .Meyer, R. R. Schlittler, "Observation of a chemical-reaction using a micromechanical sensor", Chemical Physics Letters. Vol. 217, No. 5, 6, pp. 589-594 (1994).
[4] T. Thundat, R. J. Warmack, G. Y. Chen, and D. P. Allison, "Thermal and ambient-induced deflections of scanning force microscope cantilevers", Applied Physics Letters, Vol. 64, No. 21, p. 2894 (1994).
[5] Aeschimann L, Meister A, Akiyama T, Chui B W, Niedermann P, Heinzelmann H, De Rooij N F, Staufer U and Vettiger P, "Scanning probe arrays for life sciences and nanobiology applications", Microelectron. Eng. Vol. 83, pp. 1698-701(2006)
[6] M. Tortonese, R. C. Barrett and C. F. Quate, "Atomic Resolution with an Atomic Force Microscope Using Piezoresistive Detection," Applied Physics Letters, Vol. 62, No. 8, pp. 834-836 (1993).
[7] G. Yoshikawa, H. Lang, T. Akiyama, L. Aeschimann, U. Staufer, P. Vettiger, M. Aono, T. Sakurai, and C. Gerber, "Sub-ppm detection of vapors using piezoresistive microcantilever array sensors", Nanotechnology, Vol. 20, No. 1, p. 015501 (2009)
[8] G. Yoshikawa, H. Rohrer, "Strain Amplification Schemes for Piezoresistive Cantilevers", 7th International Workshop on Nanomechanical Cantilever Sensors (2010)
[9] G. Yoshikawa, T. Akiyama, S. Gautsch, P. Vettiger and H. Rohrer : "Nanomechanical Membrane-type Surface Stress Sensor" Nano Letters, Vol. 11, No .3, pp. 1044-1048 (2011).
[10] G. Yoshikawa, T. Akiyama, F. Loizeau, K. Shiba, S. Gautsch, T. Nakayama, P. Vettiger, N. Rooij, and M. Aono, "Two Dimensional Array of Piezoresistive Nanomechanical Membrane-Type Surface Stress Sensor (MSS) with Improved Sensitivity", Sensors, Vol. 12, No. 11, pp. 15873-15887 (2012).
[11] Frédéric Loizeau, Terunobu Akiyama, Sebastian Gautsch, Peter Vettiger, Genki Yoshikawa, Nico de Rooij, "Membrane-Type Surface Stress Sensor with Piezoresistive Readout", 26th European Conference on Solid-State Transducers, Procedia Engineering, Vol. 47, pp. 1085-1088 (2012).
[12] Lyncée Tec社ホームページ, http://www.lynceetec.com/
[13] 柴弘太,秋山照伸,Frederic Loizeau,Sebastian Gautsch,Peter Vettiger,Nico de Rooij,中山知信,青野正和,吉川元起, 「気流によるナノメカニカル撹乱のデジタルホログラフィック解析」第73回応用物理学会学術講演会12a-H3-10 (2012)
[14] G. Yoshikawa, F. Loizeau, C. J. Y. Lee, T. Akiyama, K. Shiba, S. Gautsch, T. Nakayama, P. Vettiger, N. F. de Rooij, and M. Aono, "Double-Side-Coated Nanomechanical Membrane-Type Surface Stress Sensor (MSS) for One-Chip-One-Channel Setup", Langmuir, Vol. 29, No. 24, pp. 7551-7556 (2013).
[15] F. Loizeau, H.P. Lang, T. Akiyama, S. Gautsch, P. Vettiger, A. Tonin, G. Yoshikawa, C. Gerber, N. de Rooij, "Piezoresistive membrane-type surface stress sensor arranged in arrays for cancer diagnosis through breath analysis", Technical Digest of 2013 IEEE 26th International Conference on Micro Electro Mechanical Systems (MEMS), pp. 621 - 624 (2013).

 

(向井久和)

  

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