NanotechJapan Bulletin

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<第44回>
ヘルスケア,グリーン,ナノファブリケーションの分野における新技術領域の開拓 ~バイオ3Dプリンタ,エレクトロクロミック調光サングラス,有機正極二次電池~ nano tech大賞 2016 受賞
株式会社リコー 高木 大輔氏,山本 諭氏,野村 正宜氏に聞く

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 第15回 国際ナノテクノロジー総合展(nano tech 2016)(2016年1月27日~29日)のnano tech大賞には,株式会社リコーが選出された.出展586企業を代表する最優秀展示ということになる.受賞理由は,「生体磁気計測技術を用いた神経活動検査装置,細胞を作る3D印刷機,急速充放電が可能な新型2次電池など,幅広い分野におけるナノテク技術の応用を賞す」とのことであった[1].

 今回,nano tech大賞を受賞した株式会社リコーを横浜市の中央研究所に訪問し,大賞受賞の展示の中から,バイオ3Dプリンター,エレクトロクロミック調光サングラス,有機正極二次電池の3テーマについてお話を伺った.リコー未来技術研究所 研究企画室の伊勢 剛(いせ つよし)シニアスペシャリストに展示全体のコンセプトを,続いてバイオ3Dプリンターについて同研究所バイオメディカル研究室の高木 大輔(たかぎ だいすけ)氏に,エレクトロクロミック調光サングラスについて同研究所システムデバイス開発室の山本 諭(やまもと さとし)氏に伺った.最後に有機正極二次電池について,沼津事業所から画像エンジン開発本部 NT開発室の野村 正宜(のむら まさよし)氏にお話を伺った.

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(写真左)nano tech 2016実行委員会 川合 知二委員長(左)とリコー未来技術研究所の源間 信弘所長(右)
(写真右)株式会社リコー 高木 大輔氏(左),野村 正宜氏(中),山本 諭氏(右)

1.リコーの事業領域とnano tech 2016展示コンセプト

1.1 リコーの歩みと事業領域

 株式会社リコーは,理化学研究所の研究開発を工業化するために設立された「理化学興業株式会社」から感光紙事業を継承して1936年に創業,1938年に「理研光学工業株式会社」,1963年に現在の社名になった[2].ジアゾ感光紙を用いた複写機“リコピー”が,事務機分野で一世を風靡したことを記憶している読者も多いだろう.その後もファクシミリ装置,レーザープリンター装置や,それらの複合機能装置などを次々と提供し,OA(Office Automation)化に貢献してきた.

 図1は,リコーの事業領域を描いたもので,オフィス向けのプリンティング・ドキュメント画像機器あるいはサービスが基盤事業になっている.最近は,AM(3D Printing)事業やヘルスケア事業にも参入する等,新分野へも挑戦している.

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図1 リコーの事業領域

1.2 nano tech 2016でのリコー展示

 今回の取材では先ず,リコー未来技術研究所の伊勢 剛氏にnano tech 2016での展示全体のコンセプトを説明していただいた.コンセプトとして「想像しよう 未来の社会をともに ~人にやさしい 地球にやさしい ものづくりをナノテクで~」を掲げて,図2に示した3つの分野,全12テーマを展示した[3];

①人にやさしい“ヘルスケア”分野:再生医療を目指したバイオ3Dプリンター,目への紫外線ダメージを軽減する調光サングラス,生体磁気計測による画像診断

②地球にやさしい“グリーン”分野:リチウムイオンバッテリーとは異なる特徴を持つ二次電池(有機正極二次電池),環境発電(エネルギーハーベスティング)素子である完全固体型色素増感太陽電池,圧力センサーシート(発電ゴム),他

③“ナノファブリケーション”分野:メタル/セラミック/ソフトマテリアル(3D臓器モデル)など特殊素材の3Dプリント技術,立体加工に適したUV硬化インク,他

 

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図2 nano tech 2016でのリコー展示の3分野,12テーマ [3]

 これらの新分野への取り組みは,リコーがコピーマシンやプリンター等の画像機器で長年蓄積してきた技術をベースにした新しい領域への挑戦である.“ヘルスケア”や“グリーン”分野は,研究所としても特に力を入れている.“ナノファブリケーション”分野は,製造業としてレーザ加工や3D造形に以前から取組んでいて,その次世代技術を展示した.

 NT開発室の田中 哲也氏も,「画像エンジン開発本部では,コピー・プリンター機器向けにOPC(Organic PhotoConductor)という有機感光体を開発してきたが,その材料技術の新展開ということでNT(New Technology)開発室で二次電池をはじめいくつか挑戦している」と話された.

2.バイオ3Dプリンター

 リコーでは,プリンターとしてレーザープリンターやインクジェットプリンターを製品化してきた.最近では,立体造形用の3Dプリンター事業にも参入している.さらにはインクジェット技術を活かし,細胞を3次元的に配置するバイオ3Dプリンターの研究を,大学病院を中心にした産官学連携の国家プロジェクトに参画して推進している.その研究開発の中心人物である高木 大輔氏に,現状と将来展望を伺った.

2.1 バイオ3Dプリンターによる心筋細胞の3次元積層体作成

 図3は,バイオ3Dプリンターのコンセプトを描いている.ノーベル賞を受賞した京都大学の山中教授がiPS細胞の技術を樹立し,再生医療への適用が期待されている.ヒト由来のiPS細胞を使って,人体の外で神経細胞,心筋細胞,肝細胞,血球細胞などが作れるようになってきた.以前は,日本の製薬メーカは薬の開発のために,心臓や肝臓の細胞を海外から輸入していたが,iPS細胞の出現で状況は変わってきた.iPS細胞の技術で細胞自体は作れるようになったが,それを3次元的に組立てていく技術は世の中にはまだない.そこにリコーのインクジェット技術を応用しようと始めたのが,バイオ3Dプリンターである.

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図3 バイオ3Dプリンターのコンセプト [3]

 図3の中央部にあるように,黄色・赤色・青色で表現した3種類の細胞をインクと混合させ,3つのインクジェットヘッドから吐出させる.そうすることでブロックを積み上げるように,3種の細胞を3次元の構造体として組立てることができる.バイオ3Dプリンターで作製した細胞積層体は,将来的には心臓の人工臓器や皮膚などの再生医療に貢献できると期待している.また,直近の応用としては,創薬分野での薬剤の効果評価,毒性の判定などが有望と考えている.

 nano tech 2016では,バイオ3Dプリンターで細胞を出力し,細胞を配置しただけでは機能しないので,それをロボットで搬送して“インキュベータ”と称する人体の中と同じような環境に入れ,細胞同士が活性化して繋がっていく様子をバイオ装置内で観察する,という一連の工程をビデオで紹介した.細胞を3Dプリンターで配置していく,という今までの3Dプリンターの機能だけではなく,積層された細胞同士が活性化されてつながっていかないと意味がない.そうした生物学的な研究は,国家プロジェクト(次節で説明)として大学病院の先生方との共同研究で進めている.国家プロジェクトでのリコーの担当は,社内にあるインクジェット技術・インク材料技術・光学技術を応用して,細胞を3次元に組立てる自動化装置の開発,および周辺技術の開発である.

 図4は,ヒトiPS細胞から分化誘導した心筋細胞の3次元積層体を作成する工程を描いたもので,3つの工程からなる[4].先ず第1ステップでは,細胞同士の接着を誘起するタンパク質を細胞表面にコーティングする.タンパク質としては,フィブロネクチンとゼラチンを交互に積層した薄膜を,人工の細胞間物質として機能させる.次の第2ステップでは,接着タンパク質をコーティングした細胞を用いて,バイオ3Dプリンターでパターニングする.最後に第3ステップとして,積層した心筋細胞同士が相互作用を起こして組織全体で拍動が起きるまでインキュベートする.インキュベート条件は37℃,5%CO2,湿度100%で,4日間にわたり培地を毎日交換してインキュベートする.リコーでは,第2ステップのバイオ3Dプリンターだけでなく,第1ステップの接着タンパク質の自動コーティング装置,共焦点蛍光顕微鏡による細胞1ヶ毎の観察評価,第3ステップでインキュベートされた心筋組織の拍動を顕微鏡観察,更に画像解析で可視化まで行っている.

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図4 iPS細胞から分化誘導した心筋細胞の3次元積層体を作成する工程 [4]

2.2 再生医療の国家プロジェクトへの参画

 リコーは,国立研究開発法人日本医療研究開発機構:AMED(Japan Agency for Medical Research and Development)が主導する国家プロジェクトに積極的に参加している.AMEDは,医療分野の研究開発及びその環境整備の中核的な役割を担う機関として,医療分野の研究開発に関する予算を集約し,基礎段階から実用化まで一貫した研究のマネジメントを行うことを目的に,平成27年4月に設立された[5].AMEDの「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」の中に,大阪大学医学部の心臓血管外科,澤 芳樹教授がリーダを務める「iPS細胞を用いた心筋再生治療創成拠点」がある.澤教授は,日本再生医療学会の会長もされている.

 リコーは,大阪大学を拠点とする2つの国家プロジェクトに参加している.一つは「iPS細胞を用いた三次元心筋組織チップ自動作製装置の開発」である(平成25年~29年度までの5年間プロジェクトで,JSTのプロジェクトとしてスタートし,平成27年度からAMEDに移管された)[6].心筋細胞を使った創薬応用を目指し,バイオ3Dプリンターで3次元心筋組織チップを作製し,創薬メーカが開発した新薬の心筋への影響を評価する.新薬が心臓に対して毒性が出てしまうと死に至る危険性が有るので,こうした薬剤スクリーニングは創薬メーカにとって重要である.もう一つの国家プロジェクトは,「革新的な三次元精密細胞配置法による立体造形と小口径血管を有するバイオハートの研究開発」である(平成26年~30年度までの5年間プロジェクトで,NEDOのプロジェクトとしてスタートし,平成27年度からAMEDに移管された)[7].心臓の一部を再生する目標を掲げている.例えば,心筋梗塞で血管が詰まってしまい,詰まった血管の先の壊死してしまった部分だけをiPS細胞で作った積層細胞体で再生しようとしている.心臓移植や人工心臓を代替えするもので,重症心不全の新しい治療法となることが期待されている.

2.3 リコーのインクジェットプリンター技術の歴史と新展開

 リコーのインクジェットプリンター開発は長い歴史があり,ピエゾ素子でノズルからインクを吐出する方式で製品化した.インクはゲル化した粘度の高いものを使い,“ジェルジェット”と称してオフィス用プリンターに適用されている.現在のインクジェットプリンターの主力製品は産業用で,剛性が高いステンレス製のノズルにピエゾ素子を搭載している.この技術は,3Dプリンター用のヘッドにも展開・外販しており,UV硬化方式の3Dプリンターヘッドでは高いシェアを占めている.ただし,これをバイオ3Dプリンターに,そのままでは適用できない.細胞は強く吐出するとつぶれてしまうからである.リコーは,インクジェットのヘッド開発とインク材料開発の技術を持っており,両方の技術を最適に組合せることでこの問題を解決している.

 nano tech 2016では,リコーから関連する展示として3D造形用のソフトマテリアルや,樹脂をコーティングした粉末粒子で3D造形する技術も紹介した.ソフトマテリアルは,産業用のインクジェットプリンターで培った高強度ゲルインクの技術をベースに展開した.腎臓や血管などと同等のヤング率をもつソフト材料を使い,3Dプリンターで生体モデルを造形することで,手術の練習用として利用できる.こうした新しい研究テーマは,インクジェット技術の先物ニーズを若手の技術者が自ら探して着手している.

 「その中でも,バイオ3Dプリンターは一番の変わり種で,息の長い研究テーマです.」と高木氏は語った.「バイオ3Dプリンターの当面の目標は,国家プロジェクトの期間内にプロト機を開発して,大学病院や医学部で使っていただくことです.」と,高木氏は抱負を述べた.

3.エレクトロクロミック調光サングラス

3.1 調光サングラスの実演

 調光サングラスの話を伺う前に,先ず1月末のnano tech 2016で展示した実物を山本 諭氏にデモしていただいた.図5の写真で分かるように,通常は透明であるが,周囲環境が明るすぎて目を保護したいときには,メガネフレームの柄の部分にあるボタンを押すと数秒でブラウンに着色する.光の透過率は10%以下になり,サングラスとして目を保護してくれる.元の透明状態に戻したいときは,別のボタンを押すと数秒で透明状態へ戻る.メガネフレームの中には小型のリチウムイオン電池が埋め込まれており,電気で透明状態と着色状態とをスイッチしている.メガネのレンズには,エレクトロクロミック現象を示す物質がコーティングされており,エレクトロクロミック調光サングラスと呼んでいる.

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図5 エレクトロクロミック調光サングラス [3]

 エレクトロクロミック現象とは,電圧を印加すると電気化学的な酸化還元反応が起こり,電子をやり取りすることで分子の電子状態が変化して着色する現象である.逆電圧を印加すると透明状態に戻る.この変化は可逆的で,何回でも繰返し変化させることができる.エレクトロクロミック現象を示す物質としては,酸化タングステンのような無機酸化物,プルシアンブルーを代表とする金属錯体化合物[8],ビオロゲンのような有機化合物が知られている.物質自体の色が変わる反応であることから,高い透明性,低ヘイズを実現できることが特徴であり,自動車の防眩ミラーや,飛行機の窓ガラスでスマートウィンドウとして実用化されている.しかし,既存のエレクトロクロミック調光デバイスは,透明から青色に着色するものに限られる.また,電子をやり取りするイオン性物質にはゼリー状のゲルが用いられているため,ガラス基板の間にゲルを封入している構造になっている.

3.2 リコーのエレクトロクロミック素子の特徴

 リコーは,NEDOのプリンテッドエレクトロニクス技術開発に関する国家プロジェクト[9]に参加して,有機エレクトロクロミック物質を積層したフルカラー電子ペーパーを開発.2013年のnano tech NEDOブースに出展した[10].減法混色表示により明るく鮮やかなフルカラーを表現する反射型表示が特徴であり,イエロー(Y)・マゼンダ(M)・シアン(C)の三原色に対応するビオロゲン系エレクトロクロミック材料を新規開発して搭載した.

 エレクトロクロミック調光サングラスでは,エレクトロクロミック材料をさらに改良し,電圧をかけない中性状態での光の透過率が80%以上と,透明性が非常に高いものを搭載している.図6左側は開発したエレクトロクロミック材料の素子(C,M,Y,K),右側は国際照明委員会(CIE)が策定した(L,a,b)色空間におけるa-bダイヤグラムで,点線で囲った外側の折れ線がJapan Color Chartと称する印刷の標準色チャートである.内側のプロットが開発品の測色値で,デモ展示メガネのようなブラウンだけでなく多彩なカラーバリエーションを実現している.サングラス用にはブラウン以外に,モスグリーンやグレーの色彩調整も可能である.

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図6 開発したエレクトロクロミック材料の素子(C,M,Y,K)とab色度座標長

 もう一つの技術的な特徴は,エレクトロクロミック素子の基本材料を固体化したことである.この特徴を活かしてメガネレンズのような3次元曲面上にもコーティングできるようになった.液体やゲルを基板の間に封入する必要がなくなったため,レンズだけでなく,製品の筐体のような曲面プラスチック基材にエレクトロクロミック機能を実装することを可能にする技術である.

3.3 エレクトロクロミック加飾フィルム

 調光サングラスに適用したエレクトロクロミック材料の新展開として,図7の写真に示したエレクトロクロミック加飾フィルムがある.透明なガラスに,電圧を印加すると花柄や紋様がフルカラーで浮き出てくる.エレクトロクロミック材料をCMYKの各インクとしてインクジェット印刷しておくことで,電気をかけると図柄が炙り出されてくるかのように出現する.電圧はガラス板全面に一様に印加する.微細な電極配線は不要であり,乾電池1本程で駆動できる.ただし,印刷した本と同様,あらかじめ印刷したパターンしか出現しない.エレクトロクロミックの色は,発光ではなく光の吸収に伴う発色である.発光では表現しにくい黒を表示できるため,デザイン性・質感に優れ,視野角度には依存しないという特徴がある.一見全く透明な壁から絵が出る仕掛けは,エレクトロクロミック技術以外では実現できない.このエレクトロクロミック加飾フィルムは様々な応用が考えられ,現在応用先のいくつかの企業と共同開発している.特に,建築部材,車載部品,電子部品分野への新たな「加飾」の手段として期待される.

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図7 エレクトロクロミック加飾フィルム [3]

 「調光サングラスやエレクトロクロミック加飾フィルムの実用化に向けては,応答速度(5秒以下)や繰り返し回数など,基本性能は十分高いレベルにきている.しかし,利用シーンを考えると,防水・防塵のような環境面での耐久性も付加する必要がある.エレクトロクロミック製品全体の課題について,ユーザ側の企業と共同で取り組んでいる.」と,山本氏は今後の製品化に向けた展望を語った.

4.有機正極二次電池

4.1 リコーが電池を研究開発している背景

 「リコーがどうして電池を研究しているのですか?」との質問を,nano tech 2016の会場で多くのお客様から聞かれました,と有機正極二次電池を開発している野村氏は語った.「リコーではプリンターやコピー機用に有機感光体(OPC)やトナーを開発してきたので,そうした材料技術の新展開ということで取り組んでます」と返答してきたとのこと.電池を開発するためには,活物質(電子をやり取りして酸化・還元反応を行う物質)等を設計する機能性材料の設計・合成技術,スラリーの分散・混合技術,粒子サイズの設計・塗布技術,さらにはリチウムイオン電池の制御IC技術が必要になるが,実はリコーにはそれらの技術が全て社内にあるので,二次電池の開発に転用できる技術が多い.特にOPCの開発では,有機感光体に光をあてると流れる電流は微弱だが,酸化・還元を何度も繰り返して使用し,しかも繰返し回数は数万回と非常に高いものを開発してきた.したがって,有機の電極を開発するノウハウは蓄積されている.

 電池は正極,負極,セパレータ,電解液,等から構成されるが,なぜ“正極”に着目したか?野村氏は図8を示しながら,正極材料の開発に注力した理由を以下のように語った.図8では電極で使われる材料の放電容量を横軸に,金属Liを基準とした電位を縦軸にして各種材料をプロットしている.負極材料は橙色の線で囲った部分に分布している.現状のLiイオン電池製品では,負極材料はグラファイトを使用している.将来的にはより沢山の電気を貯めたいので,放電容量密度が高い材料を使う方向で,右端にあるLi金属はじめ候補材料はいくつかある.一方,黄緑の線で囲った正極材料の方は負極材料と比べると放電容量密度が小さいものばかりである.理想的には図8の右上端,放電容量密度が高くかつ電位も高い材料を狙いたいが,いきなりは難しいので先ずはできるだけ電位が高く,放電容量は現状より大きなものを開発しようとしている.現状Liイオン電池の正極材料はLiCoO2のようなLi金属酸化物で,200Ah/kg未満のものが殆どである.したがって,200Ah/kgよりも大きな放電容量を持つ正極材料を開発することを当面の目標としている.

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図8 各種電極材料の放電容量と電位

4.2 有機正極活物質の開発

 有機正極活物質については1980年代からいくつもの候補材料が研究されてきており,理論的には300~400Ah/kgの放電容量密度を持つと期待されている[11].そうした有機正極をうまく使いこなせれば,有機二次電池は一般的なLiイオン二次電池と比較して,レアメタルや重金属を使わないで環境負荷が低減でき,重量当たりの放電容量を大きくできることになる.ただし,有機物は軽いが体積はかさばるので,体積当たりの放電容量は小さい.有機二次電池が得意とする点は高速充放電で,数分間で大きな電気容量の充放電が可能である.有機材料を使うことで,充放電の繰返しサイクル安定性に不安を感じるかも知れないが,500回までのサイクル安定性は確認している.

 有機二次電池では,有機化合物の酸化・還元反応を利用して電気を蓄える.図9は,カチオン(+イオン)安定な有機化合物を正極活物質に用いた場合の充放電動作を描いている.電子を放出した酸化状態で安定で,代表例として有機硫黄化合物のポリチオフェンの例を出している.充電時には正極では電子が引き抜かれて+になり,それを補償するために電解液中のアニオン(-イオン)が正極に引き寄せられる.アニオンとしては,PF6が良く使われる.この状態で安定し,電気が蓄えられる.負極側では-に帯電するので,電解液中のLi+イオンが引き寄せられてキャパシタ的な電池になる.放電時はその逆反応が起こり,正極に引き寄せられていたアニオンが電解液中に解放され,正極には電子が注入されて電気的中性に戻る.正極では充電時に酸化反応,放電時に還元反応が起こり,酸化・還元反応を繰り返すことで充放電サイクルが回る.電解液中のアニオン・カチオンの濃度は,充放電のたびに変動することになる.

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図9 カチオン安定な有機正極を用いた場合の充放電機構

 有機化合物で活物質の候補材料となるものは芳香族化合物が多い.電子を多く持っているのでカチオン安定なものが多いが,分子構造を適切に設計することでアニオン安定な有機化合物も存在する.それを正極に適用すると図9とは異なる充放電機構で二次電池ができる(Li+イオンのみが移動).この場合は,正極が電子を取込んで-に帯電した還元状態になると,電解液中のLi+イオンを引き寄せて安定化する.このように有機化合物は構造をうまく設計することにより,まったく異なる充放電機構で動作する二次電池が設計できる.アニオン安定な有機正極活物質候補の一例を図10に示す.これら水酸基を有する芳香族縮合多環化合物類(PAHOH: Polycyclic Aromatic Hydrocarbons with Hydroxyl Groups)は電池内で水酸基が酸化され,キノンへ変化することによりアニオン安定な有機正極活物質へ変化する.[12]

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図10 有機正極材料の分子構造 [12]

 図11には,コイン電池の作製方法を示した.有機活物質(20wt%),導電助剤(60wt%),結着材(20wt%)を混合し,N-メチルピロリドンを加えて全体が均一になるまで混錬して黒色のペーストを得る.このペーストを,アルミニウム箔上に塗工した.塗工膜を乾燥させてから,16mmΦの円形状に打ち抜いて正極とする.コイン電池はステンレス製のパッケージ内に,正極・セパレータ・Li金属箔負極の順に積層し,電解液を注入して蓋を被せる.正極以外は,Liイオン電池用として購入できる部材を使用した.電池の充放電試験は,23℃恒温槽内において,充放電レート:1C(n時間で理論電池容量を充放電できる電流値を(1/n)Cと言う.1Cは1時間で充放電できる電流値),電圧範囲1.5~4.5Vの条件で行った.

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図11 電池の作製方法 [12]

4.3 有機正極二次電池の性能と応用領域

 前述したような充放電試験で容量とサイクル安定性を評価して,数多くの有機正極活物質候補をスクリーニングし,最良のものを選んだ.図12は,活物質重さ当たりの放電容量(比容量)を縦軸に,充放電のサイクル回数を横軸にとって,既存のLiイオン電池(青色)と開発品(橙色)を比較したものである.既製品のLiイオン電池では140mAh/g程度であるが,その2.5~3倍の400mAh/g程の容量が安定して得られている.サイクル回数は,200回まで確認している.

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図12 放電容量の既存Liイオン電池と有機正極二次電池の比較 [3]

 図13は,急速充放電性能を評価した結果である.充放電レート:5C(12分の充放電 橙色,黄色)から,充放電レート:10C(6分の充放電 青色,緑色)に短縮しても,容量は若干低下するが100回のサイクル回数まで大丈夫である.現在の電気自動車向け急速充電は30分程かかっているが,目標としてはガソリンスタンドでガソリンを満タンにする時間である約3分を目指している.

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図13 有機正極二次電池の急速充放電性能[3]

 有機二次電池で急速充放電が有利な理由を,野村氏は次のように説明した.「Liイオン電池では,Liイオンが正極であるLi金属酸化物に吸い寄せられて放電されていくが,Li金属酸化物結晶構造のある決まった場所を探しながらイオンが移動することが律速している.一方,有機正極の場合は有機化合物の酸化と還元で電子を授受しているので,電荷が付加する場所は有機化合物分子の周辺に色々あって,決められた場所を探す必要はない.したがって,急速充放電性に優れていると考えられる.」

 こうした有機正極を実現するには,OPC開発で培った酸化・還元を安定的に繰り返す有機活物質の技術だけでなく,電極抵抗を下げるための導電助剤と混ぜる混錬技術も鍵になっている.今後はさらに実用化に向けて,コイン電池ではなく大型電池を作成する技術,温度依存性の評価などに取り組む予定である.

5.おわりに

 nano tech 2016にリコーブースとして初出展したリコーが,今年度のnano tech大賞として表彰された.ヘルスケア,グリーン,ナノファブリケーションの分野で,色々なナノテク技術を開発している.コピー機やプリンター開発で培った材料技術をベースに,若い技術者達が新しいニーズに展開する提案をして,積極的に挑戦している姿に感銘を受けた.今回取材させていただいた3テーマは,エレクトロクロミック調光サングラスが直近の製品化,有機正極二次電池は次世代向け,そしてバイオ3Dプリンターは息の長い研究と,目標とするタイムスケールは様々であるが,いずれも将来楽しみなテーマであり,実用化されて私達の生活に浸透し,世の中に貢献してくれることを期待したい.

参考文献

 ※本文中の図は,全て株式会社リコーより提供されたものである.

[1] nano tech大賞 2016:http://www.nanotechexpo.jp/main/award2016.html
[2] リコーの歩み:http://jp.ricoh.com/company/history/
[3] nano tech 2016リコー展示内容詳細: http://jp.ricoh.com/technology/exhibition/nanotech/report.html
[4] 高木大輔,瀬尾学,宮岡敦史,安部美樹子,鴨野俊平,"iPS細胞由来細胞を用いた3次元組織体構築-自動コーティング技術と評価技術",リコーテクニカルレポートNo.41,pp.118~127(2016)
https://jp.ricoh.com/technology/techreport/41/pdf/RTR41a14.pdf
[5] 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED):http://www.amed.go.jp/
[6] AMED-JST,「iPS細胞を用いた三次元心筋組織チップ自動作製装置の開発」:
http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/akashi/jst.html
[7] AMED-NEDO,「革新的な三次元精密細胞配置法による立体造形と小口径血管を有するバイオハートの研究開発」:http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/akashi/nedo.html
[8] “環境・エネルギー問題に貢献するプルシアンブルーの新展開 ~放射線セシウム吸着材から色可変素まで~ 産業技術総合研究所ナノシステム研究部門グリーンテクノロジー研究グループ研究グループ長 川本徹氏に聞く”, nanotech Japan Bulletin Vol.8, No.1 (2015) https://www.nanonet.go.jp/ntjb_pdf/nanoInnov-30.pdf
[9] “プリンテッドエレクトロニクス時代実現に向けた材料・プロセス 基盤技術の開拓 NEDO プロジェクト プロジェクトリーダー 東京大学教授 染谷隆夫氏に聞く”, nanotech Japan Bulletin Vol.6, No.3 (2013)
https://www.nanonet.go.jp/ntjb_pdf/nanoInnov-04.pdf
[10] 平野成伸,内城禎久,岡田吉智,辻和明,金碩燦,匂坂俊也,高橋裕幸,藤村浩,八代徹,“新規フルカラー電子ペーパー表示技術の開発”, リコーテクニカルレポート No.38,pp.22~29 (2012)
https://jp.ricoh.com/technology/techreport/38/pdf/RTR38a02.pdf
[11] 杉本豊成,“有機化合物を正極活物質とするリチウム二次電池”,化学,Vol.66, No.3, pp.48-53 (2011)
[12] 野村正宜,“水酸基を有した芳香族縮合多環化合物類のリチウム二次電池正極活物質への利用”,第56回 電池討論会,講演番号3H16(2015年11月13日)

(尾島 正啓)

 

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