NanotechJapan Bulletin

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<第46回>
科学技術に日本の繁栄を託し,原子分解能電子顕微鏡開発から計測ソリューションへ
日本電子株式会社 EM事業ユニット 大藏 善博氏,石川 勇氏,奥西 栄治氏に聞く

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 ナノテクノロジーでは,物質・材料をナノスケールで理解し,制御・創出して,技術や産業に革命をもたらすことによる社会貢献を目指している.このためには,まずもって,原子・分子レベルの観察が必要不可欠な技術として求められる.2016年1月27日から29日に東京ビッグサイトで開催された「第15回国際ナノテクノロジー総合展・技術会議(nano tech 2016)」は,これに応える企業として,「斬新かつ先駆的な技術・製品の出展者を表彰する」nano tech大賞 2016の特別賞に日本電子株式会社を選んだ.受賞理由は,「独自技術を活用して分解能が世界最高レベルの透過型電子顕微鏡を開発.ナノテクノロジーの研究加速に貢献している点を賞す」であった.受賞対象となった高分解能電子顕微鏡の技術内容や,開発の経緯,今後の展開などを伺うべく,東京都西部の昭島市にある日本電子株式会社の本社を訪ねた.お話は,主に,執行役員 EM事業ユニット長 大藏 善博(おおくら よしひろ)氏,EM事業ユニット EM技術開発部 部長 石川 勇(いしかわ いさむ)氏,EM事業ユニット EMアプリケーション部 部長 奥西 栄治(おくにし えいじ)氏の3人から伺い,電子顕微鏡の事始めについては,営業戦略本部 YOKOGUSHI推進室 室長代理 生野 朗(しょうの あきら),総務本部 法務広報室 副主査 浜中 巌(はまなか いわお)の両氏から伺った.

 

1.日本電子における電子顕微鏡の開発~科学技術による日本の復興・繁栄への思い

1.1 電子顕微鏡事始め

 日本電子株式会社(JEOL)における電子顕微鏡開発のきっかけは1945年8月の太平洋戦争終戦の時であった[1].創業社長の風戸(かざと)健二氏(1917~2012,社長在任:1949~1975)は,千葉県茂原市出身,海軍機関学校を卒業し,軍艦妙高に乗って海外を回る中で,海外の技術が日本より遥かに進んでいることを知った.風戸氏は1941年に応召し,1944年からは海軍技術研究所で電波誘導式対空ロケットの開発に従事している時に終戦を迎えた.復員して民間人となったが,技術の戦いに敗れたという無念さを感じていたので,日本の再建は科学振興・工業立国以外にないと確信した.

 一方,電子顕微鏡は1931年にドイツ ベルリン工科大学のErnst August Friedrich Ruskaが試作に成功し(1986年にノーベル物理学賞受賞),日本では1940年に大阪大学の菅田 栄治教授が国産第一号機を完成させていた.風戸氏は偶然手に入れた本から電子顕微鏡に魅力を感じ,海軍研究所で同僚だった伊藤 一夫氏(1921~)らと組んで,その開発に着手した.出資者が見つかり,1946年5月に日の出金属株式会社を設立し,1947年8月には株式会社電子科学研究所に改組した.仕事場は茂原の海軍の集会所跡,軍需工場が放出した工作機械を用いて部品加工を行った.当時は,日本中が経済的に困窮しており,風戸氏らは研究の合間に自転車で海岸地帯に出かけ,海藻を採集して代用醤油を作って研究費や生活費に充てていた.

 試作品製作に当り,問題になったのはレンズ方式であった.静電界で電子線を偏向させる電界型と磁界によるローレンツ力で電子線を曲げる磁界型がある.まず,製作が比較的容易で実績のあった電界型を1946年10月に選んだ.ところが,1947年5月に出来上がった試作機では高圧電源の安定性が悪く,電界レンズの性能不足で電子線が結像しなかった.今にして思えば,その後,電界型電子顕微鏡で先行していたドイツのAEG社,アメリカのGE社,日本の東芝がいずれも電子顕微鏡事業から撤退しているのは電界型の難しさを表しているのかもしれない.風戸氏らは,電界方式に代えて磁界方式に取組んだところ,僅か4ヶ月後の1947年10月には実用に供し得る電子顕微鏡の試作に成功し,DA-1型(図1)と命名した.この透過型電子顕微鏡DA-1と伊藤 一夫氏の設計ノートは,2010年に国立科学博物館の未来技術遺産に登録された.また,DA-1の開発により,故風戸氏と伊藤氏は2016年3月にアメリカで,「先端理化学装置の発展に貢献し,世界経済における分析化学の役割に脚光を当てる傑出した人物」を表彰するPittcon Heritage Awardを受賞した.

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図1 日本電子の電子顕微鏡初号機 DA-1

1.2 電子顕微鏡事業の展開から分析機器の開発へ

 房総の片隅で少数の青年技術者達が電子顕微鏡の製作に成功したことは戦後の明るいニュースとなり,天皇陛下(昭和天皇)や,皇太子殿下(現天皇陛下)の来訪を仰いだ.会社は生産体制を整えて,1948年中に8台の受注に成功した.しかし,製作・納入したDA-1型は木製の机の上に載せた試作機の域を出るものではなく,頻繁に熟練技術者の調整を必要とした.特に問題だったのは,DA-1型の分解能は50Åだったのに,その当時米国では既に20Åの分解能の装置ができあがっていたことだった.分解能向上に向け,風戸氏,伊藤氏らは1949年5月に研究開発を中心とした株式会社日本電子光学研究所を設立し,風戸氏が初代社長となった.会社の英語名Japan Electron Optics Laboratoryの頭文字を取ったJEOLは,1961年の日本電子株式会社への社名変更後も会社の略称として使われている.

 新会社では,1949年10月に日本電子1号機となるJEM-1型を完成させた.その後,1956年にはフランス サクレー原子力研究所に輸出第1号電子顕微鏡JEM-5Gを納入するなど電子顕微鏡での実績を積み上げて行った.一方,広く計測・分析機器に製品を展開しようと,同年には国産初の核磁気共鳴(NMR)装置を完成させた.風戸氏は自前主義で,このNMR開発は独力で行った.さらに,NMRに使用するICも自社で製作し自社製品に組み込んだ.この他にレーザー,ビデオやX線CTの開発などの自前主義の行き過ぎはあったが,計測・分析機器の製品展開は,質量分析装置,液体クロマトグラフィ.アミノ酸分析装置,光電子分光装置,集束イオンビーム装置など次々に実現している.

 第3代社長になった伊藤 一夫氏(社長在任1982~1987年)は経営理念を次のように明文化した:「日本電子は,「創造と開発」を基本とし,常に世界最高の技術に挑戦し,製品を通じて科学の進歩と社会の発展に貢献する」.「創造と開発」を基に顧客の要望に応えて,科学の進歩によって社会の発展に貢献するのが創業社長以来,日本電子で培われて来た行動指針であり,この流れで計測・分析装置の製品展開,走査電子顕微鏡,1000kV超高圧電子顕微鏡,原子分解能電子顕微鏡と電子顕微鏡の開発が進められた.

2.原子分解能透過電子顕微鏡の開発

2.1 分解能の向上は電子顕微鏡開発の原点

 電子顕微鏡の開発は,光学顕微鏡では見ることのできない微細な対象を観察したいという要求から始まった.どこまで小さいものが見えるかは顕微鏡の分解能で決まる.分解能は用いる光源(電子,光)の波長に依存するので,電子顕微鏡の光学顕微鏡に対する利点は極めて短い電子の波長による分解能の向上である.

 透過電子顕微鏡(TEM)の構成は,光学レンズの代わりに電磁界によって電子線を偏向させる電磁レンズを使用する以外,光学顕微鏡とほとんど変わらない.TEMの後に,電子線を走査して試料に照射し,試料から発する二次電子を検出して画像化する走査電子顕微鏡(SEM)が生まれ,試料の微細な形態観察やLSIパターンの寸法計測などに広く用いられている.さらに,SEM同様に細く絞った電子線を走査して照射し,透過電子線強度の像を検出する走査透過電子顕微鏡(STEM)が注目されるようになった.本稿で紹介する原子分解能電子顕微鏡はSTEMである(図2).細く絞った電子線を用いるので微細な領域ごとの構造や組成を分けて捉えやすくなる.細く絞った電子が試料に入射すると,試料から二次電子,特性X線が放出する.二次電子を用いてSEM像を観察でき,特性X線を分析することによって試料の元素分析などができる(EDS:Energy Dispersive X-Ray Spectroscopy,エネルギー分散X線分光).

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図2 走査透過電子顕微鏡(STEM)の機能構成

 試料中を透過した電子を電子レンズによって結像するとTEM像が得られる.透過電子の一部は試料で散乱するので,試料で散乱していない電子を検出器で検出すると明視野像,散乱を受けた電子を検出すると暗視野像の両方が同時に得られる.また高角度に散乱した電子を円環状の検出器で検出するとHAADF(高角度環状暗視野,High-Angle Annular Dark-Field)像が得られる.この像は,電子波の干渉効果が関与しないため,原子の像を反映している.円環の穴を通った透過電子のエネルギー分析を行うEELS(Electron Energy Loss Spectroscopy,電子エネルギー損失分光)を加え,HAADFと組み合せると,原子コラム(電子入射方向に沿って縦に並んだ原子列)ごとの元素分析ができる[2].

 分解能は様々な要因で決まるが,光や電子線が波であることに基づく回折限界は波長λの1/2がおおよその目安になり,可視光を使う光学顕微鏡の分解能は数100nmに止まる.一方,電子線の波長λは,加速電圧Vのとき,λ=√150/V(Å)で近似できる(1Å=10-10m=0.1nm=100pm).従って,電子線の波長は100kVで約3.7pm(3.7×10-12m),200kVで約2.5pm,300kVで約2.0pm,1000kVで約0.87pmとなる.対象物の大きさは,ウイルスだと数10~数100nmとなり光波長より小さい.結晶の繰返し周期(格子定数)は5Å(500pm)前後,原子半径は1Å(100pm)程度であり,電子線の波長はこれらより充分短く,原子が観察できることが判る.

 しかし,光と同様に電子レンズにも「収差」が存在する.電子線が一点に収束しないため結像にボケが生じるのである.収差には成因により色々の種類があるが,球面収差によるボケは光軸上の1点から出射した電子線が像面でない位置で光軸と交わるために生じる円状のボケである.凸レンズと凹レンズを組み合わせることで低減することが可能な光学顕微鏡と比べると,電子レンズの収差ははるかに大きく分解能を左右する.球面収差に打ち勝って分解能を上げる方法は,これまで,電子の波長を短くすること,すなわち加速電圧を高くすることのみであった.このため,高分解能の1000kV電子顕微鏡は3階建てくらいの高さになってしまった.これに対して,なんとか球面収差を補正しようとする試みが古くから行われてきた.

 電界もしくは磁界レンズの収差は軸対称レンズだと常にプラスである.軸対称でないレンズでマイナスの収差を発生させられることは,1940年代にドイツ人のシェルツアーによって理論的に示されていた.軸対称でない磁場は複数の電磁石で構成される多極子で作ることができる.代表的に使われる6極子でマイナスの球面収差を発生することができるが,同時に大きな非点収差を与えてしまう.そこで2枚の方向が異なる6極子を組み合わせ,非点収差をキャンセルすることでマイナスの球面収差のみを残すことができた.こうして生じたマイナスの球面収差で対物レンズのプラスの球面収差をキャンセルするのが,球面収差補正装置である.

 今回のnano tech大賞の原子分解能の透過型電子顕微鏡(図3)は,収差補正技術を取り入れ,見えなかったものを見たいという研究者の要求に応えるかたちで進めてきた装置開発の成果である.このため,大学の先生など多くの研究者とのコラボレーションを行い,国家プロジェクトに参画して,国産の球面収差補正技術開発を経て実現したものである.

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図3 原子分解能電子顕微鏡 JEM-ARM300F

2.2 原子分解能への挑戦~原子分解能実現のための技術開発

 日本電子が参加した国家プロジェクトは,科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業CRESTであった.この事業は,国が定める戦略目標の達成に向けて,課題達成型基礎研究を推進し,科学技術イノベーションを生み出す革新的技術シーズを創出するチーム型研究である.研究領域「物質現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」の中の研究課題「0.5Å分解能物質解析電子顕微鏡基盤技術の研究」が2004年10月から2010年3月まで進められた.当時,欧米でも国家レベルでの大型プロジェクトが発足していたが,我が国では,物質解析に資する世界最高分解能の顕微鏡を開発するとして企画されたプロジェクトで[3],このプロジェクトで開発された電子顕微鏡は目標分解能が0.05nmであることから,R005(Resolution double "O" five)と名付けられた.

 プロジェクトでは,すべて自社製の最高加速電圧300kVの安定化冷陰極電界放出型電子銃,高分解能鏡筒,安定化電源,高分解能用収差補正装置,収差補正制御ソフト等を開発し,目標の分解能の0.05nmを超える分解能を達成した.収差を補正することによって,シャープなビームが得られるのでこれをプローブとすることにより,STEM環状明視野観察法による軽元素カラム(Liなど)の検知が可能になった[4].このように収差補正技術が成熟していく中で,2009年にはSTEM収差補正装置を標準搭載した最高加速電圧200kVの原子分解能分析電子顕微鏡JEM-ARM200F(分解能80pm)を“汎用機”として開発・上市した.R005とJEM-ARM200Fで培った収差補正技術・原子分解能技術を基に開発したのが,さらに分解能の高い最高加速電圧300kVの原子分解能電子顕微鏡JEM-ARM300F(分解能60pm)である[5].高エネルギーの電子で損傷を受ける物質・材料のために,80kV,160kVの比較的低加速電圧でも使用できる.また,STEMとして,EDS,EELSの機能も搭載された.この原子分解能電子顕微鏡には次節に示す要素技術が開発・適用されている.

2.3 原子分解能電子顕微鏡開発の基礎となった要素技術 [6]

(1)12極子球面収差補正装置

 球面収差補正では,R005プロジェクトで軌道拡張型12極子球面収差補正装置(ETA Corrector:Expanding Trajectory Aberration Corrector)を開発した.図4に中心部を電子線が通過する12極子(Dodeca-pole)磁極断面図と12極子を組込んだ電子光学系の模式図を示している.レンズ系を厚みの異なる2つの12極子("η"を添えた2つの長方形)で挟む構成とし,試料に近づくにつれて軌道が拡張する光学系を実現している.軌道拡張光学系(縮小光学系)は,前段の光学要素が作る擾乱要因や色収差やノイズ等が試料面上で縮小され,分解能を阻害する要因を試料に対して小さくすることが出来る.

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図4 軌道拡張型12極子球面収差補正装置

(2)高性能冷陰極電界放出型電子銃

 高輝度・高安定性を実現するため,電子線源には,基礎技術をR005プロジェクトで開発した冷陰極電界放射型電子銃を用いた.冷陰極には電子放出面がW結晶の(310)面を用いた.この電子銃からの電子線はエネルギー幅が狭く,干渉性が高い.冷陰極電子銃はチップ表面が清浄でないと働かない.真空中のガス分子がチップの表面に少しでも吸着すると電子の放出が阻害される為である.この電子銃を使い物にするには,顕微鏡の使用中を通してガスの吸着を抑制し,高いプローブ電流を一定に保ち続けられる極高真空が必要であった.

 そこで,本電子銃の真空系は,エミッター付近に装備した排気速度の大きい非蒸散型ゲッターポンプ(NEG:Non evaporative getter pump),加速管部を排気する排気速度200L/sのスパッタイオンポンプなどを装備したものとした.これにより,電子銃チャンバの真空度が大幅に改善し,従来より一桁高い10-9Paの真空度を達成して,電子銃の安定駆動が可能となった.フラッシングして,エミッション電流(チップから放出される全電流)を10µAに設定後,エミッション電流とプローブ電流(試料まで達した電流)の安定度を測定した(図5).フラッシング4時間後でも90%以上のプローブ電流が保持されている.エミッション電流はチップから光軸に対して大きな角度で放出され,観察には使用しない電子も含まれるので減衰率が大きいが,極高真空化により観察に必要となるプローブ電流の低下が極めて少ないため,顕微鏡の使用上は問題とならない.結果として,冷陰極電子銃源を8~10時間,約1日連続して使えるようになった.

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図5 冷陰極電界放出型電子銃の電子放出特性

(3)新しい対物レンズの設計と原子分解能の確認

 JEM-ARM300Fに対して,二つの新しい対物レンズを設計・開発した.超高分解能構成FHP(full high resolution pole piece)と高分解能分析構成WGP(wide gap pole piece)である.FHPは照射側と結像側の両方で収差が小さい対物レンズである.FHP対物レンズを含む照射系の色収差(電子の波長のゆらぎに起因する収差)は,従来比65%に低減された.このレンズを使い,球面収差補正することでサブÅの超高分解能を達成した.もう一つのWGPは,分析性能を強化した対物レンズで,ギャップ間のスペースが大きいので厚さのある特殊ホルダーの利用にも対応できる.

 このFHPを使い加速電圧300kVにて,方位の異なるSi,Ge,GaNの結晶の高角度環状暗視野(HAADF)STEM像を観察した.図6のように,GeとSi結晶を[114]方向から観察し,Sub-50pm以下の分解能をSTEM像で確認した.

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図6 JEM-ARM300FのHAADF STEM像で確認した原子分解能

2.4 原子分解能電子顕微鏡の急速な普及

 企業としては数多く売れる汎用装置を開発したい.一つの型の高性能電子顕微鏡はこれまで年に10台のペースで,10~15年売れていた.そこで今回の原子分解能電子顕微鏡も10年売れるとして100台の販売を想定した.分解能0.5Åの装置を必要とするユーザーは限られていると当初は考えていた.ところが,この原子分解能電子顕微鏡の受注実績の立ち上がりは極めて速かった.4年で累計は100台になり,その後の3~4年で150台を受注するに至っている.原子分解能で見たいという要求を持つユーザーが増え,最先端技術は汎用化していることを意味している.まさにナノテクノロジーの普及の醍醐味である.

3.原子分解能電子顕微鏡の様々な観察結果

 原子分解能電子顕微鏡による観察例に,準結晶の構造解析がある[7].準結晶は結晶の並進対称性は持たないが,原子配列に高い秩序性を持つ固体物質である.Al組成70-72at%,Co含有量8~25at%,Ni含有量20~5at%のAl-Co-Ni合金には6種類の2次元準結晶と幾つかの近似結晶が見いだされている.その広いCo/Ni組成比に存在する準結晶が安定な理由は,CoとNi原子の規則配列が重要な役割を担っていると考えられてきた.そこで,原子分解能電子顕微鏡によるHAADF-STEM像とEDS元素マッピングの観察からCoとNi原子の規則配列を明らかにすることが試みられた.図7(d)にHAADF-STEM像(a)と原子分解能のEDS元素マップ(b),(c)を重ね合わせて示した.結晶構造のモデル図(e)と比較すると、5角形配列を持つ直径1.2nmのCo()またはNi()クラスターが規則的に存在することが分った.

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図7 原子分解能電子顕微鏡のEDS元素マップによるAlCoNi結晶相の原子分布

 もう一つの例は,図8に示す粒径約17nmのPd/Auコアシェル微粒子から取得したEDS元素マップである[8].このような微粒子は電子線照射によるダメージを受けやすく,照射電流の高い状態での測定では粒子の形状や構成元素の分布が変化する恐れがある.そのためこの実験は加速電圧を160kVに,照射電流を30pAに設定して行われた.取得されたEDS元素マップを見ると各元素の分布が明瞭に観察されている.特にシェル部分を構成するPdはAuのコアの周りに非常に薄い層として存在しているのがわかる.元素マップデータから抽出されたそれぞれの元素のX線強度プロファイルから,Pd層の厚さは約3原子層に相当する約0.6nmであることがわかった.

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図8 Pd/Auコアシェル微粒子のEDS元素マップ

4.物質・材料を多面的・総合的に理解する分析ソリューションへの展開

 前節では,原子分解能電子顕微鏡による材料評価の例を示したが,この装置の持つ複数の機能を利用して新しい結果を得ている.物質・材料,デバイス中の材料の評価・解析には,いくつもの手段で様々な角度からその材料の評価・解析を行う必要があるため,電子顕微鏡の分解能向上,高性能化,多機能化の一方,JEOLは多種の分析機器を開発・実用化し,その組合せ・活用により材料に関する総合的な知見を得る分析ソリューションの提供を“YOKOGUSHI”の名の下に推進している.計測・分析機器の開発・利用はユーザーとの連携の許に行われ,この機器間,産学官を結ぶ「横串」に当る連携を表わすキーワードが“YOKOGUSHI”である.産学官連携の例としては,10年を超える東京大学との産学連携,ニコンとの協業による光学顕微鏡・走査電子顕微鏡連携システムの開発,理研CLST(ライフサイエンス技術基盤研究センター)-JEOL連携センター設立がある.

 “YOKOGUSHI”分析ソリューションの一つの例として,Liイオンバッテリー(LIB)の解析・評価を紹介する.様々な計測・分析機器でLIBの構造や動作が解析されている.一つの解析は走査電子顕微鏡(SEM)による電池材料の形態観察で,LIBの動作解析にはLi原子/イオンの検知/追跡が不可欠である.しかし,SEMの分解能は1nm程度であり検知が困難である.これに対し,R005では高い空間分解能により,LiV0O4のLi原子の位置を隣の酸素やVと区別してとらえることが出来た.図9の右図はLiV2O4の構造モデルであり,図9の左図はLiV2O4のHAADF-STEM像で,構造モデルのLiの位置にHAADF-STEM像でも原子の影を明らかに捉えることができた[4].

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図9 Liイオン電池に用いられるLiV2O4の原子分解能電子顕微鏡による解析

 また,多くの充放電を繰返した後のLiCoO3正極材断面を電子線マイクロアナライザ(EPMA)で元素分析すると,中心部分のAl集電体(図10中心の黒帯)から離れ,両端のセパレータに近づくに従ってLiの信号強度が高く,元素分布に偏りが生じていることが分った(図10).この元素分布の偏りが劣化の原因の一つと考えられるという[9].ちなみにこのEPMAもJEOLの看板装置の1つであり,TEMで培った電界放射型電子銃を搭載し,これまでにない高性能を達成したものである.

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図10 EPMAで観測された充放電後のLiイオン電池正極における元素分布の偏り

 このほかにも,Liイオン電池の評価・解析には様々な分析機器が利用できる.例えば,光電子分光装置(XPS)により,化学結合状態,充放電後の負極材の分析ができる.正極材/負極材,セパレータ,電解液に対し,上記の他にも,NMR,蛍光X線分析,オージェ電子分光,ガスクロマトグラフ/質量分析(GC/MS)など様々な機器の適用例がある[9].

 Liイオン電池以外にも“YOKOGUSHI”の成果が報告されている.例えば,JEOLは,「核磁気共鳴技術と透過電子顕微鏡技術を活用した<YOKOGUSHI>研究成果が発表されました」というニュースリリースを行った.この研究成果は,東京大学における耐溶剤性を高めた触媒の開発で,NMRと電子顕微鏡の組合せで,開発した触媒の構造が従来品と違っていることを確認している[10].

 JEOLは,祖業の電子顕微鏡の技術革新に止まらず,創業以来の計測・分析機器の積極展開により,計測ソリューションを提供し,科学技術の発展に貢献しようとしている.

5.おわりに

 0.5Å(=50pm,0.05nm)という原子レベルの分解能で電子顕微鏡観察ができるようになった.これを可能にした要素技術の1つは,70年間達成できなかった電子レンズの収差補正にあった.しかし,その成功は,高真空の実現,電気回路と装置の機械的な安定化など,原子分解能実現を阻む数多くの障害を取り除く地道な努力なしに達成できるものではなかった.この原子分解能電子顕微鏡のルーツは,日本の繁栄を科学技術の発展に託そうとした創業者 風戸 健二氏の思いにある.平成28年度に始まる第5次科学技術基本計画は,未来の社会,“Society 5.0”実現への科学技術の貢献を打ち出した.原子分解能電子顕微鏡のさらなる発展とそれを組込んだ“YOKOGUSHI”と名付けた計測ソリューションの提供が,その一端を担うことを期待したい.

参考文献

[1] Chemical Heritage Foundation,「風戸健二」,機器分析の創業者達-近代社会をかたちづけた人々-,p.49,分析産業人ネット「機器分析の創業者達」編集委員会編,2010年9月9日 特定非営利活動法人 分析産業人ネット発行
[2] 高角度散乱暗視野(走査透過電子顕微鏡)法 http://www.jeol.co.jp/words/emterms/search_result.htmlindex.htmlkeyword=HAADF-STEM
[3] JST 先端計測分析技術・機器開発プログラムにおける今後の展開について, 平成27 年7 月23 日文部科学省科学技術・学術政策局研究開発基盤課 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu17/006/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2015/08/10/1360828_02.pdf
JST CREST 戦略的創造研究推進事業 終了領域「物質現象の解明と応用に資する新しい計測・分析基盤技術」 http://www.jst.go.jp/kisoken/crest/research_area/completed/bunya02-2.html
[4] K. Takayanagi, Y. Oshima, T. Tanaka, Y. Tanishiro, H. Sawada, H. Hosokawa, T. Tomita, T. Kaneyama, and Y. Kondo, "Lithium Atom Microscopy at Sub-50 pm Resolution". JEOL News, Vol. 45, No. 1, pp. 2-7(2010)
[5] 究極の原子分解能電子顕微鏡JEM-ARM300Fを販売開始,JEOLニュースリリース2014/05/07 http://www.jeol.co.jp/news/detail/20140507.776.html
[6] 沢田英敬,奥西栄治,志村直軌,佐藤一仁,森下茂幸,佐々木健夫,神保 雄,河野祐二,細川史生,成瀬達雄,湯浅修一,有馬則和,脇俊 作,片境浩二,小林正明,田中宏典,田中裕之,外山勝弘,近藤行人,金山俊克,「超高分解能を実現した"原子分解能分析電子顕微鏡 JEM - ARM200F"」,日本電子News,Vol. 46, No. 1, pp. 35-40,September 2014
[7] 平賀 賢二,安原 聡,「原子分解能のエネルギー分散型X線分光法の準結晶の構造研究への応用」,日本電子News,Vol. 47, No. 1, pp. 27-35,August 2015
[8] 奥西栄治,佐々木健夫,沢田英敬,神保 雄,岩澤頼信,宮武耕志,湯浅修一,大西市朗,箕田政顕,金山俊克,近藤行人,「GRAND ARMにおける超高感度EDS分析システムの開発」,日本電子News,Vol. 47, No. 1, pp. 42-47,August 2015
[9] JEOL Application Note リチウムイオンバッテリーノート No. 0201A587C (Bn)
[10] 「核磁気共鳴技術と透過電子顕微鏡技術を活用した<YOKOGUSHI>研究成果が発表されました」 JEOLニュースリリース2013/07/16 http://www.jeol.co.jp/news/detail/20130716.521.html
「ニッケルナノ粒子をカルベンで活性化した新しい高分子固定化触媒を開発! ~架橋基と配位子の二つの役割を担うカルベン~」 東京大学プレスリリース http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2013/33.html

(古寺 博)

 

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