NanotechJapan Bulletin

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文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 秀でた利用成果
<2019年秀でた利用成果-4>
広帯域波長掃引パルス量子カスケードレーザの開発
浜松ホトニクス株式会社 杉山 厚志,大河原 悟
東北大学 戸津 健太郎,森山 雅昭,江刺 正喜

(左)浜松ホトニクス 大河原 悟,杉山 厚志
(右)東北大学 森山 雅昭,戸津 健太郎,江刺 正喜

 

1.ビーム指向性をもった赤外分光器

 ナノテクノロジープラットフォーム事業の支援を受けて,波長掃引パルス量子カスケードレーザ(Quantum Cascade Lasers;QCLs)を開発した.この製品は分光機能を備えた中赤外レーザと言い換えることができる.この章の表題は新製品のキャッチコピーである.これまでの赤外分光の主役はFTIRであり,干渉計を使った分光技術は成熟の域に達している.高いS/Nの計測データを安定して提供し,様々な分野で活躍している[1][2].しかしながら,一般的なFTIRの計測では対象物を測定室に入れて測定する必要がある.測定窓に近接させて測定するART法もあるが,やはり対象物との位置関係において制約がある.これが赤外分光の現場への適用を妨げる要因となっており,FTIRの現場適用は限られた分野に留まっている.波長掃引パルスQCLはこの弱点を見事に補っている.レーザによるビーム指向性をもっているため,測定対象物へのアクセス性には大きな自由度を発揮する.また,本光源の分光機能はMEMS回折格子によって実現していることから,波長掃引速度はおおよそ1.8kHzに達し,計測スループットを飛躍的に高速化することにつながる.この“測定対象物へのアクセス性”と“計測スループットの高速化”が医療,創薬,製造などの現場での赤外分光の実用化に強力な一手になると信じている.

 

2.開発の背景

 中赤外領域(波長4µmから16µm)を発振波長とする半導体レーザである量子カスケードレーザは,様々な分子の基本振動に由来する強い吸収線に一致した発振波長を有するため,レーザ分光法を用いた極微量ガス分析への産業応用が進んでいる[3][4].浜松ホトニクスではガス分析用中赤外光源として,分布帰還型(Distributed Feedback,DFB)量子カスケードレーザの開発,製造,販売を手掛けている.DFB型QCLはペルチェ素子などの温度制御デバイス上に搭載して動作させ,その駆動温度により発振波長を制御することが可能である.例えば,発振波長4.56µm(L12004-2190H-C)では最大で10nm程度の発振波長の制御が可能であるが,製品仕様上シングルモードが保障される範囲はさらに狭い波長域に制限される.そのため,これらを用いて分光分析する場合は,ターゲットガス成分毎にその波長に適合したDFB型QCLを用意する必要がある.グルコースなどの生体物質やプラスチック物質など,ブロードな吸収帯を有する物質の分析にはベースライン計測用のDFB型QCLと吸収ピーク計測用のDFB型QCLの2つを用意しなければならない[5].当然のことながら,単一光源でより広い波長範囲の吸収分光データの取得を実現したいという要求がうまれる.浜松ホトニクスではこうした要求に応えるため,広帯域波長を発振可能な二重上位順位型の量子カスケードレーザを開発し,これを用いて外部共振器を構成することで広い波長範囲の掃引を実現した.さらに,光源の小型化,高速掃引を実現するためMEMS回折格子の開発にも取り組み,このMEMS回折格子の開発においてナノテクノロジープラットフォーム事業の支援を頂いた.

 

3.ナノテクノロジープラットフォーム事業の利用

 MEMS回折格子の作製プロセスで最も重要な点は回折格子を設計通り,均一性良く作製することである.開発当初,シリコンプロセスにより回折格子を作製する方法としてレーザ描画によるグレースケール露光とドライエッチングによる形状転写技術と,ナノインプリント法の2つを考えた.東北大学マイクロシステム融合研究開発センターはこの両技術について豊富な実績があった上[6],プロセスの全工程を完了できる設備を完備していた.我々のグループは半導体レーザを開発,製造する設備を保有していたが,GaAsとInPを対象とした装置であり,シリコンを処理できる装置ではない.このような立場からナノテクノロジープラットフォーム事業と同施設は,製品開発の可能性を広げる貴重な存在であった.近年,技術が進展するスピードは益々加速し,新しい製品・技術開発に許される期間は短縮化している.この流れは今後より一層加速するものと思われる.半導体関連の製品開発には設備導入の負担が非常に大きい.多様化する製品に対応させることも容易ではない.少量試作に対応する受託メーカーも少なくなってきている.このような中,自由度の大きい共用設備の存在はより重要になると考えている.

 

4.波長掃引パルス量子カスケードレーザの開発

 開発した波長掃引パルス量子カスケードレーザの光学系を図1に示す.リトロー型外部共振器構造を採用した.小型で,広い波長範囲を高速掃引可能な外部共振型レーザ光源を実現するにはいくつかの要素技術の開発が必要である.ここでは,3つの要素技術開発について紹介する.

 

図1 波長掃引QCLの光学系

 

4.1 量子カスケード利得媒質の開発

 外部共振器レーザで広帯域波長掃引を実現するためには,広い波長範囲の利得を有する媒質が必要となる.これに対し我々は,2つの発光上位準位を用いる結合二重上位準位構造(dual upper state design,DAU)を開発した.1µm以上の利得波長帯域を持つばかりでなく,1000K以上の特性温度を有するなど,非常に優れたレーザ特性が確認されている[7][8][9].

 

4.2 低反射コーティング技術の開発

 これを外部共振器用利得媒質として用いるには,レーザ端面の低反射化が重要である.しかしながら,中赤外領域において信頼性の高い低反射膜を形成することは容易ではない.耐熱性,耐湿性を満足しつつ,応力に勝る密着力を確保しなければならない.さらに,中赤外領域において光吸収の少ない材料は限られる.高屈折率材としてGe,Si,中間屈折率材としてZnS,ZnSe,これらに加えて絶縁性,密着性を確保するための酸化物,低反射帯域を広げるための低屈折率材として各種フッ化物が用いられ,多層膜として形成される.以上の設計要件を考慮して,レーザ端面の反射率を波長帯域1µm以上にわたって0.5%以下にする技術を確立した.

 

4.3 MEMS回折格子の開発

 光源を小型化するために,MEMS回折格子の開発に取り組んだ.本光源の実現には光学系の都合上,5mmφの回折格子面積が要求される.一般的なMEMSミラーと比較するとかなり大きなミラーを駆動させなければならない.さらに,波長10µm付近まで波長を掃引するためには200/mm以下の回折格子密度が必要となる.例えば,回折格子密度100/mmを用いて波長8µmから10µmまで掃引するためには約8度の機械傾斜角を変化させなければならない.これらの要求を満たすために,比較的容易に大きな駆動力を発生できる電磁アクチュエータ型を採用した.

 図2は開発したMEMS回折格子の構造で,電磁アクチュエータ型1次元MEMSミラーのミラー面に回折格子を形成したものである.ミラーは円形で5mmφである.図3に,プロセスの概要を示した.はじめに,電磁コイルをCuダマシン構造として作製し,配線プロセスを経て最上層にナノインプリント法で回折格子を形成する.高い回折効率を得るために回折格子形状はブレーズ形状とした.図4に回折格子パターニング後の断面SEM像を示す.最後に,ドライエッチングより貫通プロセスを施し,デバイスが完成する.図5に,開発したMEMS回折格子の周波数特性を示す.共振周波数はおおよそ1.8kHzに達し,約9度の機械傾斜全角を得た.駆動コイルと回折格子をウェハの同一面上に形成することで,5mmφの比較的大きなミラー径にもかかわらず,高い共振周波数と大きな機械傾斜角を両立することができた.

 

図2 MEMS回折格子のデバイス構造

 

図3 MEMS回折格子の作製工程

 

図4 ブレーズ回折格子のSEM像

 

図5 MEMS回折格子の周波数特性

 

5.波長掃引パルス量子カスケードレーザと分光応用

 製品化した波長掃引パルス量子カスケードレーザL14890-09の仕様を表1に示す.図6は製品外観であり,片手に収まる大きさに仕上がった.波長掃引範囲は利得媒質の利得領域に制限されるが,200cm-1以上の掃引範囲を達成した.これを用いて,ポリスチレンフィルムの分光実験データをFTIRのデータと比較して図7に示した.利得領域の両端はS/Nが低下するが,中央200cm-1程度の帯域ではFTIRと比較しても遜色ないデータが得られている.波長7µm帯試作品を光源としてメタンガスの吸収分光実験を行った結果を図8に示す.発振スペクトル線幅は半値幅1.5cm-1程度であり,それと同程度の吸収線分解能を発揮できていることが分かった.

 

表1 L14890-09の仕様

 

図6 L14890-09の外観

 

図7 ポリスチレンフィルムの吸収分光計測

 

図8 メタンガスの吸収分光計測

 

6.まとめ

 量子カスケード構造利得媒質とMEMS回折格子を組み合わせ,リトロー型外部共振器を構成し,波長掃引パルス量子カスケードレーザを開発し製品化した.MEMS回折格子はミラー構造を最適化することでφ5mmの大面積と高い共振周波数を両立した.また,中赤外領域において十分な波長掃引範囲を実現できる振り角特性を確認した.この波長可変光源を用いて吸収分光実験を行い,広い波長範囲の吸収分光データを,高速かつ高い分解能で取得できることを実証した.

 

7.謝辞

 MEMS回折格子の開発はナノテクノロジープラットフォーム事業(東北大学 微細加工プラットフォーム)の支援を受けて実施されました.東北大学マイクロシステム融合研究開発センターの江刺教授,戸津准教授,森山助教,および研究員の皆様に感謝致します.また,共同研究者の大河原氏には幾度となく仙台へ出張してもらい,時には2週間以上滞在して試作に取り組んでもらうこともありました.その他多くの社内外の多大なる協力があって,試作開始から2年間という短期間で製品化に資するレベルに達することができました.ここにすべての関係者に対して感謝の意を表します.

 

参考文献

[1] Agilent technologies Web site, “FTIRアプリケーション”
https://www.chem-agilent.com/appnote/product.php (accessed Feb. 27, 2019).
[2] 島津製作所 Web site, “FTIR アプリケーションデータ・技術資料 ” https://www.an.shimadzu.co.jp/ftir/support/lib/index.htm (accessed Feb. 27, 2019).
[3] A.A.Kosterev and F.K.Tittle :“Chemical sensors based on quantum cascade lasers” IEEE J.Quantum Elec. 38 (2002) 582.
[4] 枝村忠孝, 秋草直大, 杉山厚志, 落合隆英, 藤田和上, 山西正道, 菅博文 : 「DFB量子カスケードレーザーとその分光応用」,レーザー研究36 (2008) 75
[5] 松浦祐司, 応用物理 第87巻 第3号 (2018)
[6] K. Totsu, K. Fujishiro, S. Tanaka and M. Esashi :” Fabrication of three-dimensional microstructure using maskless gray-scale lithography”, Sensors and actuators. A, Physical Vol. 130–131, pp. 387-392 (2006)
[7] K. Fujita, M. Yamanishi, and T. Edamura :“Extrimely temperature-insensitive continuous-wave puantum cascade lasers”, Appl. Phys. Lett. 101, 181111 (2012)
[8] T. Dougakiuchi, K. Fujita, A Sugiyama and T. Edamura :”Broadband tuning of continuous wave quantum cascade lasers in long wavelength (>10μm)”,Opt. Express Vol. 22, No. 17, pp. 19930-19935 (2014)
[9] K. Fujita, T. Dougakiuchi, and M. Yamanishi :”Broad-gain (Δλ/λ0~0.4), temperature-insensitive (T0~510K) quantum cascade lasers”,Opt. Express Vol. 19, pp. 2694~2701 (2011)

 

(浜松ホトニクス株式会社 化合物材料センター 杉山 厚志)