NanotechJapan Bulletin

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文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 秀でた利用成果
<2021年秀でた利用成果-5>
化学合成と酵素合成の融合によるスピロケタール類の網羅的短工程合成と結晶スポンジ法による構造決定
University of Graz 服部 弘,ウォルフガング クローティル
分子・物質合成PF 自然科学研究機構・分子科学研究所 三橋 隆章,藤田 誠

 

(左から)University of Graz ウォルフガング クローティル,服部 弘,
分子科学研究所 藤田 誠,三橋 隆章

 

1.はじめに

1.1 実施機関から提供した技術:結晶スポンジ法とは?

 はじめに実施機関から提供した技術である「結晶スポンジ法」について解説させていただきたい.ごく簡単に言えば,結晶スポンジ法とは,分子の構造を知るための手法である.分子の構造は,化学が関連するあらゆる分野において,必ず必要になる基本的な情報である.しかしながら,分子の構造を知ることは,現代においても未だ容易なことではない.これまでに,分子の構造情報を得るための様々な手法が開発されており,代表的なものとして1)質量分析法,2)核磁気共鳴分光法,3)X線結晶構造解析,などを挙げることができる.中でも,X線結晶構造解析は,最も信頼性の高い構造決定手法の一つとして知られており,化学者の多くが,できることならばX線結晶構造解析を用いて分子の構造解析を行いたい,と願っているものと推察する.しかし,この手法には測定に至るまでの過程にボトルネックが存在し,どのような化合物であっても簡単にX線結晶構造解析を行うことができる訳では無い.そのボトルネックとは,解析対象物の結晶化である.X線結晶構造解析は,規則正しく配列した化合物にX線があたった際に生じる回折現象を利用した手法であることから,解析対象となる化合物を結晶化することは必須である(結晶とは原子や分子などが規則正しく配列したものである).しかし,この結晶化が容易ではない.運よく結晶化に成功すれば,多くの場合,直ちに構造が明らかになるものの,結晶化のための条件検討が泥沼に嵌り,数年間条件を検討した末に結晶化を諦めるということも十分に起こり得る.

 こうした状況を打破した技術が,今回,実施機関から提供した技術である「結晶スポンジ法」である[1].結晶スポンジ法では,解析対象化合物そのものを結晶化する必要がない.代わりに,あらかじめ分子サイズの小さな穴が空いた結晶(この結晶を「結晶スポンジ」と呼び,簡便に用意することができる)を作成しておき,この中に解析対象化合物を染み込ませることによって,測定に用いる結晶を準備する(図1).結晶スポンジが持つ細孔は,周期的に複雑な凹凸が繰り返されるような構造をしており,ここに導入された化合物は,結晶スポンジの周期構造の影響を受け周期配列する為,X線結晶構造解析により解析することができる.本技術は,実施機関担当者の一人である藤田 誠 卓越教授らによって2013年に報告されたものであるが,多方面からの注目を集めており,現在,アカデミアはもちろんのこと,産業界においても活用が始まっている.

 

図1 結晶スポンジ法の概要.結晶スポンジと呼ばれる多孔性の結晶に,解析対象化合物を染み込ませ,X線結晶構造解析を行うことで,解析対象化合物の構造を知ることができる.

 

1.2 利用者側の技術:化学合成と酵素合成の融合(化学-酵素法)とは?

 次に,利用者が取り組んでいる研究分野について紹介させていただきたい.利用者であるウォルフガング クローティル 教授と服部 弘 博士は,研究テーマの一つとして,望みの化合物を合成する技術について研究開発を行なっている.こうした技術は,医薬品や様々な工業原料などの生産に極めて重要である.化合物の合成には,しばしば,有機化学の手法が用いられるが,利用者らは,さらに酵素を用いた手法を取り入れている点に特色がある.化合物の合成では,数段階から数十段階に分けて種々の化学反応を順に起こしていくことが一般的である.その中には,容易に進行する反応もあれば,有機化学の手法では,達成が難しい反応や手間がかかる反応も存在する.そこで,有機化学合成が苦手とする反応を,酵素を用いて達成し,更に工程数も短縮しようというのが,クローティル教授と服部博士の研究である.

 酵素は生物が化学反応を起こすために用いている触媒である.酵素を化合物の合成に利用するにあたっては,変換できる化合物の制限が大きいことや比較的不安定なものが多いなど,欠点はあるものの,近年ではこれら欠点を克服する為の研究も進んでいる.酵素は,通常の有機化学合成では達成困難な反応を,ごく温和な条件にて進行させることがしばしばあるため,酵素反応を化合物の合成計画に組み込むことができれば,望みの化合物をより低コストかつ自然環境に負荷の少ない形にて得ることができる.

 

1.3 ナノプラ事業利用の経緯

 新しく化学合成法を開発した場合,その化学合成が成功したことを証明する必要がある.通常,合成した化合物の構造決定をすることで証明を行う.しかしながら,上述したように,化合物の構造決定は未だ困難がつきまとうものであり,優れた合成法を開発したにもかかわらず,構造決定の段階で躓いてしまう事態が発生し得る.クローティル教授と服部博士も,スピロケタール類と呼ばれる化合物群の合成法を開発した際に,このようなケースに遭遇してしまい,結晶スポンジ法による構造決定が有効と考えられた為,今回の利用に至った.

 

2.化学合成と酵素合成の融合によるスピロケタール類の網羅的短工程合成

2.1 スピロケタール類とは?

 本研究にて合成したスピロケタールとは,図2に示すような構造を有する化合物を指す.このような化合物は,自然界にも存在しており,例えば,昆虫のフェロモンなどに見られる.従って,スピロケタール類を簡便に合成する手法を開発することができれば,昆虫のフェロモンに関する研究や,フェロモンとしての性質を利用した農薬の開発などに寄与することができると考えられる.

 

図2 スピロケタールの化学構造

 

2.2 本研究におけるスピロケタール類の合成戦略

 以前からスピロケタール類は,合成研究のターゲットとなっており,合成法については報告があったが,化学反応のみを用いるものが主であった.またこれらの方法では,しばしば,手間のかかる多段階の反応を行うことが必要であった.そこで,クローティル教授と服部博士は,酵素を利用することで,より短工程の合成方法を達成することを試みた.具体的には,化学反応により容易に合成可能な3つのケトン構造を持つ合成中間体(A)を作り出し,この化合物を酵素によって変換することでスピロケタール類を得るという合成経路を設計した(図3A).ここで,酵素が行なっている反応は,Aが持つ3つのケトンの内,分子の両末端近くの二つのケトンのみを選択的に還元するというものである.こうした選択的な反応を有機化学反応によって行うことは簡単ではないが,酵素の持つ選択性を利用することで,容易に達成することができる.さらに,今回用いた酵素反応では,還元が起きた後にできる水酸基の立体化学まで制御することができると考えられた.

 

図3 A)本研究にて提案したスピロケタール類の合成経路.B)3環性スピロケタールの合成

 

2.3 網羅的合成への展開

 合成経路を開発した際,その経路が1種類の目的化合物だけでなく,その類縁体の合成にも応用することができれば,その合成法を用いて網羅的に類縁体を得ることができ,開発した合成法は,さらに有用なものとなる.Aのm,nにて示されている部分の炭素数については,m,nの値が様々に変わったものもある範囲で容易に合成することができた(図3A).また,これらに対する酵素反応も問題なく進み,環の大きさにバリエーションのあるスピロケタール類を合成することができた.また,Aの構造から少し変化させた合成中間体Bを合成し,これを酵素反応にて変換したところ3環性のスピロケタールも合成することができた(図3B).

 

3.スピロケタール類の立体化学と構造決定の困難さ

 一般にスピロケタール類には,鏡像異性体が存在する.これは,鏡写しになった2つのスピロケタールを考えた時(図4),これら2つの化合物が同じにはならないことを意味し,この2つの構造について,お互いに鏡像異性体の関係にあると言う.また,2つの鏡像異性体の内,どちらの構造であるかを決定することを絶対立体配置の決定と呼ぶが,絶対立体配置を決定することは,構造決定の中でも特に困難なことの一つである.絶対立体配置を決定する方法として改良Mosher法が有名であるが,特定の化学構造(2級水酸基)を持たない化合物には適用することができず,今回合成したスピロケタール類には適用することはできない.そのほかの手法として,X線結晶構造解析を行うことができれば,絶対立体配置を決定することができる.しかし,今回合成したスピロケタール類のように重原子(原子番号の大きい原子)を含まない化合物の場合,信頼性を持って絶対立体配置の決定を行うことができないケースもある.さらに,上述したように測定試料の単結晶を作成する必要があり,このことも大きな障害となる.特に,今回合成したスピロケタール類は,油状の化合物であったが,油状化合物の結晶を作成することは通常,極めて困難である.因みに,今回合成したスピロケタール類の場合,スピロケタールの構造に由来する立体化学の他,酵素反応によって形成された立体化学も存在するが,この部分の立体化学についても予想通り形成されたかを構造決定によって確かめる必要がある.

 

図4 スピロケタールにおける鏡像異性体の例.ごく単純なスピロケタールであるオレアンを例として挙げる.鏡合わせになった(R)-オレアンと(S)-オレアンは別の化合物であり,お互いに鏡像異性体の関係にある.因みに,オレアンは,オリーブミバエ(果実蝿の一種)が生産するフェロモンである.(R)-オレアンと(S)-オレアンは,役割が異なっており,(R)-オレアンはオスを,(S)-オレアンはメスを性的に活性化する[2].このように鏡像異性体間で活性が異なることが生物の世界では多々あり,こうした観点からも絶対立体配置を決定することは重要である.

 

4.結晶スポンジ法によるスピロケタール類の構造決定

 以上に述べたように,今回合成したスピロケタール類の絶対立体配置決定は,困難であったことから,結晶スポンジ法の使用を試みた.結晶スポンジ法では,化合物を結晶スポンジの中に取り込むことができれば測定を行うことができる為,油状化合物であっても問題なく測定を行うことができる.また,結晶スポンジには,重原子が含まれている為,X線結晶構造解析による絶対立体配置の決定にも有利である.実際に,結晶スポンジ法を用いた解析を行なったところ,スムーズに構造決定に至ることができた(図5).もし結晶スポンジ法を用いることができなかった場合には,どのような手段を取り得たであろうか? 有力な選択肢となるのは,1)絶対立体配置が担保された合成経路を再設計し,2)この合成経路で目的化合物を再合成する,3)酵素を用いた合成経路で得た化合物と絶対立体配置が担保された合成経路で得た化合物の両者で旋光度(鏡像異性体間で逆の符号を持った値が観測される)などを比較する,といった手順を踏むことである.しかし,これには多大な労力がかかる為,もしこのような手段をとっていた場合,研究が大幅に遅れることになっていたと予測される.

 

図5 本研究にて得たスピロケタール類の構造決定を結晶スポンジ法にて達成した.

 

5.まとめ

 本研究では,スピロケタール類の簡便かつ網羅的な合成を可能とする手法を開発することができ,また,その研究にかかる時間を結晶スポンジ法の使用によって大幅に短縮することができた.今回の例に限らず,研究の鍵となる部分についてはうまく行っているにも関わらず,化合物の構造決定の段階で躓き研究が遅延する例は,案外多いのではないかと考えている.そのような事例に対し結晶スポンジ法を用いることで,化学関連分野の研究全般を大きく加速することができると感じている.

 

6.謝辞

 本研究は,文部科学省委託事業ナノテクノロジープラットフォーム並びに,SNSF Early Postdoc Mobility Fellowship /Field of Excellence BIOHEALTH, University of Graz, Austriaによる支援を受け,行われました.大変感謝申し上げます.

 

参考文献

[1] M. Fujita et al., Nature 495, 461-466 (2013).
[2] a) K. Mori et al., Tetrahedron 41, 2751 (1985); b) K. Mori et al., Tetrahedron 41, 3663 (1985); c) G. Haniotakis et al., J. Chem. Ecol. 12,1559 (1986)

 

(分子・物質合成PF 自然科学研究機構・分子科学研究所 三橋 隆章)