NanotechJapan Bulletin

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文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 卓越した技術スタッフ
<令和元年度技術支援貢献賞>
電子スピン共鳴装置による研究支援
受賞者 自然科学研究機構 分子科学研究所 分子・物質合成プラットフォーム 藤原 基靖氏,浅田 瑞枝氏,伊木 志成子氏に聞く

 

 

分子科学研究所のESR装置(E680)の前にて,技術支援貢献賞の表彰状を手に
左から,浅田 瑞枝氏,伊木 志成子氏,藤原 基靖氏

 

 文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業では,ナノテクノロジー研究施設を3技術領域にわけ,微細構造解析プラットフォーム,微細加工プラットフォーム,分子・物質合成プラットフォームの形に整備し,全国25の研究機関で合計37組織の最先端ナノテクノロジー設備の利用機会を設備使用のノウハウとともに,産学官の研究者に対して提供している.最先端研究設備の有効利用には,設備の特徴を熟知して整備し,利用者に使用ノウハウを提供する技術スタッフの存在が大きな支えになっている.同事業では,毎年優れた活動を行った技術スタッフを表彰している.令和元年度の技術支援貢献賞5件の内1件は,大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 分子科学研究所の分子・物質合成プラットフォーム,機器センターの主任 藤原 基靖(ふじわら もとやす)氏,同 技術職員 浅田 瑞枝(あさだ みずえ)氏,同 特任専門員 伊木 志成子(いき しなこ)氏に贈られた[1].受賞テーマは「電子スピン共鳴装置による研究支援」である.表彰式は第19回国際ナノテクノロジー総合展・技術会議(nano tech 2020)セミナー会場で行われ,受賞活動内容はナノテクノロジープラットフォームのブースにパネル展示された.受賞された3氏に,受賞した技術の内容,支援の状況など,WEB取材にてお話を伺った.先ず藤原氏から,分子科学研究所の分子・物質合成プラットフォーム(PF)の施設概要と支援の状況について,説明してもらった.

 

1.分子科学研究所 分子・物質合成PFの施設概要と支援の状況

 分子科学研究所(以下,分子研)は分子科学の中核的研究拠点として,1975年に愛知県岡崎市に設立された大学共同利用機関である[2].研究組織は,光分子科学,物質分子科学,生命・錯体分子科学,理論・計算分子科学の4研究領域と,それらを繋ぐ協奏分子システム,メゾスコピック計測の2研究センターで構成されている.研究施設として,極端紫外光研究施設,計算科学研究センター,機器センター,装置開発室などがある.なお,分子研は2004年より,大学共同利用機関法人 自然科学研究機構を構成する5つの研究機関の1つとなっている.

 分子研は,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業に2012年から参画し,分子・物質合成PFとして最先端の研究設備・機器を産学官の研究者に公開し,利用機会を提供している[3].また,共同研究・機器利用・技術代行・技術相談などを通じて,従来にはない機能や優れた特性を持った有機・無機材料・金属系ナノ材料の探索・開発のための分子・物質合成,構造解析,分子設計などを支援している.今回,技術支援貢献賞を受賞した3名が所属する機器センターでは,電子顕微鏡,X線回折・物性測定・化学分析・分光装置など30台の装置をPFで公開している[4].また液体ヘリウム(He)・液体窒素の供給設備を有しており,安定した供給を受けられる.なお,分子研は大学共同利用機関法人であるので,大学・公的機関は設備・機器の利用料金は無料である.PFとして,民間企業の研究者も利用でき,利用料は低価格に設定されている.

 図1は,技術支援貢献賞の対象となった技術支援活動で使われた電子スピン共鳴(ESR:Electron Spin Resonance)装置である.3台のESR装置があり,いずれもBruker社製である.図1左のE680型は,3.1節で紹介する多周波測定や,3.3節で詳しく説明するパルスESR測定ができる装置である.写真の左側にあるのは超伝導マグネットで常に液体Heで冷却されている.図1中央のE500型はESR装置としては最も一般的なもので使い易く,CW(Continuous Wave)マイクロ波でのESR測定用である.図1右のEMX型もCW-ESR装置で,高感度共振器を備え,試料の温度可変域(高温)が特徴の新しい装置である.また,いずれの装置も低温測定に対応している.

 

図1 分子研の分子・物質合成PFが公開している電子スピン共鳴装置(3台)

 

 図2は,ESR装置の利用状況で,左側が利用人数,右側が利用日数である.3台の装置毎,2015年~2019年の年度毎の統計データを棒グラフで示した.各棒グラフの中の色分けは,青:所内利用,グレー:民間利用,黄:機器利用,橙:共同研究,である.機器利用は,利用者自身が測定から解析を行うもので,利用形態としては最も多い.装置の未経験者に対しては,技術スタッフが操作法の指導をしてから利用してもらう.共同研究では,測定からデータ解析までを利用者と共同で行う.所外利用が大半であり,全国各地からの利用がある.E680で利用人数が少ない割には利用日数が多いのは,1件あたりの測定に1週間近く要する場合もあるためである.

 

図2 電子スピン共鳴支援の利用状況;(左)利用人数,(右)利用日数

 

 3台のESR装置をどの利用者にいつ利用してもらうか,マシンタイムの利用計画は毎月,調整期間を設けて振り分けている.利用者からの希望装置・日程が重なる場合は,利用頻度やセッティング変更の有無,他装置の利用希望などを総合的に判断して,調整している.

 ESR装置支援スタッフ3名の主な役割は,

・藤原氏:ESR装置の維持管理全般,トラブル対応
・浅田氏:測定・解析支援(特にパルスESR測定,生体系試料)
・伊木氏:マシンタイム調整,事前準備,測定支援

を分担している.なお,上記3名はESR装置だけでなく,他装置の支援にもあたっている.

 分子研のESR装置支援を利用して,これまで数々の成果が生まれている.秀でた利用成果として,NanotechJapan Bulletinでは過去に,“内包フラーレン分⼦錯体の特徴的分⼦磁性のESR測定”を取り上げた[5].フラーレン(C60)のケージ状分子内に,HeとNの異種2原子が内包されていることを,E500型のESR装置で確認した成果である.

 

2.電子スピン共鳴(ESR)の原理・装置構成と使用目的 [6][7][8]

 次に浅田氏に,ESRの原理や装置構成,ESRを使って何が分かるかなどについて,伺った.

 図3は,電子スピン共鳴の原理を示している.図3上段に描いたように,スピンをもつ電子に外部磁場Hを印加すると,電子スピンは微小な磁石であるので,電子のエネルギーはスピンの向きが磁場と同じか反対かに分裂する(ゼーマン分裂).分裂の大きさは,電子スピンに伴うボーア磁子β,g因子(~2),および外部磁場Hの積gβHとなる.このエネルギー差に等しい電磁波(10~100GHzのマイクロ波)を試料に照射すると,共鳴現象が起きる.熱平衡状態では下向きのスピンで磁気モーメントとしては磁場に平行な低エネルギーの電子数が多いので,共鳴条件のマイクロ波は吸収され,高エネルギー状態の上向きスピンへ遷移する.この電子スピンとマイクロ波とのエネルギー共鳴現象を“電子スピン共鳴”と呼んでいる.

 

図3 電子スピン共鳴の原理

 

 実際のESR測定では,マイクロ波周波数を固定し外部磁場Hを掃引するので,図3中段のような吸収スペクトルが観測される.ESR信号を高感度検出するために,Hを僅かに周期的に変調し,その変調周期に同調した信号成分のみを増幅して取り出すと,図3下段のような微分形のESR信号が得られる.CW-ESR装置では変調磁場を用いて,微分ESR信号を検出している.ESR信号から何が分かるか,については本章の後半で詳述する.その前に,ESR装置の構成について説明する.

 図4は,ESR装置(X-band(~9.5GHz)のCW-ESR)の装置構成を示している.被測定試料であるサンプルは,2つの電磁石の間に設置された共振器(~30mm)の中に置かれている.電磁石に流す電流を変化させて発生する磁場の強度を掃引することでESRスペクトルが得られる.X-bandに対しては0.3T(テスラ)付近が中心磁場となる.マイクロ波発振器からの9.5GHzのマイクロ波は,四角い断面の導波管あるいは同軸ケーブルで試料の入った共振器まで導かれる.図では青色の2本の太線矢印で,マイクロ波の送信と受信を行っていることを示しているが,これは1本の導波路に送信波と受信波とを共存させており,マイクロ波発信器&検出器を収納したブリッジ回路の入り口に,サーキュレータを組み込んで送信波と受信波を振り分けている.

 

図4 電子スピン共鳴装置の装置構成(X-band CW-ESR)

 

 図1のESR装置の写真を見ると,例えば中央のE500型の写真で電磁石の上方棚に設置されている白い箱が「マイクロ波発信器&検出器」である.マイクロ波の発振はガン・ダイオードで行い,検出は検波ダイオードで行っている.2つの電磁石ポールの間には,共振器の両側に磁場変調用のコイルが挿入されており,100kHzで磁場を変調している.磁場の変調幅は,吸収スペクトルの半値幅以下の最適値に調整して測定する.検出器からの出力はロックインアップで磁場変調周期と同期した成分のみを増幅して,微分信号としてコンピュータモニターへ送出される.

 なお,図1中央のE500型の写真で2つの電磁石ポールの間に2本のパイプがささっているが,右上方からのパイプは液体He容器からの冷却用ガスを試料に導くトランスファーチューブで,左下方へと向かうパイプは試料を収めているクライオスタットの真空引きのためのものである.

 さて,ESRでは電子スピンを検出して何が分かるのであろうか? 図3下段では,「ラジカルや遷移金属の電子スピンを検出できる」と記載した.“ラジカル”とは,“不対電子”をもつ原子や分子のことである.通常,原子や分子の軌道電子は上向きスピンと下向きスピンとが2つずつ対になって安定しているが(ESRは起こらない),1つの電子だけの“不対電子”の場合は“ラジカル”となって他の原子や分子と化学反応する(ラジカル状態ではESRが起こる).また,遷移金属ではd電子軌道やf電子軌道に不対電子が存在するので,ESR信号が検出される.つまり,ESRでは不対電子の存在が検出される.ESRのスペクトルを詳細に分析すると,不対電子の存在だけでなく,

・分子中の電子(ラジカル)が空間的にどのように分布しているか,価数や個数はいくつか
・どれくらいの時間で別のラジカルに変化するか
・不対電子の周辺の環境(近くの原子核スピン,電子スピンとの相互作用)

等の情報も得られる[6][7][8].

 不対電子はあらゆる化学反応過程で発生するので,ESRで化学反応を電子レベルで詳細に分析することが可能となる.また,不対電子を持たない分子に対しても,安定なラジカル(スピンラベル)を結合させてESR測定する手法もある(3.3節参照).さらには,化学反応で発生する不安定なラジカルを,スピントラップ剤で捕捉してESR測定する手法も開発されている.したがって,ESR測定は化学分野だけでなく,材料,医学・製薬,生物や食品分野など,幅広い分野で活用されている.具体的な利用例としては,

・常磁性分子,有機錯体,磁性体,高分子などの磁気的な性質
・結晶中の格子欠陥の性質,定量,周辺環境
・光誘起電子移動反応の解析(太陽電池など)(3.2節参照)
・化学反応におけるラジカルの経時変化追跡
・タンパク質中のスピンラベル周辺構造(3.3節参照)
・生体,食品中の活性酵素,抗酸化作用(スピントラップ剤を使う)
・年代測定(自然放射線による不対電子の生成を評価)

等が実施されている.

 本章の最後に,電子スピン共鳴(ESR)と似た現象である核磁気共鳴(NMR:Nuclear Magnetic Resonance)との比較をしておく.図5に示すように,ESRもNMRも磁気共鳴現象であることは共通している.共鳴する対象が,ESRでは不対電子の電子スピン,NMRでは原子核の核スピンの違いである.核の方が電子より質量が約3桁大きいので,磁気モーメントは3桁小さく,共鳴する電磁波は300~900MHzのラジオ波となる.ラジオ波の掃引は電子回路で容易にできるので,NMRでは磁場の方を固定し,ラジオ波の周波数を掃引している.NMRでは,7~20Tの強力な磁場を発生しなければならないので超伝導磁石を使用するが,磁場の大きさは固定でよい.一方,ESRではマイクロ波の周波数を固定して,磁場の方を掃引しているので,磁場の掃引には1分~1時間と比較的長い時間をかけて掃引し,かつ掃引を何回か繰り返してESR信号を積算してESRスペクトルを得ている.

 

図5 電子スピン共鳴(ESR)と核磁気共鳴(NMR)の相違点

 

3.技術支援貢献賞受賞のESR測定技術と研究支援事例

 本記事のテーマである,技術支援貢献賞を受賞した3つのESR測定技術と研究支援の事例について,以下に詳しく紹介する.先ず藤原氏に,多周波ESR測定の説明を伺った.

 

3.1 多周波ESR測定

 標準的なESR装置では9.5GHz(X-band)の単周波で測定しているが,分子研が所有するE680型ではX-bandに加えて34GHz(Q-band),94GHz(W-band)のより高周波のマイクロ波が使える.図6右のようなゼーマン分裂の電子スピンの場合(g因子に異方性がある粉体試料のシミュレーション),X-bandでは単一のESR信号しか観測できてないが,Q-bandさらにはW-bandと高周波を使い,共鳴が起こる磁場が高まるので分解能が高まり,3つの微細なESR信号成分まで観測できるのが最も大きな利点である.

 

図6 多周波ESR測定:(左)試料管(外径),(右)ゼーマン分裂(シミュレーション)

 

 また,高周波ほど共振波長が短くなるので,試料を収納する共振器サイズは30mm(X-band),10mm(Q-band),3mm(W-band)と小さくなる.それに付随して図6左の写真に示すように,試料管外径も4mm(X-band),2mm(Q-band),0.9mm(W-band)と小さくなる.高周波になるほど高分解にはなるが,試料や共振器は小さくなるので,セッティングほか取り扱いは難しくなる.

 多周波ESR測定では,使用する周波数帯域を替える度に,ブリッジ・導波管・試料管・共振器・磁場の設定をすべて変更する必要があるが,高分解・高感度測定ができるだけでなく,磁場に依存しない分裂(2つ以上の電子がある場合,スピン間相互作用で生じる分裂)を分離できるメリットもあって,ESR信号の帰属・同定に有用な情報も得られる.

 なお,94GHzのW-band測定では超伝導マグネットの磁場を掃引して使用するので,多量の液体Heを消費することになる.磁場を0~3Tまで掃引するには,30分以上かかるので,1回の磁場掃引で液体Heは20~30リッター消費してしまうが,分子研のPFでは,Heガスを回収して再凝縮・再利用するシステムを有しているので問題ない.液体Heの安定した供給体制があり,不自由なく測定できる点も分子研のPFにおける大きな強みであり,利用者としては有難い.

 

3.2 光誘起時間分解測定

 ESRによる光誘起時間分解測定では,パルスレーザー照射直後の短寿命中間体の同定や反応追跡を行うことができる.図7は,光誘起時間分解ESR測定装置の写真(左)と装置構成図(右)である.装置構成図の右下にパルスレーザーがあり,電磁石の間にあるサンプルにレーザー光(赤の点線矢印)が照射される.写真の右半分はNd:YAGパルスレーザー装置,左半分はESR測定装置で,電磁石の間にあるサンプルにレーザー光が照射されているのが見える.レーザー光は青白く映っている(波長:355nm)が,パラメトリック発振させて波長可変であり(発振波長域:250~2700nm),パルス幅はナノ秒である.変調磁場はかけてないESR信号を測定する.

 

図7 光誘起時間分解ESR測定:(左)装置写真,(右)実験装置の構成

 

 パルスレーザーと同期したESR検出器からの出力を,各磁場における時間に対する減衰曲線を測定することで,時間-磁場のESR時間分解二次元データを取得する(図8参照).二次元データの取得には,数時間は要する.ESR信号が出る時間-磁場の領域を見つけ出すまでが苦労の連続で時間もかかるが,時間-磁場の領域確定後は信号を同期積算したり,磁場を掃引したりは自動設定できる.

 

図8 ドナー・アクセプタ型COFの光誘起時間分解ESR測定;
上ABはアクセプタ(C60)導入前,下CDはアクセプタ(C60)導入後

 

 図8は,光誘起時間分解測定の支援例で,北京工科大学・新潟大学,分子科学研究所との共同研究での利用を支援した[9].試料は,図8左に描かれたドナー・アクセプタ型COF(Covalent Organic Framework:共有結合性有機骨格構造)で,フラーレン(C60)がアクセプタとしてCOFの骨格内に導入されている.COFはナノスケールの細孔を持った結晶性物質で,ドナー・アクセプタを導入することで光誘起伝導性を示すことで注目されている.

 図8上中央Aは,アクセプタ(C60)導入前の時間-磁場のESR時間分解二次元データである.縦の時間軸の2μsでパルスレーザーが照射されて,照射後のESR信号が複数の磁場で観測された.A図右端のカラー棒チャートに示したように,赤色が+1.0でマイクロ波吸収強度が最大,緑色は0,青色は-1.0でマイクロ波放出強度が最大,を表している.図8上右Bは,パルスレーザー照射直後のESR信号(二次元データの2μsにおけるESR信号)で,赤色が実測データ,黄緑色は光励起スピン3重項に対応したシミュレーションで,よく一致している.吸収側に2本,放出側に2本のESR信号が観測されたが,放出側の2本のESR信号は短時間(5μs以内)で消滅している.一方,図8下C,Dは,アクセプタ(C60)導入後のESR時間分解二次元データとパルスレーザー照射直後のESR信号であり,磁場0.35TでのESR放出信号1本(ローレンツ型,黒線はシミュレーション)が1500μs以上の時間にわたって観測された.

 アクセプタ(C60)導入の前後で,電子スピンの状態は明らかに違っている.アクセプタ(C60)導入前は絶縁体であったが,C60導入により電荷分離が起こり,光励起された電子がCOF構造の積層方向(図8紙面に垂直方向)にフリーキャリアとして伝導するようになる.伝導性に変化したことは,3重項状態の信号の消失,およびESR信号のスペクトル形状がローレンツ型に変化したことからわかる.また,導入するC60の濃度により電荷分離の効率が変わることも明らかになった.ESR信号から得られるこうした情報は,太陽電池での光誘起電荷の状態を分析する上でも有用な情報となろう,と藤原氏は語った.

 

3.3 パルスESR測定

 パルスESR測定については,学生時代から専門に取り組んでいる浅田氏に[8],原理の説明から具体的な支援例まで紹介してもらった.

 

(1)パルスESR測定とは

 パルスESR測定は,マイクロ波をナノ秒間パルス照射し,電子スピン状態を操作して測定する方法であり,CW測定では得られない短寿命のスピン緩和時間測定ができる.また,照射するマイクロ波パルスの時間幅やタイミングを工夫し,複数のマイクロ波周波数を組み合わせることで,スピン間の距離を測定したり,スピン量子数の見積もりが可能になる.

 パルスESR測定で観測するスピンエコー信号が発生する原理を,図9で説明する[6][8].先ず,初期状態として外部磁場をかけて,試料のスピンは磁場(z軸方向上向き)に沿って向きが揃っている(図9左下で点線矢印).この図はマイクロ波と同じ周波数の回転座標系で表示しているので,スピンは外部磁場の周りを歳差運動するが,この表示では上向きに揃っているように表示される.ここへ90°(π/2)マイクロ波パルスをx軸方向からパルス幅:a(20ns)で照射すると,スピンの向きがz軸からy軸方向へ90°回転し,xy平面上へ倒れる.これは,スピンが共鳴するマイクロ波の交流磁場による磁気トルクを受けて,90°回転することによる(励起).その後,xy平面上に向いたスピンは,試料の分子個々に異なる局所磁場を受けてxy平面上を拡散する(図9下,左から2番目の図).この過程を“スピン横緩和”と呼んでいる.

 

図9 パルスESR測定でスピンエコー信号が発生する原理

 

 90°(π/2)パルス照射からτ(200ns)時間後に,パルス幅:2a(40ns)の180°(π)パルスを照射すると,スピンがyz平面上を180°(π)回転して,xy平面上では反転する(図9下中央).その後,スピンは局所磁場の影響を受け緩和して,τ時間後にはy軸方向に収束しスピンの向きが揃うので(図9下右の図),スピンから共鳴マイクロ波であるスピンエコーが発生し,スピンエコー信号として検出される.

 図9右のオシロスコープ写真は,90°(π/2)パルス,180°(π)パルス,スピンエコー信号をとらえたものである.スピンエコーを発生させるには,強力なマイクロ波パルスを照射しなければならない.CW-ESR測定ではマイクロ波の強度は1mW程度でよかったが,パルスESR測定ではマイクロ波を増幅して1kWまで強くする.1mWから1kWへ106倍の増幅である.試料によって最適なパルス幅,パルス強度,パルス間隔の各パラメータを設定するまでが苦労である.

 

(2)電子-電子二重共鳴法(DEERあるいはPELDOR)

 次にパルスESR測定の一種で,電子スピン間の距離を調べる手法である“電子-電子二重共鳴法”について,図10で説明する.英語では,DEER:Double Electron-Electron Resonance,あるいは,PELDOR:Pulsed ELectron-electron DOuble Resonance,と呼んでいる.不対電子を持つラジカル間の距離を,20~80Åの範囲で距離の分布を含めて測定できる.図10左下に描いたように,距離R離れた2つのスピン:共鳴周波数はω1とω2,について考える.2つのスピン間に働く双極子相互作用Dは,図10右の枠内に示した式で与えられ,距離Rの3乗に反比例する.この式で,g1およびg2はスピン1および2のg因子,Θは2つのスピンを結ぶ直線と外部磁場のなす角度である.

 

図10 パルス電子-電子二重共鳴(DEER/PELDOR)測定

 

 図10上段は,DEER測定で用いるマイクロ波パルス系列を示す.2つの共鳴周波数:ω1とω2のパルスを使う.スピン1に対して,ω1のπ/2パルス(青),τ1後にπパルス(青)を照射すると,さらにτ1後にはスピンエコーが発生するタイミングであるが,そこからさらにτ2後にω1のπパルス(青)を照射すると横緩和したスピン1は反転してτ2後にy軸に揃うのでスピンエコー信号(青色実線)が観測される.

 ここで,スピン2の共鳴周波数ω2のπパルス(赤)を,2×τ1を時刻の原点(τ’=0)として,時間をずらしながら照射する.そうすると,スピン1のスピンエコー信号の強度:X(τ’)は,スピン2からの双極子相互作用を受けて減少する(図10上の,青色点線のスピンエコー信号).DEER信号強度をτ‘をずらしながら測定すると,図10枠内に示した式のようにτ’に対してcosineの関数として変動する.この変動周期から,Dすなわちスピン間距離や距離の分布が求まる.

 

(3)DEER/PELDOR法の支援事例 ~スピン間距離の測定~

 DEER法でスピン間距離を測定評価した支援事例を紹介する.図11は,人工オリゴマー分子ぺプトイドの剛直性をDEER法で調べたもので,東京大学との共同研究である[10].試料は図11左に示した,アミノ酸が7つ鎖状に繋がった主鎖に,赤色で示したメチル基(-CH3)を導入したペプチド模倣(ペプトイド)分子と,下段に示したメチル基(-CH3)を導入してない分子を,比較測定した.2種の分子ともに不対電子はないので,分子の左右末端にラジカルを有するスピンラベル(水色の円で囲んだ部分)を結合してESR検出する.

 

図11 人工オリゴマー分子ぺプトイドでのDEER/PELDOR法によるスピン間距離測定

 

 図11中央挿入図のESRスペクトルから,スピンラベルに共鳴する2つのマイクロ波周波数:ω1(observation)とω2(pumping)を決定した(ω2 - ω1 = 72MHz).2つの共鳴周波数:ω1とω2のパルスを使って,図10で説明したDEER測定をした結果が,図11中央のデータである.黒色実線が実測データで,ω2のパルスのタイミング:τ’に対して周期的な変動をしている.DEER測定には,マイクロ波パルスのパラメータ(パルス幅,強度,パルス間隔)を最適化したり,条件を固定して積算したりするので,1~3日間を要する.赤色(Tikhonov)と青色(Gaussian)は,スピンラベル間距離の分布を仮定したシミュレーションで,いずれも実測データとの一致は良い.

 図11右は,2種の分子夫々に対して,DEER測定データからスピンラベル間の距離分布を解析した結果である.青線のGaussian分布シミュレーション結果から,メチル基(-CH3)を導入したペプトイドのスピンラベル間距離の中心値は27Åで,分布の幅は比較的狭い(半値半幅:5Å)ので,“剛直な分子”といえる.一方,メチル基(-CH3)を導入してないペプトイドのスピンラベル間距離の中心値は21Å,分布の幅は広い(8Å)ので,主鎖が様々に曲がりくねった“柔軟な分子”といえる.創薬では,標的とするタンパク質と結合しやすい安定した構造の分子であることが要件となるので,“剛直な分子”の方が好ましい.こうした主鎖改変したぺプトイドを用いて,新しい創薬の研究が進められている[10][11].

 

4.おわりに

 分子研の分子・物質合成PFで,どのようなESR測定ができるのか,支援事例とともに紹介してもらった.多周波ESR測定,光誘起時間分解ESR測定,パルス電子-電子二重共鳴(DEER/PELDOR)測定いずれも,1つの測定結果を得るには測定対象の試料に応じて実験系のセットアップを組み直したり,最適なマイクロ波照射条件・磁場掃引範囲を探したり,PFの技術スタッフの支援の下,数日かけてようやく貴重なデータとして利用者の研究に提供されている.ボタン一つ押せば,瞬時に得られるデータではない.技術支援貢献賞を受賞した背景が,良く理解できた取材であった.

 利用者と一緒にESR測定することで,様々なご要望に応えていきたい,と3名の受賞者は抱負を語った.受賞者の皆さんの今後の一層の活躍と,ESR測定から優れた研究成果がますます生み出されることを期待したい.

 

参考文献

[1] ナノテクノロジープラットフォーム技術スタッフ表彰,令和元年度,技術支援貢献賞 藤原基靖,浅田瑞枝,伊木志成子(分子・物質合成PF 自然科学研究機構 分子科学研究所)「電子スピン共鳴装置による研究支援」:https://www.nanonet.go.jp/ntj/award/
[2] 大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 分子科学研究所 HP:https://www.ims.ac.jp/about/
[3] 分子科学研究所 分子・物質合成PF:http://nanoims.ims.ac.jp/index.html
[4] 分子科学研究所 分子・物質合成PF 機器センター支援装置一覧:http://nanoims.ims.ac.jp/service_h27_ic.html#sv
[5] 森中裕太,佐藤悟,若宮淳志,⼆川秀史,溝呂⽊直美,⽥邊史⾏,村⽥理尚, ⼩松紘⼀,加藤⽴久,永瀬茂,⾚阪健,村⽥靖次郎,古川貢,“内包フラーレン分⼦錯体の特徴的分⼦磁性のESR測定”,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 秀でた利用6大成果,NanotechJapan Bulletin Vol. 8, No. 4, (2015): https://www.nanonet.go.jp/magazine/content/files/mag_pdf/Exellent_pdf/v8n4_6MajorResults2015_5.pdf
[6] “実験化学講座8:NMR/ESR”, 日本化学会編,第5版,丸善出版 (2006)
[7] 原英之,“ESRの基礎と応用“, 日本核磁気共鳴学会機関誌10, pp.97-103 (2019):https://www.nmrj.jp/pdf/bulletin/bulletin_2019_10.pdf
[8] 浅田瑞枝,“電子電子二重共鳴法を用いた酸素発生系S2状態Mnクラスターの磁気構造の解明”,2012年度修士論文,物性研究電子版,Vol.2, No.2, 022601 (2013年5月号):https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/174278/1/bussei_el_022601.pdf
[9] Long Chen, Ko Furukawa, Jia Gao, Atsushi Nagai, Toshikazu Nakamura, Yuping Dong, and Donglin Jiang, “Photoelectric Covalent Organic Frameworks: Converting Open Lattices into Ordered Donor–Acceptor Heterojunctions”, J. Am. Chem. Soc., 136, 28, pp.9806–9809 (2014): https://pubs.acs.org/doi/10.1021/ja502692w
[10] Jumpei Morimoto, Yasuhiro Fukuda, Yasuhiro Fukuda, Daisuke Kuroda, Takumu Watanabe, Fumihiko Yoshida, Mizue Asada, Toshikazu Nakamura, Akinobu Senoo, Satoru Nagatoishi, Kouhei Tsumoto, and Shinsuke Sando, “A Peptoid with Extended Shape in Water”, J. Am. Chem. Soc., 141, 37, pp.14612–14623 (2019): https://pubs.acs.org/doi/10.1021/jacs.9b04371
[11] 森本淳平,山東信介,“ペプチド模倣物質による新しい中分子創薬”,化学,Vol.75, No.7, pp.31~36 (2020):http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/sandolab/kagaku-2020-7.pdf

(図はすべて分子科学研究所から提供された)

 

(尾島 正啓)