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細胞膜の張力ががんの浸潤・転移を抑制する ~細胞の物理特性を標的としたがん治療への期待~

 神戸大学と東京薬科大学は2021年10月13日,神戸大学バイオシグナル総合研究センターの辻田 和也 講師,伊藤 俊樹 教授と,東京薬科大学の佐藤 礼子 講師,深見 希代子 名誉教授らの研究グループが,がん細胞の細胞膜が正常細胞と比較して柔らかいこと,また,細胞膜を硬く操作することにより,マウスモデルにおいて,浸潤・転移を抑制できることを発見したと発表した.この研究成果は,10月11日に,Nature Communicationsに掲載された(注).本研究は,国立研究開発法人日本医療開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業(AMED-PRIME)ならびに独立行政法人日本学術振興会科研費(新学術領域研究,基盤研究,萌芽研究,若手研究)の支援を受けて行われたものである.

 がん細胞は,悪性度が増すと,アメーバのように細胞形態を変幻自在に変えながら運動できるようになり,周囲への浸潤や遠隔転移を引き起こす.近年の研究により,このような細胞形態の大きな変化と運動性は,細胞自体の物理的な性質に依存することが明らかになってきており,実際に,がん細胞は正常細胞と比較して「柔らかい」ことが報告されている.このように,細胞の物理的性質の変化とがん化の関係性が注目されているが,がん化と関係する細胞の物理的変化については不明であった.

 今回,研究グループは,光ピンセットという,溶液中にレーザー光を集光させ,その焦点に液中の微粒子を光圧により引き付ける技術(発明者アーサー・アシュキンは2018年ノーベル物理学賞受賞)を活用し,細胞表面の膜の硬さを単一細胞レベルで測定した.微粒子としてマイクロビーズを用いこれを細胞膜に付着させて引っ張ることにより膜テザー(膜の紐状構造)が形成され,細胞膜の硬さが測定できる.ヒト正常細胞とヒト乳がん・前立腺がん・膵臓がん細胞の測定結果,ヒト乳がんの膜テーザ力が凡そ25~35ピコニュートンであるのに対し,用いた3種のがん細胞は凡そ15~25ピコニュートンであり,がん細胞は一様に硬さが減少し柔らかいことが分かった.正常な細胞では,細胞膜の直下にアクチン細胞骨格タンパク質が接着されていて硬度を保っているが,今回の研究により,がん細胞では,この接着の役割を果たすERMタンパク質が細胞膜から外れて,細胞膜が柔らかくなっていることが分かった.

 そこで,マウスモデルを用いて,ERMタンパク質をがん細胞の細胞膜に強制的に付着させて,接着構造を正常細胞のように「回復」させたところ,がん細胞の細胞膜が硬くなり,細胞形態の異常な変化や運動性が抑えられ,この膜硬化の操作をしなかった乳がん細胞では肺転移巣の数が8検体平均で120±80あったが,硬化操作をしたものでは,肺への転移は認められなかった(5検体とも肺転移巣の数が0).これらの結果から,細胞膜を硬く操作することで,がんの転移を抑制できる可能性があると考えられた.

 細胞膜を硬くする化合物が見つかれば,がんの浸潤・転移に効果的な薬となることが予想され,がん細胞の物理特性を標的とした新しいがん治療の開発につながる可能性が考えられる.

(注)Kazuya Tsujita, Reiko Satow, Shinobu Asada, Yoshikazu Nakamura, Luis Arnes, Keisuke Sako, Yasuyuki Fujita, Kiyoko Fukami, and Toshiki Itoh, "Homeostatic membrane tension constrains cancer cell dissemination by counteracting BAR protein assembly", Nature Communications, Vol. 12, Article number: 5930 (2021), DOI:10.1038/s41467-021-26156-4; Published: 11 October 2021